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二年ぶりのラジオ

昼、半蔵門へ。TOKYO FMの番組にゲストとして呼んでいただいたので、その収録に。

ラジオに出させてもらうのは、かれこれ二年ぶりくらいか。スタジオの雰囲気というのは一種独特なもので、普通の人間が足を踏み入れてマイクの前に坐ったら、十中八九、緊張する。案の定、やっぱり今回も緊張した。

ただ、以前の経験が少しは活きたなと思ったのは、「あ、自分、今、緊張してる」ということに考えが囚われてしまうと、本当にギクシャクとどうしようもなくなってしまうので、緊張してるかどうかということ自体、考えないようにしていたということ。その辺はトークイベントでも、あるいは割とプレッシャーのかかる条件下での取材でも、共通することかもしれない。

まあそれでも、緊張したなあ。今回はそれを振り払おうとするあまり、新橋の居酒屋でしゃべってるみたいなノリになってしまった(苦笑)。あれでよかったのかな。

氷河と寝袋

この間、毛布と布団の正しい使い方というのがネットで話題になっていた。これはたぶん、羽毛布団のロフトを最大限に活かすための使い方というのがキモなのだろう。僕はもともと羽毛布団(安物だけど)の上に毛布をかけていたのだが、試しに身体の下にも薄手の綿毛布を敷いてみたところ、確かに暖かい。下に敷く毛布が分厚すぎたり、材質がアクリルだったりすると、かえって寝苦しくなりそうだけど。

まあそれはそれとして、寝る時に一番暖かい寝具は、やっぱり寝袋だと思う(笑)。さすがに自分の家でわざわざ寝袋を使ったりはしないけど、何だかんだで、寝袋で寝起きしている回数は普通の人よりもだいぶ多いはずなので、そのありがたみは十分わかっているつもり。

僕が持っているのはマウンテンハードウェア製のものが二つで、一つは使い勝手のいいスリーシーズン用、もう一つは冬のラダックやこの間のアラスカでのキャンプで使った厳寒期用。厳寒期用は、襟元までみっちりダウンが詰まっているマイナス20℃くらいまで耐えられる仕様のもので、実際、チャダル・トレックや雪のワンダーレイクでもぐっすり眠ることができた。

でも、寝袋の世界にも、上には上がある。たぶん最強クラスなのは軍用の寝袋だろう。ラダックでも、地元の人々はインド軍の放出品の寝袋を使っている。これはめっちゃでかくてかさばるのだが、インナーとアウターを組み合わせて使うモジュラー構造になっていて、両方使うとものすごく暖かい。あまりにも暖かすぎるので、チャダルあたりでは片方だけ使っている人も多かった。

どうしてそんなに過剰なほど暖かい仕様になっているのかというと‥‥インドの最北部、ラダックのヌブラよりさらに北には、今もインドとパキスタンが領有権を争っている、シアチェン氷河という場所がある。ここは標高が6000メートル前後もあって、世界で最も標高の高い戦場とも言われている。そんなとんでもない場所で野営するのにも耐えられるように開発されたのが、この過剰に暖かい寝袋なのだそうだ。

世の中、いろんな場所で寝てる人がいるものである。

風景を撮るのも、人を撮るのも

「旅先で人の写真を撮る時は、どんな風にして撮ってるんですか?」という質問をされることが、割とよくある。人の写真がどうもうまく撮れない、何かいい方法があるのではないか、と思っている人が多いらしいのだ。

僕も写真で駆け出しの頃は(まあ今も駆け出しみたいなものだけど)、人を撮る時には、それ以外と何か違うアプローチがあるのでは、と手探りしていた時期があった。でも最近は、風景を撮るのも、人を撮るのも、自分にとっては同じことだな、と思うようになった。

こう書くと、「風景はその場にいれば誰でも同じように撮れるから、人を撮る方が難しくて技術が必要なのに決まってる」とか、あるいは「人を風景と同じようにモノ扱いして撮っているのか」と受け止める人もいるかもしれない。でも、僕にとっては、どちらもそうではない。人を撮るのに使う技術と同じくらい、風景を撮るのにもいろんな技術が必要になる(僕はそれらのごく一部しか使えていない)。そして僕は、特にここ数年、風景を撮る時にも、人を撮る時と同じように、その場面に気持を注ぎ込もうと考えながらカメラを構えている。気持を注ぎ込めば山や海が微笑んでくれるわけではないとは思うけど、何というか‥‥そこには何かの差が生まれるような気がするのだ。気持を注ぎ込んだ自分ならではの。

何だか雲をつかむような話になってしまったけど、風景を撮るのも、動物を撮るのも、人を撮るのも、僕にとってはやっぱり同じだなと思う。

本場の味

夜、吉祥寺へ。駅の近くのラオス料理店で、食事をしながらの打ち合わせ。ビアラオを飲みつつ、黒米入りのカオニャオと一緒にラープやガイヤーンをいただく。

その味が悪かったというわけではまったくないのだけれど、食べながら思い出していたのは、この間のタイ取材の時に、行く先々の安食堂や屋台で食べていた料理の味だった。ガイヤーン、パッタイ、ソムタム、カオマンガイ、センレックナーム‥‥安くて、さりげなく、それでいて鮮烈で、何とも言えずうまい。気候などにもかなり影響されていたとは思うが、あれらは文字通り、本場ならではの味だったのだろう。

そう考えると、僕はとてもぜいたくな経験をさせてもらえていたのだと思う。まあ、取材はほんとにきつかったけどね(苦笑)。

思い出して、笑って

午後、編集さんと待ち合わせて、代官山蔦屋書店へ。九月に森本さんが亡くなった後、タイ取材のためにずっとお店に行けないでいたのだが、ようやく今日、書店員の方に時間を取っていただいて、おくやみのご挨拶に。

二階のラウンジで一時間ほど、来月上旬に予定されているお別れの会の話や、森本さんや本やお店のよもやま話をしたのだけれど、不思議としめっぽい感じにはならなくて、あれやこれやを思い出しては結構笑っていたような気がする。きっとそれは、森本さんのお人柄もあるのだろう。

僕も、この世から立ち去った後、誰かに笑って思い出してもらえるような人になれたら、と思う。まあ、どっちかというと「あいつ、つくづく無茶ばっかやってたよね」と、あきれ笑いで思い出される方だと思うけど。