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ポール・オースターが教えてくれたこと

家にある自分の本棚を眺めてみると、同じ作家で本が一番多いのは、開高健。次が同数で、アーシュラ・K・ル・グィンとポール・オースターだった。

ポール・オースターのことを知ったのは、他の多くの日本人読者と同じく、映画「スモーク」を観たのがきっかけだった。ブルックリンを舞台にした洒脱な映像と思いがけない展開の物語、そして最後の『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』の見事さにすっかりやられてしまった僕は、「ニューヨーク三部作」と呼ばれるオースターの初期の作品群(『シティ・オブ・グラス(ガラスの街)』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)を入口に、彼の作品をかたっぱしから読みまくった。『ムーン・パレス』の流麗な書き出しには、今もほれぼれとさせられる。その後も『偶然の音楽』『リヴァイアサン』『ミスター・ヴァーティゴ』など、柴田元幸さんの訳によるオースターの新刊が出るたびに、本屋でハードカバーを買い求めて読んでいた。

昨日の昼、ポール・オースターが亡くなったというニュースを知って、自分でも思いがけないほどショックを受けているのを感じた。それは、彼の書いた作品が、僕自身の二十代から三十代にかけてのうだつの上がらない日々の中で、他に置き換えることのできない存在であったからだと思う。特に初期の作品群で、「書く」という行為そのものをこれ以上ないほど深く深く掘り下げていった彼の文章は、自分自身が「書く」という行為とどう向き合うべきなのか、考えさせられるきっかけにもなった。その答えは、いまだに出せていないような気もするけれど。

オースターの作品と出会ってなかったら、僕の書く本は、今とは全然違うものになっていたかもしれないし、そもそも本を書くこと自体に取り組んでいなかったかもしれない。ふりかえってみると、そのくらい重要なきっかけであり、大きな存在だった。まだオースターの作品に触れたことのない人には、ぜひ読んでほしい、と思う。

新しい本へ

4月7日(日)のタシデレでのイベントと、12日(金)の三鷹ユニテでのトークイベント、それぞれ盛況のうちに、無事終えることができた。昨年末に発売した『ラダック旅遊大全』絡みのイベントは、とりあえず全部終わった……はず。先月中旬に帰国して以来、特に7日(日)のイベントの準備(写真のRAW現像をしたり、ムービーを作ったり、スライドを作ったり)がかなりプレッシャーだったので、ほっとしている。

これから始まるのは、次への助走だ。新しい本の準備は、僕自身の中ではすでに始まっている。今度もまた、少なくとも一年はかかる長距離走になるのは確実だし、うまく書き上げられる保証はどこにもない。でも今、むちゃくちゃ楽しみだし、燃えてもいる。素材は間違いなく、最高だ。あとは努力と工夫次第。自分史上最高傑作を、何としても作ってみせる。

とりあえずその前に、目の前に山積みになりつつある国内案件の数々を、何とかせねば……。

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ジム&ジェイミー・ダッチャー『オオカミの知恵と愛 ソートゥース・パックと暮らしたかけがえのない日々』読了。オオカミの群れの生態の研究とドキュメンタリーの撮影のため、ソートゥース山地の麓の広大な敷地で、子供の頃から世話をしたオオカミたちの群れ(パック)を観察し続けた六年間の記録。野生のオオカミの撮影記録と勝手に思い込んでいたのだが、これはこれで、人の手を介した方法でしか知り得なかったであろうオオカミたちの習性や行動が紹介されているので、読み応えがある。オオカミについてあらためて知りたいと思っていたところ、家でこの本が積ん読になっていたので、読めてよかった。本編の一番最後に掲載されている写真が、とてもいい。

「テルマ&ルイーズ」

30年以上前に公開されたリドリー・スコット監督の「テルマ&ルイーズ」が、監督自身の監修によって4Kレストアされた。未見だったこの映画を昨日観に行ったのだが……いやー、最高。不朽の名作と言われるだけのことはある。めちゃめちゃ面白かった。

横暴な夫に虐げられている専業主婦のテルマと、場末のレストランで給仕として働くルイーズ。ある週末、二人はオープンカーに乗って旅行に出かけるのだが、思いもよらない災難が次から次へとふりかかり、気がつけば警察に指名手配までされて、はるか彼方のメキシコを目指して逃げ続けるはめになってしまう。その逃避行を経るうちに、二人は……。

運が悪すぎる災難の連続で追い詰められているのに、逆にテルマとルイーズは、逃避行の旅を通じて、がんじがらめの日々から解き放たれ、自由と、本来の自分たちらしさを獲得していく。そのプロセスが、何とも言えず痛快で。物語に登場する男たちの大半が、固定観念に凝り固まったろくでもない連中ばかりだったのと対照的だった。ブラッド・ピット演じるJDの、あまりにもどうしようもない底なしのクズっぷりは、逆に面白くもあったけれど。

