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ありのままを

昨日の夜、ラダックガイドブックの初校が上がってきた。紙のゲラは明日届くのだが、一足先にPDFで全体の様子を見渡してチェックしている。

見ていて思うのは、何というか、「ラダックの風息」と同じ気配をまとった本だなあ、ということ。今回の本はガイドブックだから、内容も造りもまったく違うはずなのだが、全体を通じて伝わってくる気配は、まぎれもなく「風息」のものだ。書き手と撮り手とデザイナーが前と同じだから、というだけでは説明できない理由がある気がする。

たぶん、どちらも「ありのままのラダック」を伝えようと悪戦苦闘している本だから、そんな風に感じられるのかもしれない。伝わっているかどうかは、わからない。でも、僕が伝えたいことは、どちらの本にもありったけ、ぶち込んでいるという自負はある。

編集作業も、いよいよ佳境。最後まで気を抜かずに、いい本を作る。

自分らしい写真

写真家の石川梵さんが、「“決まり写真”はあまり好きではない。写真のよさは非演出の中にあるはず。現実は想像よりもずっと緩い」ということを書かれていたのだが、自分が日頃からうっすら感じていたことを言われた気がして、すとんと腑に落ちた。

僕自身、構図やポーズを作り込みすぎた写真というのはあまり好きではなくて、撮るかどうかは、その場の雰囲気や偶然に委ねてしまうところがある。狙って撮ることはあまりしないし、狙って撮る技術もあまりない。それは、専業の写真家として生きていくには致命的な欠点なのかもしれない。

でも、ラダックという場所で撮影の枚数を重ねてきた中で、僕が「自分らしい」と思える写真というのは、その場の偶然に身を委ねた中で、被写体との関係がたまたま映り込んだ写真なのかな、と感じている。自分の力でものにしたのではなく、対峙した人や風景に助けられた写真。その場所に、時間に、どっぷりと身を浸していたからこそ撮れた写真。あまり仕事にはならなさそうだけど(苦笑)、そんな写真をこれからも撮り続けていけたら、と思っている。

父とカメラ

富士フイルムが、X-Pro1という魅惑的なカメラを発表したというニュースをネットで知る。父が生きていたら、交換レンズも含めてごそっと買ってしまいそうなカメラだ(笑)。

ゴルフもパチンコも競馬もやらず、趣味らしいものもほとんどなかった父が、唯一と言っていいほど凝っていたのが、カメラだった。フイルム時代はキヤノンやミノルタを使い、デジタルに移行すると、(効率が悪いにもかかわらず)キヤノンとニコンの両方を担いで海外旅行に行くようになった。パソコンに写真をバックアップする環境作りについて、根掘り葉掘り聞かれたこともあったっけ。

可愛い孫たちを除けば、父が撮るのは、風景ばかりだった。高校の教師として働き続けた父。「人には疲れた。撮るのは風景でいいよ」と、前に僕にもらしたこともあった。安曇野にもう一つの家を構えて、山と自然を撮り歩いていたのは、そういう理由もあったのかもしれない。生まれつきの色覚異常で、色を見分けるのにも苦労していたはずなのに、そんなことは気に病むそぶりもなかった。

僕がしばらく前から写真も仕事にするようになったことを、父がどう思っていたのかは知らない。友人の方から、父が「いや、写真は息子には敵わないですよ‥‥」と笑って話していた、とは聞いたのだけれど。意外と負けん気の強い人だったから、そのうち自分もどこかのギャラリーで個展をやるぞ、というくらいには思っていたのかもしれない。

空の向こうで、父はどんなカメラで、何を撮っているのだろうか。

光の射す道を

大晦日と元旦は、岡山から来た実家の人間たち——母と妹の一家と、安曇野の家で落ち合って過ごした。冬至蕎麦を食べ、村営の温泉にどっぷり浸かり、雑煮とおせちを食べ、初詣に行っておみくじを引き‥‥。ここ数年変わらない、いたって普通の過ごし方。

違うのは、去年までは家族の輪の中心に当たり前のようにいた、父がいないこと。何をしていても、ひとり足りない、とどうしても思ってしまう。

それでも時間は流れ、人生は続いていく。僕たちは歩いていくのだ、光の射す道を。

皆既月食

今夜は皆既月食。東京で暮らすようになってずいぶん経つが、こんなよく晴れた夜空で、しかも月齢が満月の時に皆既月食を目にしたのは、ちょっと記憶にない。ひさびさに三脚を据え付けてカメラをセットし、寒い中でブルブル震えながら、何枚か写真を撮ってみた。

子供の頃、父に買ってもらった天体望遠鏡をベランダに据えて、月や星を眺めていた時のことを、ふと思い出した。