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ちっぽけな思いから

最初に、自分一人だけで一冊の本を書こう、と思い立った時、心に決めていたのは、自分という人間の存在ができるだけ表に出ないようにしよう、ということだった。

自分の目の前で起こる出来事の一つひとつを丹念に見定めて、文章と写真で、それらをできるだけ忠実に描写する。個人的な感傷や思い入れで邪魔しないように気を配りながら、言葉を選ぶ。自分という人間が何者なのか、読者にはまったく気にされなくて構わない。そう思いながら、本を書き上げた。

そうして完成した本を読んだ僕の知り合いの何人かは、異口同音にこう言った。この本は、まぎれもなく、あなたの本だ。この本には、あなたの思い入れが、これ以上ないほどあふれている、と。そんな感想が返ってくるとは想像もしていなかったので、僕はすっかり面食らってしまった。

世界のとある場所とそこで暮らす人々のことを、徹底的に追いかけて、ただひたすらにそれを伝えようとしていたら、そこに立ち現れたのは、僕という一人のちっぽけな人間の姿だったのだ。

だったら、その逆は、あるのだろうか。

僕という一人の人間の、本当に個人的な、ちっぽけな思いから、遥か彼方への旅を始めたら、その先は、どこにつながっていくのだろうか。この世界の、底の見えない深淵につながっていくのだろうか。何かの理が、目の前に現れたりするのだろうか。

その旅は、もう始まっている。

夕焼けの色

午後、八王子で大学案件の取材。帰りの中央線の中で見た夕焼けの淡い色が、とても綺麗だった。冬になって、大気が乾いて澄んでくると、ああいう淡い色になるのかもしれない。そういえば、ラダックで見る夕焼けは、ほとんどが淡い色だったような気がする。色が変わったと思ったら、あっという間に夜になるような。

以前、夏のカンボジアを乗合のワゴン車で移動していた時に見た夕焼けは、すごかった。熟れに熟れたザクロのような真紅の夕焼けが、東西南北、空のすべてを覆い尽くすように広がっていた。東南アジアの湿気で潤んだ大気の中だと、空もあんな風に染まるのだろう。

極北の地、アラスカでは、夕焼けの色も淡いのかといえば、そうでもない。大気に湿気は感じないのだけれど、夕焼けの色は、時にはまるで超高温で燃える炎のように鮮やかで、自然のものとは思えないような色になる。しかも、日によって、天気によって、同じ場所でも空の表情はまるで違うのだ。

そんなことを考えていたら、そろそろまた、旅に出たくなってきた。

世界を変える美しい本

この間の日曜は、吉祥寺からバスに乗って成増まで行き、終点からしばらく歩いて、板橋区立美術館へ。「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」展を見に行った。

インド各地の民俗画家たちの描いた絵を、手漉きの紙にシルクスクリーンで印刷し、手作業で綴じた本。チェンナイにある小さな出版社、タラブックスは、今の時代の流れとは真逆に位置する本たちを、世に送り出している。彼らの作る本の美しさは、それ自体に作り手たちの考え方や働き方、生き方が色濃く投影されているからこそだと感じた。同じ本づくりを生業にする者として、うらやましく思えるほどに。

本づくりという仕事を、あきらめるにはまだ早い。そんな勇気をもらえたような気がした。

「地上」2018年1月号 「極奥物語 第七話」


12月1日(金)発売のJA(農協)グループ刊行の雑誌「地上」2018年1月号のカラーグラフに隔月で掲載されているシリーズ「極奥物語」に、ザンスカールについての写真紀行「苛烈の谷の安息」を寄稿しました。

この雑誌は一般の書店では販売されていませんが、下記のページから申し込めば、単月号を1部から購入できます。必要事項をフォームに記入して申し込むと、雑誌と請求書兼払込用紙が送られてくるとのことです。

「地上」購読申し込み|地上|雑誌|一般社団法人家の光協会

写真は1枚を除いてすべて今年の夏に撮影したもので、文章も書き下ろしです。よかったらぜひご一読ください。

夜間飛行

宵の口、仕事の合間に缶コーヒーを買いに家の外に出たら、一機の飛行機が、澄んだ夜空に翼端灯を瞬かせながら飛んでいくのが見えた。

今の時代のテクノロジーをもってすれば、飛行機が夜でも飛べるなんて、当たり前のように思えるかもしれない。でも、それは場所による。ラダックでは、夜の間、飛行機は飛べない。民間と軍が共用しているレーの飛行場でも、山の端がとても近いので、夜間飛行は危険なのだという。

そんなラダックでも、夜、ブォーン、と飛行機のエンジン音が響いてくることがある。それは間違いなく、満月の夜だ。標高3500メートルの高地を照らす満月の光はとても明るいので、夜でも軍用機は有視界飛行が可能なのだそうだ。

東京の夜空を横切っていく飛行機を見ながら、そんなことを思い出した。