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三歩で忘れる鳥頭

仕事の関係先から、今時珍しく、CD-Rでデータを郵送してほしいという連絡が来た。部屋の中をあちこちガサゴソ探して、運よく未使用のCD-Rを1枚だけ発掘。データをコピーし、ラベル面に内容を書いておこうと油性マジックのふたを開けると、ぱっさぱさに乾ききっていた。そういえば、本にサインを入れたりするのには、最近はずっとぺんてるの水性サインペンを使っていたんだった。油性のやつを買ってこなければ。

夕方、冷え冷えとした空気の中、近所のコンビニへ。道すがら、そういえば明日は取材で午前中から出かけるから、朝起きてすぐ食べられるものを何か買っておかねば、と思い当たる。店に入り、照り焼きチキンと玉子のサンドイッチと、赤飯おこわのおにぎりをカゴに入れる。飲み物はどうしよう、明日の朝に近所の自販機で缶コーヒーを買う方がいいか、ほかに何か晩酌の肴になるようなものを買っておくか、燻製チーズがいいか、焼き辛子明太子もいいな、いやいや肴は我慢して節制するか……。

……おい。油性マジック。

当初の目的をすっかり忘れて、危うくそのままレジに行ってしまうところだった。鳥頭にもほどがある。

取材で遠出

午前中から、松戸で取材。朝のラッシュアワーの中、三鷹始発の東西線で移動。すぽっと運良く座れて、大手町までは体力温存。そこから千代田線と常磐線に乗り換え。何だかんだで、家を出てから2時間近くかかった。

どうにか取材を終えた後、松戸駅前でラーメンでも食べようかと思ったのだが、この寒風吹きすさぶ中、人気の店たちの前には長蛇の列。松戸って、そんなにラーメンの名所とかだったっけ? 列に並ぶ気力は残ってなかったので、マクドナルドですきっ腹を満たす。

来たのと同じ道のりをえっちらおっちら引き返し、スーパーで買い物とかして家に着いた頃には、もう夕方。今週、木曜と金曜に同じ松戸で、もっとたんまり取材がある。疲れそうだな……。

個性的な旅人たち

昨日に引き続き、「旅の本を作るという仕事」というテーマについて考えていた時、もう一つ、ふと思い当たったこと。

最近、普通の旅行者とはかなり違った「個性的な旅人」を標榜する人、あるいは目指している人が多くなったように感じる。職業の肩書きであったり、特殊な旅の仕方であったり、服装とか、行く先々でのお約束的な行動とか、その他にもいろいろある。よく考えつくなあ、面白い、と感心させられるものも少なくない。

ただ、人によっては、旅人としてのプロフィール欄を飾ることに執着しすぎているというか、自分自身をキャラクター化、タレント化することに気を取られすぎているというか、そもそも、そのキャラ設定で旅に出る理由と必然性は何なの? と勘ぐりたくなる事例もちらほらあるように思う。それで「自分の旅の経験を本に書きたいんです!」という人には、旅先で見聞きして感じた経験を読者に伝えたいのか、それとも旅先で面白いことをやらかしているキャラ化した自分の武勇伝を書きたいのか、どっちなんだろう、と思ってしまう。目的が後者であれば、別に無理して旅に出なくてもいいような気もするのだ。

旅の仕方は人それぞれ、自由であっていいとは思う。ただ、僕自身は、旅の本を選ぶなら、自分が興味のある土地の文化や人々の様子が丁寧に描かれている本を選びたい。

仕事の旅と自分の旅

来月、「旅の本を作るという仕事」というテーマのトークイベントに出演することになったので、何を話そうかとあれこれ考えているうちに、ふと思い当たったこと。

たとえば、旅にまつわる文章を本や雑誌に書く仕事をしたいと志している人がいたとする。で、それに必要なスキルを身につける仕事としては、旅行関係の雑誌やムックやガイドブックを作っている会社や編プロで働くのが近道だ、と世の中の多くの人は考えると思う。僕も最初はそうなんだろうなーと考えていたのだが、あらためて、自分の知っている腕利きの旅行作家や旅写真家の方々の経歴を思い返してみると……そういうステップを踏んでいない人の方が、ずっと多かったのだ。

旅行関係の媒体を作っている会社に勤めると、独立した後も役立つ人脈を形成できるというメリットはある。でも、早い段階から仕事として課せられた旅をくりかえすことで、旅や異国に対する新鮮な感覚が磨耗してしまうかもしれないデメリットもある。実際、以前関わっていたある旅行関係の編プロにいた人は「もう取材に行きたくない……疲れた」と、うんざりした顔でぼやいていたし。

本や雑誌作り自体に必要なスキルは、別ジャンルの本や雑誌の仕事をしていても、まったく問題なく身につけられる。むしろ、若い時期ほど、行きたいと思った時に自分の好きなように旅をして、本当の意味で自分らしい経験を自分の中にたくわえていった方が、スキルと経験のバランスが取れた時に良い成果を生み出せるような気がする。あくまで僕個人の推測だけど。

仕事の旅は、自分自身の旅を満喫した後でも、いくらでもできる。自分の旅を楽しむ方が、ずっと糧になると思う。

プロとアマチュア

撮り・旅!」という本を作ったのがきっかけになったと思うのだが、旅の写真を撮っている写真家の知り合いが増えた。プロとしてそれを仕事にしている人だけでなく、アマチュアの人も含めて。

ある人は、そんじょそこらの自称プロカメラマンよりずっとセンスの良い写真を撮っているのだが、「今の仕事が好きだから」と、プロになろうとはせず、フォトコンテストに応募したりもせず、ただ旅をして写真を撮るのを楽しんでいる。別の人は、フォトコンテストハンターと呼べるほどいろんな賞をもらっていて、一時は著名な写真家への弟子入りも検討したものの、悩んだ末、今の仕事を続けていくことを選んだという。

プロとして好きなことを仕事にして、それで生活していくことだけが正しい選択肢だとは、少なくとも僕は思わない。そもそも、「好きなことを仕事にして生活しているかどうか」は、その人の生み出すものの価値を判断する要素には含まれない。ただ、プロとして退路を断って覚悟を決めることが良い結果を出す原動力になる人もいるだろうし、「自分はプロじゃないから」という言い訳が詰めの甘さにつながっているアマチュアの人もいるだろう。

プロとアマチュアの違いは、仕事として引き受けてその報酬にお金をもらうのと引き換えに、自分の生み出したものに対して責任を負う、という点なのだと思う。僕自身、文章、写真、編集と、結果的に三足もの草鞋を履いてしまっているわけだが、どの分野でも絶対に言い訳はせず、プロとして責任を持っていきたいと思っている。自分自身に、甘えないように。