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バックパッカーとは何か

二十代の頃から、僕はあっちこっちの国をふらふらと旅してきた。そういう話を人にした時、「あ、じゃあヤマタカさんは、バックパッカーなんですね!」と言われたりすると、ちょっともじもじした気分になる。

そもそも僕は、自分はバックパッカーなのだと意識したことがほとんどない。バックパッカーって、何なのだろう? 世の中には、それが何か特別な存在であるかのように定義する人もいる。でも、僕からしてみれば、バックパッカーというのは「荷物をバックパックに詰めて、主に海外を旅している人」というくらいにしか思えない。強いて付け加えるなら、「パッケージツアーを利用せず、主に自分自身の力で手配をして旅している人」くらいだろうか。

バックパッカーになって旅をすること自体は、別に特別でも何でもない。それで誰かを助けたり、何かを生み出したりしているわけではないのだから。旅を通じて得た経験を、誰かのために役立てることができるかどうかは、その後のその人の生き方次第。すっかり無駄にしている人も、もしかしたらいるのかもしれない。僕自身、その経験を今に活かせているかどうか、自信はないけど。

だから僕は、「ヤマタカさんって、バックパッカーなんですね!」と言われたら、否定してしまうわけにもいかないので、「あ、そんな大層なもんじゃないんで、ほんとすみません」と謝ることにしている(苦笑)。

暗殺計画

夕方、仕事の合間にネットでニュースを見ていると、不穏な見出しの記事が目に飛び込んできた。

ダライ・ラマ暗殺狙う 「中国のスパイ侵入」とインド紙報道

7日付のインド紙タイムズ・オブ・インディアによると、中国チベット自治区からのスパイが、インドに亡命中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)の暗殺を企てているとの情報があり、警察当局は警備強化に乗り出した。

西部ムンバイの警察は、中国国籍の「タシ・プンツォク」と名乗る中国の情報機関所属とみられる人物が、インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府に関する情報収集とダライ・ラマ殺害のため、インドへ侵入するとの情報を入手。

ダライ・ラマは説法などを目的にインド各地を訪問することが多い。ムンバイ警察は国内の亡命チベット人の関連組織に情報を伝えた。スパイは計6人いるとされる。

ムンバイ警察は「ダライ・ラマがムンバイのスラムで人々と交流することもある」などとし、将来のムンバイ訪問に備え、関係機関に対策強化を指示した。

事実だったら穏やかじゃないな、と思うし、実際、法王の身は危険かもしれない、とも思う。ただ‥‥もし、中国当局が法王の暗殺を実行に移してしまったら、チベット本土が、血で血を洗う悲惨な状況に陥ってしまう。僕は中国という国にシンパシーは微塵も感じていないけど、これ以上、愚かなことをしでかすことだけはやめてほしい。

昨日、チベットのアバで、また二人のチベット人が焼身自殺をした。こんな哀しいことは、もうたくさんだ。

「CUT」

イランの映画監督アミール・ナデリが日本で撮った作品が公開されると聞いて、これはスクリーンで観なければ、と前々から思っていた。2012年、僕が最初に観た映画が、この「CUT」だ。

西島秀俊演じる主人公の秀二は、映画監督。兄から金を借りて三本の映画を撮ったが、どれも世に認められているとは言い難い。自分が暮らす古いビルの屋上で名作映画の自主上映をしたり、街でトラメガを手に映画業界の堕落を糾弾する演説をぶったりと、映画に取り憑かれたような日々を送っている。

ある日、秀二は兄が死んだという知らせを受ける。ヤクザに関わって借金の取り立てを生業としていた兄は、ヤクザの事務所から多額の借金をしたことが原因でトラブルに巻き込まれ、命を落としてしまったのだ。自らを責める秀二に突きつけられたのは、兄が遺した1254万円の借金の借用書。残り二週間で借金を返済するために、秀二は、ヤクザを相手にした「殴られ屋」になることで、金を稼ごうと試みる——。

秀二の端正な顔が、ボコボコに殴られて赤黒く腫れ上がっていくのが、気高く見えてくるのは何故だろう。一発、一発、殴られるたび、彼は呪文のように、敬愛する映画監督の作品名を呟く。彼は、借金を返すために殴られているのではない。映画を守るために殴られているのだ。狂気にも似た映画への愛と、それを理解せず金儲けしか考えない今の映画業界への怒り。ナデリ監督にとって、秀二はきっと「映画」そのものなのだと思う。どれほど打ちのめされても、映画は死なず、立ち上がる。クライマックスシーンに挿入されるテロップに、監督の思いが凝縮されている気がした。

主人公はひたすら殴られっぱなしだというのに、不思議なくらい爽快な作品だった。映画って、いいなあ。

普通の一日

ここ最近、あまり睡眠時間が足りてなかったので、二度寝して昼頃に起きる。

飲み会続きで疲れた胃腸をいたわるため、今日はおひるをあえて抜いてみた。缶コーヒーを飲みながらメールやニュースのチェックをしていると、どうやら金正日が死んだらしい。哀悼の意を表する雰囲気はどこにも微塵も感じられないが、みんなの関心事は、北朝鮮がやけっぱちになってミサイルをぶっ放したりしないかということの方だから、むべなるかな。

仕事の方は、これから作る本のカラーグラビアの構成の検討。どの写真をどんな風にして載せるか、実際にレイアウトイメージを作って試行錯誤しながら考えていく。夕方、ちょっと腹が空いてきたので、冷凍ごはんをあっためて、納豆とキムチと生玉子をのせ、味噌汁と一緒に食べる。

まあ、そんな感じの普通の一日。一応、誕生日だったんだけどね。

連絡先の交換

僕が初めて一人で海外を旅したのは、22歳の時。その頃は、旅先で知り合って仲良くなった人がいると、帰国した後にやりとりするために、お互いの住所と電話番号を交換したものだった。それで、旅先から絵ハガキを書いて送ったりもしたっけ。何しろ当時は、インターネットなんてほとんど使われていなかったから。

30歳の時に半年間のアジア横断の旅をした時は、連絡先として交換するのは、名前とフリーメールのアドレスに変わっていた。それでしばらく互いの状況をメールで知らせて、別の街で再び合流できそうなタイミングがあれば連絡を取って落ち合ったり。昔に比べればずいぶん便利になったけど、旅先で偶然に再会する喜びは、ちょっぴり削がれたような気もした。

そして最近は、メールアドレスだけでなく、「Facebookでフォローしてもいい?」とも訊かれるようになった。今では、インドやヨーロッパにいる知り合いとも、ほとんどリアルタイムでやりとりできる。確かに、コミュニケーションの距離感はものすごく近くなった。でも、何か味気ない気がしないでもない。

異国の切手が貼られた絵ハガキを受け取っていたあの頃の方が、やっぱり嬉しかったな、何となく。