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またしても腹が減る

インドから戻ってきて、体重計に乗ったら、二カ月前に出発した時より、2キロ減っていた。

その後、日本での普通の生活に戻るにつれて、体重も少しずつ戻ってきて、今は帰国時よりプラス1キロくらい。それでもまあ、出発前からマイナス1キロ、今年の年初からだとマイナス5キロだから、今の年齢や体調での僕のベストウェイトは、ちょうど今くらいなのだろうと思う。

インド滞在中は、二、三日に一度くらい、宿の部屋で腕立て伏せをやっていた程度。標高3500メートルの地で毎晩フルにエクササイズをやるほどの元気はない(苦笑)。それでも現地で毎日、カメラザックを背負ったまま、結構な距離を歩き回っていたので、体幹や足腰を中心に、結果的にそれなりの運動になっていたとは思う。

それにしても、日本に戻ってきて以来、やたら腹が減る。確か数年前にも似たようなエントリーを書いた記憶があるが、今はとにかく身体がタンパク質や脂肪を欲しているという感覚がある(甘いものはあまり欲しくならない)。供給過剰にならない範囲で、必要な栄養を補充していかねば……。

何しろ、一カ月後には、タイである。あの暑さの中を取材で毎日歩き回れば、またやせるのは必定……。やれやれ。

キックオフ

水曜日は夕方から、八丁堀にある出版社で打ち合わせ。来年の春に出す予定の新しい本を作るための、版元の編集者さんとのキックオフミーティング。制作予算の内訳、発売までのスケジュール、発売後のプロモーション戦略、あとは本のタイトルとか、ページ配分とか……。今回の編集者さんと組んで本を作るのも、これで三冊目。気心の知れた者同士で組める安心感。いい本を作れそうな手応えはあるし、いい本を作らなければならないとも思う。

打ち合わせを終えた後、ひさしぶりに飲みに行きましょう、ということで連れて行かれた近くの店は、茨城県大洗町のあんこうを使った料理がウリの店。「うまいですよ〜」と言われたのだが、あんこうは7、8月が禁漁期で、次に水揚げされたあんこうが入荷するのは来週とのこと。まあ仕方ない。刺身の盛り合わせやメバルの煮付けをいただきつつ、編集者さんとサシで飲みながら、仕事のこと、旅のこと、いろんな話をした。

さあ、いよいよ、本づくりの始まりだ。がんばろ。

明日からインドへ

昼、渋谷へ。モンベル渋谷店で開催された三井昌志さんの帰国報告会を拝見する。注目していたミャンマーのロヒンギャ問題についてのレポートは、ミャンマー側の村だけでなく、バングラデシュ側から国境付近にあるロヒンギャの難民キャンプを訪れた際の話が興味深かった。こういう問題は、現地取材によって事実に基づく情報を積み上げていかないと、なかなか全容が見えてこない。三井さんは写真のスキルだけでなく、行動力や実行力の面でももっと評価されるべき人だと思う。

終了後、知人たちとマメヒコでコーヒーを飲んで別れ、夕方からはリトスタで恒例の最後の晩餐。今回もいろいろおいしくいただいた。明日の朝は4時起き。目覚ましに反応してちゃんと起きて、最後の身支度と家を留守にする作業をしてしまえば、あとは出発するだけだ。はー。がんばろ(苦笑)。

帰国は8月26日(土)の予定。それまでこのブログの更新もしばらくお休みします。では。

「セールスマン」

イランのアスガー・ファルハディ監督の最新作「セールスマン」。監督と主演女優タラネ・アリドゥスティが、米国のトランプ政権が今年1月に中東7カ国からの入国制限を実施したことに抗議して、アカデミー賞授賞式のボイコットを表明したことでも話題を集めた作品だ。以前から何だか気になっていて、観なければ、と思っていた。

教師のエマッドと妻のラナは、小さな劇団に所属し、アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の稽古に励んでいる。住んでいたアパートが突然損壊して、家を失ってしまった二人は、劇団のメンバーのつてで別のアパートに移り住む。前の住人が残していった気になる荷物。そして事件が起こる。アパートに一人でいたラナが、浴室で何者かに襲われて大怪我をしてしまったのだ。犯人を探し出そうといきり立つエマッドと、深刻なショックを受けて、表沙汰にはしたくないと拒むラナ。すれ違っていく二人の感情。やがて明らかになる、犯人にまつわる真実……。

この映画、観る者の予想を裏切る形で二転三転していくような、いわゆるサスペンスとしての謎解きの展開は、実はあまりない。言い換えれば、そういう点が逆に観る者の予想を裏切っているとも言える。一つの大きな事件を挟んで、物語は淡々と進む。明らかになる謎もあれば、あえてそのまま置き去りにされる謎もある。

深く傷ついた心が立ち直ることの難しさ。罪を許すか、許さないか。償わせるとしたら、どうすべきか。観終わった後、もやもやとした気持が残る。このもやもやこそが、監督がこの映画に込めようとしたことなのかもしれない、とも思う。

会いたいのは旅人ではなく

来年の早い時期に、たまっているスターアライアンスのマイルを使って、半月ほどラオスに行こうと考えはじめた。で、ネットでラオス各地の情報を調べはじめたのだが、思っていた以上に名前に「ホステル」とつくドミトリー形式の宿が多いことに気づいた。いずれも新しめの綺麗な宿。手頃な料金設定で、エアコンやホットシャワーやWi-Fiを完備し、朝食サービスや共有スペースのミニバーなども利用できるような。僕が毎年取材しているタイでも似たような宿が増えているし、他の国々もおそらくそうなのだろう。

旅の中で写真を撮ることが仕事の一部になってから、撮影機材をできるだけ安全に保管しなければならなくなったので、今ではドミトリーを選ぶことはほぼなくなった。でも、20代の頃は、旅先でドミトリーの宿があれば、よほど怪しくて感じ悪いとかでなければ、そこを最優先で泊まっていた。旅費の節約という、背に腹は代えられない理由で。その頃のドミトリー宿は、殺風景な部屋にただベッドが並んでいるだけで、設備も最近の宿とは比べものにならないボロ宿がほとんどだった。それでも、一緒に泊まり合わせた他の国々から来た旅人たちと、情報交換したり仲良くなれたりするのは、あの頃の僕には新鮮だったし、愉しかった。

ただ、僕の場合、旅先で一人で過ごしていると寂しいから、誰か他の旅人と出会いたくてたまらないから、という理由ではドミトリーを選んでいなかったように思う。何かのひょうしにたまたま知り合って、じゃあお茶かごはんでも、というのは全然構わないし、今でも行く先々でよくあることだが、自ら進んで他の旅人たちとつるみたい、行く先々で行動を共にしたい、という発想は、昔も今もあまりない。

僕が旅先で会いたいのは、他の国々から来た旅人たちではなく、自分がその時旅している国に暮らしている人々や、そこにしかない風景なのだ。その出会いを大切にするには……それを文章や写真に落とし込むには、できるだけ自分が自分らしくいられる状態で旅したい。僕の場合、それは一人で旅することを意味する。

異国の雑踏の中を、一人で歩き回る。誰もいない荒野に、一人で立ち尽くす。薄暗い部屋のベッドで地図を広げ、一人で計画を練る。その、ぞくぞくするような愉しさ。僕にとっての旅は、たぶんそういうものなのだと思う。