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木漏れ日を辿って

日の光に透ける若葉

たぶん、半年以上ぶりくらいに、山歩きに行くことにした。ルートは、家からのアクセスがラクな、陣馬山から高尾山までの縦走。なまりになまってる身体でも、尾根筋まで出れば、何とか歩けるだろうとの目論見もあった(苦笑)。

「好き」か「そうでもない」か

昼、取材先に行く前に、新宿でちょっと寄り道。コニカミノルタプラザで開催中の須藤明子さんの写真展「白く静かな空の下」を見る。冬の青森の景色を淡々と切り取った作品たちは、とても静謐で、でもどこか、心をざわつかせる。全然かけ離れてるかもしれないけれど、クーデルカの写真をちょっと思い出した。

写真にしろ、文章にしろ、修練を積んだ人によって一定以上のレベルに達した作品は、「いい」か「悪い」かで判断すべきものではないし、判断できないものだと個人的には思う。ある人にはどうということのない一枚の写真が、別の人の心に深く深く突き刺さることだってある。人それぞれに、「好き」か「そうでもない」かで見ていくことしかできないのではないかと思う。作品や作者に対してランク付けをしても、何の意味もない。

今日見た写真展は、僕としてはとても「好き」なものだった。会期は今週の金曜まで。

夕暮れの桜

夕陽に照らされた桜の花

昨日の午後は、小金井公園まで花見をしに行った。桜は八分咲きといったところだったが、たてもの園の前で桜の木々が密集しているあたりは、桜色の雲がふわーっとたなびいてるように見えるほどだった。途中のコンビニで買ったビールを飲み、屋台でたこ焼きを買って食べる。天気もはじめのうちは曇っていたけれど、帰る間際になって晴れてきた。夕暮れの光に桜の花弁が照らされて、とても綺麗だった。

今の仕事の立て込み具合だと、花見どころではない気もしないではないけれど、仕事は、他の日に根詰めてやれば、まだ何とかなる。でも、この美しい桜は、今年はこのタイミングでしか見られない。忙しさにかまけて、心を亡くすようなことはしたくないな、と思う。

本とブログの間を埋めるもの

最近考えていることを、まとまりのないまま、つらつらと書いてみる。

僕は、文章を書いたり写真を撮ったりして、それで本を作って世に送り出すことを仕事にしている。本以外では、ブログやSNSなどを使ったWeb上での情報発信もしている。僕の場合、本づくりとブログでの情報発信はまったく異質のもので、自分の中でもはっきりと区別している。ブログは、その時々の伝えたい情報や思うことを、わかりやすい形でタイミングよく発信していくためのもの。本は、自分が伝えたいことをきちんと突き詰め、徹底的に作り込んでいって、情報としても、モノとしても、ベストの形に仕上げ、ずっと後々まで残していくためのもの。そもそも、果たすべき役割がまったく違うのだ。

ただ、最近思うのは、この二つ以外の選択肢もあるんじゃないかな? ということ。ブログの気軽さと、本のモノとしてのよさとを併せ持ち、両者の間を埋めるような‥‥。最近、次第に注目されつつあるZINEやリトルプレスなどがそれに当たるのかもしれない。それで儲かるとはまったく思わないけれど、少なくとも赤字にならないような形で、ブログでも本でもない形の情報発信をすることの可能性は、検討する価値がある。実際、著名なフォトグラファーでもそうした取り組みをしている人はいるし。

一冊の本を仕上げるには、テーマによっては膨大な時間と手間がかかる。でも、その途上であっても、ブログ以外のきちんとまとまった形で情報を発信していくことはできる。来年以降の旅にまつわるプロジェクトは、もしかすると、そういう形になるかもしれない。

著者と編集者との関係

午後、六本木へ。「ラダックの風息」の担当編集の方とひさしぶりに会う。

仕事柄、編集者の知人は大勢いるけれど、本当の意味で互いの手の内をすべて晒して、あれこれぶっちゃけて話し合えるような編集者の知人は、たぶん数人しかいない。そういう信頼関係がないと、書き手あるいは撮り手としては、自分が大切にしている企画を委ねられないし、意見をぶつけあって質を高めていくこともできないと思っている。

今日のミーティングはすぐに何かにつながるというものではないのだが、僕が今抱えている悩みや葛藤について本当にざっくばらんに話し合うことができたので、それだけで何だか気持が軽くなった。いつかまた、こういう関係で本を作れたらいいなと思う。