僕たちが生きている世界は、昔も今も、複雑で憂鬱で理不尽な現実に満ち満ちているけれど、テルマとルイーズを乗せたフォード・サンダーバードは、そんな世界を軽やかに飛び越えていく。彼女たちの物語が、これからの世界を生きる女性たちの希望になりますように。

「瞳をとじて」

ビクトル・エリセの新作長編が公開されると聞いた時は、驚いた。「マルメロの陽光」以来、31年ぶりの作品だという。それ以前の長編作品も「エル・スール」と「ミツバチのささやき」だけだから、今回の「瞳をとじて」でようやく4作目の長編ということになる。そんなにも寡作の映画監督なのに、世界中でこれほどまでに注目され、期待されていた人は、他にいないのではないだろうか。

主演映画の撮影中に、突然失踪した人気俳優、フリオ・アレナス。彼の親友でその映画の監督でもあったミゲル・ガライは、それから20年以上、映画の世界から離れ、海辺の街で暮らしていた。そんなある日、ミゲルは、フリオの失踪の謎を追うドキュメンタリー番組への出演依頼を受ける。複雑な思いを抱きながらも、撮影技師のマックスやフリオの娘のアナ、かつての恋人のロラに会って、記憶の糸を辿っていくミゲル。そんな彼のもとに、番組の放映後、思いもよらない情報が届く……。

物語は、けっして急ぐことなく、静かに、淡々と、丁寧に綴られていく。一つひとつの場面の美しさ。ぽつりぽつりと、沁み入るように響く台詞。そして何より、映画そのものに対する信頼と愛着。ラストシーンのその先の物語は、一人ひとりの観客に委ねられているようにも思えた。

ひさしぶりに、彼の他の作品も見直してみたくなった。どこかでまた、特集上映をしてくれないかな。

「ストリートダンサー」

日本に戻ってきたら、余裕のある時にゆっくり観に行こうと思っていた「ストリートダンサー」が、新宿ピカデリーなどでは今週で終映になってしまうと知り、昨日あわてて観に行ってきた。間に合ってよかった……ふう。

このシリーズの前作「ABCD2」は、前にエアインディアの機内で観たことがある。わかりやすい筋書きで結構面白かったので、舞台設定は違えど実質的な第3作となる「ストリートダンサー」(Street Dancer 3D)も楽しみにしていたのだった。主演はヴァルン・ダワンとシュラッダー・カプール、そして今やインドの伝説的ダンサー、プラブデーヴァー。

物語の舞台はロンドン。怪我でダンサーとしての夢破れた兄の意思を継いだサヘージが率いるインド系ダンサーチーム「ストリートダンサー」と、裕福な家庭に生まれながらも隠れてダンスに熱中するイナーヤトが率いるパキスタン系ダンサーチーム「ルール・ブレイカーズ」は、路上で、あるいは酒場で、常に反目し合っていた。そんなある日、酒場のオーナーであるラームがひっそりと続けているある活動に、イナーヤトは大きな衝撃を受ける。やがて、優勝賞金10万ポンドのダンスバトル大会「グラウンド・ゼロ」の開催が発表される。自身も優れたダンサーであるラームはサヘージに対し、イナーヤトと力を合わせて大会に出ろと促すが、サヘージには良心の呵責を感じている秘密があった……。

前2作と今作の違いは、欧州で困窮する移民たちの問題に焦点を当てていることだろう。それぞれに夢を抱いて国を離れたものの、さまざまな理由で不法滞在者として追われ、職にも就けず、母国にも帰れずにいる人々。そんな人々を救済するために、ラームとイナーヤト、そしてサヘージたちは、グラウンド・ゼロでの優勝賞金の獲得を目指す。単なるダンスバトル映画に終わらない、シリアスなテーマを内包した作品になっていた。

反面、前作で心地よく楽しめた、技術は未熟ながら個性豊かなメンバーたちが集まって、それぞれに切磋琢磨しながらダンスをレベルアップさせ、強敵とのダンスバトルを勝ち抜いていく……という、このシリーズ本来の醍醐味は、やや薄くなってしまっていたかなと思う。ダンスシーン自体の映像は洗練されていたけれど、そこに至るまでの努力の過程を、もう少し楽しんでみたかった。

ともあれ、「インド映画って、歌って踊るんでしょ?」という時代錯誤なステレオタイプに凝り固まっている人がまだいるなら、こういう作品を見せればいいと思う。そう、歌って踊るよ。あなたの想像もつかないほどの、ハイレベルなテクニックで。