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ポリバレントという価値

昨日の飲み会でも話題になったのだが、紀行文やガイドブックといった旅行書を作る仕事は、つくづく国際情勢に左右される産業だな、と思う。

たとえば今、ラダックが属するインドのジャンムー・カシミール州は、西方のパキスタンとの停戦ライン付近で、両軍の部隊の交戦が続いている。今のところは小規模な武力衝突だが、間違って何かがこじれたら、大きな戦争にならないともかぎらない。そうなると、ラダック自体にその影響が届かなかったとしても、ラダックに関する書籍などの企画の実現は、しばらく困難になるだろう。

カシミールに限らず、ほかの国や地域だって、天災、人災、いつ何が起こるかわからない。仮に何かが起こった時、そのせいで自分の生活が立ち行かなくなってしまったら、かなりまずい。そういう万が一のことも想定した危機管理について、あらためて考えておかなければ、と感じている。

幸か不幸か、僕は純血のトラベルライターではなく、コンピュータやクリエイティブ系の雑誌や書籍の仕事もしているし、インタビューを中心にしたライターの業務もしている。よろず屋と言えばそれまでだが、種々雑多な仕事を通じて蓄積した経験値で、どんな依頼でもそれなりに対応できるという強味はあるかもしれない。

旅について書くことを仕事の主軸にしたいけど、それ以外の仕事を変に選り好みして、間口を狭めたいとは思わない。大切な目標をおろそかにしないという前提で、自分が作ることに意味が見出せる本なら、積極的にチャレンジしたい。

昔、サッカー日本代表の監督だったイビチャ・オシムは、複数のポジションをこなせる選手のことを「ポリバレント」(多価)と呼んでいた。一人の本の作り手として、そういう価値を持てるようになりたいと思う。

こじれた人

夜、板橋にあるインド料理屋で、ラダックガイド本の担当編集さんと会食。

新年会という名目だが、実際のところは、彼と再びタッグを組む予定の、新しい本の企画についての密談。去年の11月末のプレゼン以来、自分なりにブラッシュアップしたコンセプトと構成案を提示して話し合う。お互いいろいろ腑に落ちて、この方向性なら、社内の新刊会議に臨めるのではないかという話になった。

この企画、「旅好きとあることがこじれてどうにかなっちゃった人の本」という一風変わったコンセプトなのだが、それについて話し合っている時、担当編集さんがぼそっと言った。

「‥‥こう言うのも何ですが、ヤマモトさんも、相当こじれてますからね!」

‥‥そう、確かにこじれてますな(苦笑)。

バーナード・マラマッド「レンブラントの帽子」

バーナード・マラマッド「レンブラントの帽子」吉祥寺の一人出版社、夏葉社さんの本は、何だかんだで既刊のものはほぼ全部買い揃えていると思うのだが、なかなか読破できずにいた。何というか、普段の書き仕事で頭がくたくたの時に、さらっと読んでしまいたくなかったのだ。落ち着いてゆったりした気持の時に対峙したい、とずっと思い続けていた。

年末年始の帰省の時、新幹線での移動中や、紫煙のたちこめるコメダ珈琲店での暇つぶしの間に、「レンブラントの帽子」を読んだ。四半世紀以上前に集英社から刊行されていた同名の短編集から、代表的な三編を抜粋した本。一人で出版社を立ち上げ、最初の一冊に選んだのがこの本とは‥‥すごい選択眼と度胸だなあ、と思う。

バーナード・マラマッドの本は初めて読んだのだが、抑制が効いた中にも、非常に繊細な描写をする人だな、と感じた。何気なく声をかけたひとことがぎくしゃくとしたすれ違いを生じさせてしまう表題作に、その真骨頂が現れている気がする。

個人的には、その次に収録された中編「引出しの中の人間」の方がより印象に残った。ソ連を旅行中の米国人のフリーライターと、発表するあてのない小説を書き溜めているユダヤ系ロシア人の男の邂逅の物語。モスクワやレニングラード(現在はサンクトペテルブルク)は、僕が初めての海外一人旅の途中に立ち寄った街だ。当時はソ連が崩壊して間もない頃で、ロシア国内は混迷の極みにあったのだが、その旅のことを思い出しながらこの小説を読むと、何だか複雑な気分になる。あと、作中に登場するユダヤ系ロシア人の男が書いた四編の小説のプロットは素晴らしい。それぞれを独立した作品として読みたいくらいだ。

この「レンブラントの帽子」、夏葉社さんのTwitterで見た情報によると、今年再び増刷される予定だという。まだ読んでいないという方は、それを待って入手するといいと思う。

名古屋での再会

一昨日、岡山から東京に戻る途中、名古屋に立ち寄った。ラダックのティクセで旅行会社とゲストハウスを営む、ツェワン・チンレイさんと妻の裕子さん、娘のミラちゃんとお会いするために。

三人とは去年の夏のラダック以来、半年ぶりだったのだが、お元気そうで何より。「タカさん、日本にいるのが似合わないですね〜」と思いっきり言われてしまった(笑)。やっぱ似合わないんだろうな。

栄の地下街で味噌カツ定食を食べた後、裕子さんの提案で、熱田神宮に参拝に行く。古くからの立派なお社で、人出もすごくてびっくり。おみくじを引いてみたら、大吉。元旦に岡山の吉備津神社で引いたのは凶だったのだが‥‥。いい方を信じよう(笑)。

ツェワンさんたちは僕が新幹線に乗る直前まで付き合ってくれて、コメダ珈琲店でお茶を飲みながら、積もるよもやま話をした。裕子さんが「私たちは、ぼちぼちやっていこうと思ってます」と言っていたのが印象に残った。結果を求めて一足飛びに焦って取り組むのではなく、できる範囲で着実に歩を進めていく。僕も「ぼちぼち」を心がけなきゃな、と思った。

また、夏か冬に、ラダックで再会できるといいな。

一人で生きるという力

昨日の深夜は、J-WAVEで「沢木耕太郎 MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ 2012」を聴いた。年に一度、クリスマスの夜に放送される恒例の番組。沢木さんの飾り気のない穏やかな言葉と、それに符合するような渋い選曲を今年も楽しませてもらった。

番組の最後に沢木さんが口にした言葉がある。「一人で生きるという力を身につけるために、人生から降りずに何かをし続ける」。沢木さんのお父様が、ご高齢になられても辞書を引きながら英語の本を読もうとされていた痕跡を見つけたというエピソードからの言葉だったのだが、心に沁みた。

人は、誰かと関わり続けながら生きている。だからといって、一人で生きる力がなくてもいい、というわけではない。一人でも生きられるけど、集団や社会に属している。一人でも生きられるけど、他の人と支え合っている。一人の人間としての生きる力、逞しさを高めるために、常に何かにトライし続けることの大切さ。沢木さんが言いたかったのはそういうことだったのかな、と僕は思った。

一人で生きるという力。僕がその大切さをまざまざと思い知らされたのは、ラダックで過ごした日々でのことだった。少数民族ならではの小さくて緊密なコミュニティで、ラダックの人々は互いに支え合って生きている。でも、これ以上ないほど苛酷な自然の中で暮らす彼ら一人ひとりの「生きる力」の強さは、僕の想像をはるかに上回る、とてつもないものだったのだ。それはいささかショックだったし、自分をさらに高めよう、少しずつでも一人でできることを増やしていこう、と思い直すきっかけにもなった。

で、今は‥‥どうなんだろ(苦笑)。とりあえず、自炊くらいはできるようになったけど。まだまだだな。