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青色吐息

ここ2、3日、ブログを書くような余裕はまったくなかった。それもこれもすべて、青色申告のせいである。

先週土曜の午後、知人が関わっているフリーランス向けの青色申告のセミナーに参加して、割と具合のよさそうな青色申告用のソフトを紹介してもらったので、日曜からいざ、と取り組んでいるのだが、いやもうほんとに、はてしもなく長い長い道程で‥‥。初心者にはわけのわからない用語ばかりだし、仕訳の仕組みもさっぱりわからないし、おっそろしく消耗した。わけのわからん理系の原稿を5万字くらい書かされた気分(苦笑)。

それでもまあ、ちまちま入力してるうちに少しずつソフトの仕組みにも慣れてきて、金額的にも通帳とほぼ合致するくらいまで整ってきたのだが、それでも気分はさっぱり上がらない。そりゃそうだ。儲かりまくってウハウハならともかく、今のていたらくじゃ、青息吐息ならぬ、青色吐息だ。

あー。もっとビッグな身分になりたい。そしたら税理士の先生に、メンドクサイことを全部丸投げできるのに(笑)。

リスクについて

十数年前、約半年をかけてアジアを横断する旅の途中、パキスタンのペシャワールに何日か滞在していたことがある。当時のパキスタンは今と比べるとまったく平穏な状態だったが、隣国のアフガニスタンは、タリバンの台頭に伴う内乱によって混迷を極めていた時期だった。

ペシャワールの安宿のドミトリーには、僕以外にも結構大勢の日本人旅行者が泊まっていた。彼らの間では、どうやったらペシャワールからアフガニスタンに入って戻ってこられるか、という話題でもちきりだった。カメラなどをいっさい持たない状態で入れば、途中でタリバンに捕まっても大丈夫らしい、とか何とか。彼らがアフガニスタンに行きたい理由は、単に怖いもの見たさの好奇心と、危ない国に行ってきたと周囲に自慢したい功名心でしかなかった。僕はそんな彼らの話を聞きながら、心底くだらない、と思っていた。

異国を旅したり、あるいは暮らしたりしていると、常にある程度のリスクがつきまとう。時にはどうにも避けようがない事態も起こりうる。ただ、常に用心深く行動して、冒さなくてもいいリスクを冒さないようにすれば、そうした確率をぐっと減らせることは間違いない。あの時、ペシャワールから物見遊山な気分でアフガンに行こうと話していた日本人たちは、まったく冒す必要のないリスクをわざわざ抱え込もうとしていた。

世界各地の紛争地帯で活動するジャーナリストたちは、その地で起こっていることの真実を伝えるという目的のため、リスクを冒してまでも危険な場所に赴く。ジャーナリストにも正直ピンからキリまでいろんな人がいるが、彼らは危険な状況下でも、彼らなりに最大限のリスクマネジメントをして、身の安全を図ろうとしている。それでも時には判断ミスをしたり、万全を期していたのにどうにもならない事態に巻き込まれたりすることはありうる。

心あるジャーナリストであれば、自分がリスクを冒して危険な地域に入った結果、危機的な状況に陥ってしまったら、それを非難されても仕方ないと思うだろうし、逆に聖人君主のように祀り上げられたら違和感を感じるだろう。常にそういう覚悟を持って取材に臨んでいる人は少なくないと思う。

ただ、さしたる覚悟も切実な目的も持たない人が、異国の地で、単なる油断と不注意によるリスクを冒し続けるのは、愚の骨頂だ。自分自身、あらためてそのことを肝に命じたいと思う。

命の軽さ

夕方、歩いて吉祥寺へ。まめ蔵でカレーを食べた後、無印良品でポリプロピレンの収納ケースと、小さめのパルプのケースを購入。部屋の中のものをいろいろ整理したかったので。

ケースを持って歩いて帰る距離を縮めたかったので、吉祥寺から三鷹までひと駅電車に乗ろうと思ったら、中央線も総武線も動いていない。すわ、また人身事故かと思ったら、強風で架線にビニールがひっかかったのを取り除くためだったらしい。ほっとした。

