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自宅で夜勤

今日の道路工事の破壊力は凄まじかった。マンションの生け垣沿いの細い道に新しい側溝を掘るらしく、切断の音、砕く音、掘り返す音、パワーショベルや発電機の駆動音‥‥。頭がくらくらした。これはもう、まともに暮らせないレベルの騒音だ。

当然ながら、日中はまったく仕事にならず、騒音の中でメールや電話をやりとりしたりして、今日の工事が終わるのをひたすら待つ。早めに晩飯を食べてシャワーを浴び、夜に入って静かになったところで、ようやく仕事開始。深夜まで推敲作業を続ける。しかし、釈然としないなあ‥‥。

ここ最近、朝はドリルの音で叩き起こされ、日中は部屋で何もさせてもらえず、せいぜい外で(自分の金で)コーヒーでも飲んで時間を潰すしかない。自宅で仕事してるのに、夜勤しかできないなんて、アホらしすぎる。別に緊急性が高いわけでも何でもない、年度末おなじみのムダな工事のせいで‥‥。

この工事、三月まで続くらしい。がっかりだよ、武蔵野市。

冷却期間

この三日間、まったく仕事をしていない。忘れないうちにする必要があった台割の手直しや、メールのやりとりはしたが、書き上げた草稿に関しては、ファイルを開いてすらいない。金曜は外に出かけたけど、土日はひたすら、ぼーっと過ごしていた。

長い文章を書き上げて、そこから推敲作業に取りかかる前に「冷却期間」をおくことは、自分の経験上、かなり重要だと思っている。ノッて書けている時は、ともすると気が逸ってどんどん作業を進めてしまいたくなるけど、そこであえて間を置くと、適度に冷めた目で原稿を振り返ることができる。そうすると、それまで見えてなかったアラが、次から次に見えてくるものなのだ。

冷却期間も三日おいたことだし、明日からは、ばりばりと推敲作業に取りかかる予定。

あっけない登頂

ここのところ静かになったと思っていたら、今朝、また道路工事のドリルの音で目が覚めた。今日は、僕の部屋の窓のほぼ真正面。音と振動で、もう何もできない(泣)。

彼らの昼休みの間にそそくさと仕事を進め、午後半ばに再びうるさくなってきたところで、いったん休止。スーパーに晩飯の食材を買いに行き、ついでにコンビニで立ち読みして時間を潰す。何で俺がこんな目に‥‥。

夕方、ドリルが轟く中で早めに晩飯をすませ、風呂に入った頃になって、ようやく静かになった。執筆再開。しばらくゴリゴリと書き進め、情報を整理して‥‥。あれ? 次のページは?

気がつけば、最後のページまで到達していた。あっけない登頂。本格的に書きはじめて、約二カ月。データを合わせて数えてみたら、11万字ちょっと。ふー。やれやれ。

まあでも、この後、最初から最後まで推敲して、全体のトーンや表記を統一したり、不用意にだぶってる表現を調整したり、いろいろ手直しをしなければならない。まだまだこれからだ。

とりあえず、明日は気晴らしに、ぶらっと都心に出かけてこよう。

本づくりに必要なもの

僕はこれまでに何冊か本を書いているけれど、本を出すまでのパターンには、おおむね二通りある。

一つは、出版社の知己の編集者さんから「こういう企画があるんだけど」と執筆を打診されるパターン。具体的なコンセプトが固まっている場合もあれば、ざっくりしたお題だけを振られる場合もあるし、前に雑談レベルで僕が話した内容が先方で企画化されて戻ってくる場合もある。このパターンでは、執筆を引き受けた後、僕の方で細かい構成案を組み、編集者さんと擦り合わせを行い、ゴリゴリと書き進めていく。「いちばんわかりやすい電子書籍の本」「人が集まるブログの始め方」「広告マーケティング力」といった実用系の本がこのパターンに含まれる。

もう一つは、僕自身が企画を作り、出版社に持ち込んで採用してもらってから本を作るパターン。「ラダックの風息」と「リトルスターレストランのつくりかた。」、そして今作っているラダックのガイドブックがこれに当てはまる。僕は基本的にひねくれ者なので(苦笑)、ラダックについての本のように、普通の人の発想だと採用されるのがちょっと無理めなテーマでも、あえて企画化して持ち込む。だって、それが書きたいんだから。昨日のエントリーにもつながるけど、僕自身も、ものすごく個人的な動機で本を書いている。

この間、ガイドブックの担当編集者さんと話をしていた時、「山本さんがあの時、すごく熱心にプレゼンしてくれたから、この企画は通ったんです。そういう熱意が、本づくりには一番大切なんだと思いますよ」と言われた。熱意はあっても、最低限の実力と周到な準備が伴っていなければ、いい本を作ることはできない。でも、何もかもを揃えた上で、最後の最後に必要なのは、やはり熱意なのだと思う。個人的な動機を、意地でも貫き通す熱意が。

そうして作られた本は、必ずしも万人に受け入れられる本にはならないのかもしれない。でも、その熱意こそが、本に魂を宿すのだと、僕は今も信じている。

スペシャリストの矜持

かれこれ十年以上、フリーランスで編集とライティング、最近はたまに写真の仕事をしているけれど、ここ数年、各社から支払調書が届く時期になってあらためて思うのは、「ギャラの相場、下がったなあ‥‥」ということ(苦笑)。

言い訳すると、これは別に僕に限ったことではなくて、世の中のライターやフォトグラファー全般に共通する状況だと思う。業種や人によると思うが、たぶん、三、四割は下がっているのではないだろうか。どんよりと回復の兆しすら見えない出版不況が続いているとはいえ、適正価格というにはあまりにも安すぎる。同業者の友人は、先日、1ページあたりの原稿料にコンビニの時給並みの金額を提示され、さすがに断ったらしい。そりゃそうだ。

パソコンがあれば誰でも原稿は書けるし、カメラがあれば誰でも写真は撮れる。でも、僕たちが書く原稿、僕たちが撮る写真は、誰にでも生み出せるものではない。少なくとも、僕たちがそういうスペシャリストとしての矜持を持ち続けなければ、本や雑誌という存在そのものが、根腐れしてダメになってしまう。

スペシャリストをナメんなよ、ということで、関係各社の方々、よろしく。