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「PK」

pk
今年インドまで往復するエアインディアの機内で、一番観たかったのが「PK」。「3 Idiots」以来のアーミル・カーンとラージクマール・ヒラニ監督のコンビで、ヒロインはアヌシュカー・シャルマーとくれば、絶対面白いに決まってる。成田からデリーに向かう機内ではまだ入ってなかったのだが、2カ月後に帰る時には、満を持してたっぷり堪能することができた。

この作品、あらすじに触れようとすると‥‥スタート直後からいきなり、まじか!の展開なので、そのとんでもない衝撃をネタバレしないように説明するのは、ものすごく難しい(苦笑)。なので、どんなストーリーなのかはあえて書かないでおこうと思う。

この作品で重要なテーマとなっているのは、「神」だ。国内に多種多様な宗教がひしめくインドが主な舞台だからこそ活きるテーマだが、ともするとセンシティブで扱いにくいとみなされがちな「信仰」について、PKが素朴でまっすぐな視線で捉えていくプロセスが、観ていてなるほどと腑に落ちたり、そういえばそうだなと気付かされたりで、さすがヒラニ監督、さすがアーミル、と唸らされた。それでいて、説教臭さは微塵もなく、ちゃんとした極上のエンターテインメント作品に仕上がっているのだ。えーっ!と度肝を抜かれる衝撃の展開も、クライマックスから伏線を回収しまくりながらラストになだれ込む際の爽快感も、存分に楽しめる。この作品がそれまでのインド映画の歴代興収記録を軽々と塗り替えたのも、当然の結果だと思う。

こういう作品こそ、日本に上陸してほしい‥‥。もちろん、ノーカットで。

それは本ではない

神戸連続児童殺傷事件の犯人が書いた本が、週間ベストセラーランキングで1位になったそうだ。版元は初版の10万部に加え、5万部を増刷。その一方、一部の書店では販売を中止する動きも増えているという。

この本については、出版社と著者が事前に遺族の了解を取っていなかったというその一点だけで、完全にアウトなので、内容の是非を論ずるに値しないと僕は考えている。出版社の社長がこの本についてどれだけそれっぽい社会的意義を並べ立てても、遺族の了解という絶対に外してはいけない手続きを確信犯的に外している事実に変わりはない。正直、反吐が出る。この本を書いた今では少年ではなくなった男にも、出版社の関係者にも、そして、遺族の了解を得ていないとわかっていながらこの本を買った人にも。

本は、人に寄り添い、支えるためのものだ。絶対に、傷ついた人の心をさらにえぐるようなものであってはならない。そんな本があるとしたら、それは本ではなく、紙クズ以下のものだ。

本を作る仕事に携わる者として、力を貸してくれるスタッフや書店員さんたち、そして読者に顔向けができないような本だけは、絶対に作らないようにしなければ、と思う。

仕事には仕事で

僕は今まで、仕事に関することで誰かに妬まれたりした経験がない。妬まれるほど成功していないし、そもそも守備範囲が特殊すぎて、周囲に他に誰もいないというのもある(笑)。

ただ、同業やそれに近い業界の人で、競合が多いジャンルで働いている人の中には、周囲との人間関係に苦労している場合も多いらしい。健全に競い合うならまだいいけど、健全でなくなってくると、いろいろドロドロしてくるのだそうだ。お互い様の場合もあるのだろうが、なんともめんどくさい話である。

仕事には、仕事で張り合えばいい。どちらが成果を上げるのかとか、そんな評価は世間に任せておけばいい。誰がどうとか、ねちねち気にしても何の意味もない。ものづくりや伝えることのプロなら、自分に納得できる形で仕事に取り組むことがすべてだと思うし。

それでもめんどくさいなら、僕みたいに、誰もいない荒地に行くといいと思う(笑)。

繋ぎ止めるもの

昼、綱島のポイントウェザーさんへ。マトン・ローガンジョシュのランチカレーセットをいただきつつ、店内で行われている有志の写真家の方々によるネパール写真展を見させていただく。

僕たち人間は、忘れっぽい生き物だ。震災の被害に喘ぐネパールのことも、戦禍に踏みにじられているシリアのことも、ともすると心の中で薄れていってしまう。今回のような写真展は、そうして薄れていきがちな記憶を繋ぎ止めるための役割を果たしているのだと思う。それはもしかすると、募金集めと同じかそれ以上に大切な役割かもしれない。

一番残酷な仕打ちは、苦しみの渦中にいる人たちのことを、忘れてしまうことだから。写真や文章には、そうはさせないための力がある。

100人中、何人?

僕は基本的にアマノジャクなので、世の中で100人中100人が「いい!」と言ってるものには、怪しんで近寄ろうとしないところがある。百万部のベストセラーの本とか、大ヒット街道爆進中の映画とか、ヘビロテされまくりの歌とか、長い行列のできるパンケーキ屋とか。それは感覚的にひねくれてるところがあるからだろうな、と自覚している。

文章なり写真なりで本を作る側の立場からすると、ビジネスの視点だけで考えれば、100人中100人が「いい!」と喜んで買ってくれるような本づくりを目指すべきなのかもしれない。でも、そうしたアプローチはほぼ間違いなく、うまくいかない。何を伝えたいのかがぼやけて、結局、面白くも何ともないものになってしまう。少なくとも、ひねくれ者の僕は、そういう本を面白いとは思わない。

少なくとも本づくりに関しては、作り手自身が面白いと思えるものをぶれずに目指すのが一番いいと思う。それが、100人中1人にしか届かなかったとしても、その1人の心をほんの少しでも動かすことができたなら、その本には、この世界に存在すべき価値がある。