東京に住んでいて、きついなあと思うことの一つは、鉄道での人身事故の多さだ。そのほとんどはおそらく投身自殺なのだと思うが、もはや日常茶飯事といっていいほどの頻度で発生するので、ともすると、その瞬間に一人の人間の命が消えていったという事実に対して、自分の感覚が鈍くなってしまっているのではないか、とさえ思ってしまう。

二、三年ほど前だったと思うが、自分が乗っていた中央線の列車が、荻窪駅で人身事故を起こしたことがある。その時、電車はいつもより少しだけ唐突に駅に止まり、ドアはしばらく閉ざされたまま。やがて淡々とした調子で「この列車で人身事故が発生しました。しばらくお待ちください」というアナウンスが流れた。その瞬間、車内では何の声も上がることなく、ただただ、ぎゅうっと重い空気がたれこめた。10分ほど経って僕たちは、車内を移動して後方の車両から順次外に出て、総武線や丸ノ内線に乗り換えるように指示された。僕たちが人身事故の現場を目の当たりにする場面は一切なかった。今思うと、完全にマニュアルに沿った対応だった(それが悪いという意味ではなく)。

あの時、散った命が、どんな人のものだったのか、知るよしもない。大切な用事で急いでいた人にとっては「ふざけるな」と思える出来事だったかもしれない。でも、この東京で人身事故で電車が遅れるたび、ほぼ確実に一つの命が消えていっているという事実は、きちんと噛みしめなければ、と思う。それを思い出すたびに、暗鬱な思いに心を曇らせることになったとしても。

人の命は、いつから、こんなに軽く、あっけなくなってしまったのだろう。

踏み外しまくる人生

今までの自分の人生をふりかえって、日本の社会の価値観みたいなものに照らし合わせてみると、何というか、とにかく踏み外しまくってきた人生なんじゃないかなと思う。

大学では自主留年して、卒業するまで六年もかかっている。その後も、正社員として企業に就職することは一度もなく、バイト(肉体労働もやった)や契約社員の仕事を転々としては、ふらっと旅に出ていた。やがて、成り行きでフリーランスというわけのわからない立場になり、それでもそれなりに安定してきたと思ったら、全部放り出してインドの山奥に一年半も行ってしまった。今、受験勉強や就職活動にいそしんでる若い人たちから見れば、たぶん絶対に真似したくない、ちゃらんぽらんな人生だろう。

僕自身、その時その時は何の余裕もなくていっぱいいっぱいだったけれど、今思うと、そうして踏み外しまくってきたからこそ出会えた、かけがえのない体験もたくさんあった。そうした体験の一つひとつが、今の自分を形作ってくれたと感じている。安定しているように見えた道を踏み外してから初めて、本当の意味で自分自身の人生が始まったとさえ思っている。実際、結構いろいろ面白かったし(笑)。

受験に失敗したり、就職活動に行き詰ったり、その後の人生でつまずいたりしても、きっと大丈夫。踏み外した先には、必ず別の道が続いている。他人に迷惑をかけないことを心がけながら歩いていけば、そのうち何とかなると思う。たぶんね。

つまらなくなる街

午後、ぼうぼうに伸びた髪を切ってもらうため、三鷹の南口にある理髪店へ。

駅を抜けて階段を降り、細い道に入ると、左右に並ぶ店が、軒並み閉店してしまっている。このあたりに再開発で高層ビルが建てられるという話は、少し前から聞いてはいたが‥‥。昔ながらの喫茶店やごはん屋さんが、ひっそりと入口を閉じ、閉店のお知らせの貼り紙を貼っている。無念さのにじむその文面を見ていると、何だかやるせなくなる。

三鷹だけでなく、中央線沿線のあちこちで、似たような再開発が次々に行われていると聞く。再開発を十把ひとからげに悪いと決めつけるつもりは毛頭ないけれど、どこもかしこも、つるんときれいな外観のビルに、どこかで見たような小洒落たテナントが並んでいる街は‥‥つまらないんじゃないかな、やっぱり。少なくとも、個人的には。

本当の意味で、街を面白く、居心地よくするのは、大仰な都市開発とかではなく、一人ひとりの小さな営みなんじゃないかと、僕は思う。