この間のアラスカ取材で拠点にしていたのは、ケチカンという街だった。南東アラスカの入り組んだフィヨルドの只中にある人口8000人ほどの街で、ほかの街と陸路ではつながっておらず、漁港と水産加工、あとはクルーズ船の寄港地として知られている。
クルーズ船が接岸するあたりが街でもっともにぎやかな地域で、たくさんの土産物屋やレストラン、酒場などが集まっているのだが、その一帯以外は、どこもさびれていると言っていいほど閑散としている。寂しい街だな、というのが、ケチカンに対する僕の印象だった。
僕が泊まっていた安ホテル(といっても円安の影響でかなり高い)は、街の中心から2キロほど離れた場所にあった。すぐ近くにセーフウェイという大きなスーパーといくつかのテナントが入ったビルがあり、マクドナルドもそこに入っていた。そのあたりにはほかに手頃なレストランも見当たらなかったし、食費を節約する必要もあったので、僕はほぼ毎日、マクドナルドで晩飯を食べていた。それでも、普通のクォーターパウンダーのセットメニューが2000円もするので、青息吐息の心境だったが。
街外れのさびれた雰囲気を反映するかのように、そのマクドナルドの店内にはいつも、どことなく物悲しい空気が漂っていた。毎日通っていると、いろんな人を見かけた。
ある日は、隣の席で、二人の若い男がそれぞれノートPCを開いて、動画の編集作業に取り組んでいた。なぜわかったかというと、一方の男が、常にスピーカーオンの状態で、自分たちで撮ったらしい動画をけたたましく再生させていたからだ。その男は動画を何度も再生させたり止めたりしながら、「な、これウケるよな! めっちゃおもろいな! な! な!」と一人笑いながら、ひっきりなしにもう一方の男に話しかけていたのだが、もう一方の男はずっと、まったく口を開かずに、黙々と作業を続けていた。
別のある日には、レジの前で、恰幅のいい白髪の白人の男が、同じくらいの体格の黒人の男に対して、急にキレて、怒鳴り散らしはじめた。ものすごい大声で「お前は……レイシストだ! このレイシストめ! ○○○○! ××××!」と叫んでいる。黒人の男は、ただただ困惑していた。それはそうだろう。店内の誰もが、状況を理解できずにいた。
マクドナルドのレジには、白髪に眼鏡をかけた、痩身の老人が座っていることが多かった。最近はほとんどの人がタッチパネルの機械で注文するので、レジでの店員の役割はカードや現金の受け渡しくらいなのだが。たまに、外の駐車場にいる客に商品の入った紙袋を届けに行ったりする時、その老人はふらふらした足取りで店内を横切り、外に出かけていた。あの年齢で、この小さな街のマクドナルドで働くのには、何かわけがあるのだろうか。
何も特別なことは起こらなかったけれど、あのマクドナルドで目にした光景は、ある意味、アラスカで暮らしている人々のありのままの日常だったのかな、と思う。
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ツェリン・ヤンキー『花と夢』、『チベット女性詩集 現代チベットを代表する7人、27選』、ともに読了。前者は、やむにやまれぬ理由で故郷を離れ、ラサのナイトクラブで身を削って働く四人の女性の悲しい物語。後者は、チベットの女性詩人たちがチベット語で書いた現代詩を厳選し、コラムとともに編んだ詩集。この二冊を併せて読むと、現代のチベットとチベット人、特に女性たちの置かれている状況がよく理解できる。もちろん、文学作品としてもどちらも素晴らしい本で、星泉先生が訳した『花と夢』は第61回日本翻訳文化賞受賞、海老原志穂先生が訳した『チベット女性詩集』は第60回日本翻訳文化賞翻訳特別賞を受賞している。チベットに興味のある人にはおすすめの二冊。