ここ数年、自分の仕事の範疇に写真というものが入ってきているせいか、「どんなカメラを使っているんですか?」とか「あのレンズはどう思いますか?」といったことをたまに人から聞かれるようになった。ここでは、僕が使っている撮影機材について、ひと通り開陳しておこうと思う。
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写真の迷い
今年の夏のラダックでは、写真の撮り方について、さんざん悩んだ。
「ラダックの風息」を書くための取材をしていた頃は、がむしゃらというか、必死というか、無我夢中でシャッターを切り続けていた。小手先のテクニックなどいっさい使わず(というか、そんなもの何も知らない)、真正面からの体当たり。だからこそ撮れた写真もあったし、ラダックの自然や人々にも、素直な気持で向き合うことができたと思う。
だが、ラダックという場所に慣れ、言葉を覚え、自分なりの撮り方が固まっていくうちに、本当にこの撮り方だけでいいのだろうか、という疑問が頭をもたげてきた。子供のかわいい笑顔が撮れたら、それで満足なのか? 笑顔は確かに魅力的だけど、それ以外の写真を撮る選択肢もあったかもしれないのでは? と。
滞在中、そんなことを考えているうちに、写真を撮る時、なんとなく迷いを感じるようになった。たぶんそれは、テクニック面ではなく、気持の面での問題だったのだと思う。なまじ、ラダックでいろんなことに慣れてしまったから、その上で、どういう気持、どういう心構えで写真を撮っていけばいいのか、わからなくなってしまったのだ。
一枚々々にきちんと気持を込めて写真を撮り続けるには、その気持をどういう方向に向けて放っていくのかを確認しておかなければならない。自分が伝えたいことは何なのか? それは自分にとって何なのか? そこがはっきりしていれば、どんな場面に遭遇しても、脊髄反射でシャッターを切ることができるはず。だが、今回のラダック滞在では、そこがちゃんと固まりきっていなかった。納得のいくカットより、反省すべきカットの方がはるかに多かった。写真の難しさ、写真の怖さというものを、今さらながら痛感している。
迷いは、今も晴れてはいない。さて、いったいどうしたものか‥‥。次にラダックに戻る前に、短期間でいいからどこか別の場所を撮りに行って、自分の撮り方を再確認してみてもいいのかもしれない。
インドの変貌
インドを訪れたのは約二年ぶりだったが、その急激な変貌っぷりには、つくづく驚かされた。
今年十月に開催されるコモンウェルスゲームに備えて、デリーの街はどこもかしこも道路工事現場だらけ。パハルガンジに至っては、道にはみ出していた商店の軒先が無理やりぶった切られてしまっていて、もうメチャクチャな状態だった。大会の開幕までにはとても間に合いそうになかったが‥‥間に合わないだろうな、やっぱり。
デリー国際空港では、七月に第三ターミナルが新しくオープンしていた。このターミナルは、本当にピッカピカのゴージャスな造りで、ふかふかのソファが並んだラウンジや、こじゃれたコーヒーショップや、ガラスの蓋をかぶせて並べられた高級クッキーの店などがあった。最近のインド経済の好調さを象徴するような光景。インド本来のイメージとはちょっとかけ離れているかもしれないが。
変わったといえば、エアインディアも変わった。老朽化して機内の至るところが微妙に壊れていた(苦笑)ジャンボ機に代わって、最新型のボーイング777が就航。エコノミークラスでも座席はゆったりしていたし、各座席には液晶モニタが備え付けられていて、いつでも好きな映画を選んで観ることができた。ジャンボ機だった頃の苦行のようなフライトに比べると、嘘のような快適さだ。
でも、機体が最新型になっても、エアインディアのキャビンアテンダントはあいかわらずだった。隣の人のコップに水を注ぐ時、下にトレイも何も添えなかったせいで僕の膝にどぼどぼと水をこぼしてしまい、しかもそれを詫びることもない(苦笑)。アバウトというか何というか。
帰りの飛行機の中で、キャビンアテンダントがドリンクのカートを運んできたので、ビールを頼むと、ぬっ、と缶ビールを二本差し出してきた。「一本でいいですよ」と伝えると、そのキャビンアテンダントはこう言った。
「ワン・ビア? グッド!」
何がグッドだ。君にタメ口で酒量の節制を褒められるいわれはない(笑)。
おおざっぱになる
ラダックから日本に戻ってきて、痩せたことと、日焼けしたこと以外で自分が変わったなと思う点。それは、普段の立ち居振る舞いが、びっくりするほどおおざっぱになっていたことだ。
たとえば、外出先から帰ってきた時、財布や鍵と一緒に、眼鏡やiPhoneまでぽいっと机の上に放り投げそうになったり。洗面所で、ばしゃばしゃとそこら中に派手に水を飛び散らせながら顔を洗ったり。台所でインスタントラーメンを作る時、説明書をまったく無視して行き当たりばったりに作ったり。うまく説明しづらいのだが、とにかく、やることなすこと、ものすごくテキトーでおおざっぱになってしまったのだ。これでも、自分は結構神経質な人間だと思っていたのだが‥‥。
たぶんこれは、僕がラダックに行っていたからというわけではなくて、長旅から帰ってきた人間に共通する症状なのかもしれない。長い間、ざっくりおおらかな日々を過ごしてきたから、日本のきちっとした暮らしぶりに自分をアジャストできていないのだろう。
まあ、何から何まで戻してしまう必要はないと思うけど、とりあえず、眼鏡やiPhoneをうっかり放り投げそうになるのは直さなくては(笑)。
日に焼けた肌
この週末、吉祥寺や三鷹の界隈では、あちこちでお祭りが行われていた。ちょっと近所を出歩いただけでも、法被姿の人たちが「ワッショイ、ワッショイ」と声を上げながらお神輿を担いでいるのに何度も出くわした。今年の夏はずっと日本にいなかったから、ようやく夏が来たと思ったら、あっという間に駆け去られてしまったような気がする。
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ラダックから日本に戻ってくると、「痩せましたね」と同じくらいよく言われるのが、「日焼けしましたね!」という言葉。確かに、顔や二の腕などの服の外に出ている部分は今や真っ黒焦げの状態だ。ただ、僕はもともと色白なので、あと一カ月もすれば元に戻ってしまうに違いない。夏らしく健康的に見えるのは、たぶん今のうちだけ(笑)。
ところで、「ラダック人は肌の色が浅黒い」と思っている人は多いようだが、実はあれも日焼けによるものだ。服の下は結構生っ白い肌だったりするので、それを見ると、同じモンゴロイドなのだなと実感する。逆に言えば、それだけラダックの日射しが強烈ということなのだが。
東京で、雪のように白い肌をした女の子たちが、日傘の陰で身体をすぼめるようにして歩いているのを見ると、あー、僕はもう、ラダックで紫外線を一生分浴びてしまったのかもなあ、と思う。