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ラダックツアーとトークイベントのお知らせ

いきなりですが、お知らせを2つほど。

今年の夏、8月17日(月)から23日(日)頃にかけて、ラダックで催される現地発着ツアーのガイドを務めさせていただくことになりました。日本の旅行会社GNHトラベル&サービスと、サチさんが経営するラダックの現地旅行会社Hidden Himalayaとの共同企画ツアーです。詳細はこちらのサイトにて。

もう1つ、そのツアーの紹介もうっすら兼ねた形で、5月24日(日)の夜に下北沢の書店B&Bにて、ブータン写真家の関健作さんとのトークイベントを開催することになりました。関さんと僕がなぜ異国の地に向かったのか、そこで何に出会い、何を感じ、何が変わったのか、その根っこの部分から掘り起こすようなトークができればと思っています。イベントの申し込みはこちらのサイトにて。

どちらも、もしご都合の合う方がいれば、よろしくお願いします。

「本気を出す」ということ

出口の見えない出版不況の今、多くのフリーランスのライターやフォトグラファーにとって、厳しい状況が続いている。そんな中でも、新たにライターやフォトグラファーになりたいという人は世間には結構多いらしい。

たとえばライターでは、ウェブライターとかネットライターとかいう肩書きで、1文字0.5円とかそれ以下という異様に安い報酬で文章を量産している人も少なくないのだとか。報酬はお小遣い以下でも、それでライターを名乗れるのなら、ということなのだろうか。まあ、どんな仕事を選ぶのかは人それぞれだけど、正直言って僕には、1文字0.5円でしか扱われない仕事の積み重ねが、ライターとしての明るい未来につながっているとは到底思えない。そうやってただ無闇に量産されて忘れられていくだけの言葉に、はたしてどれほどの存在価値があるのだろう?

それでも、どうにかして真っ当なライターに、あるいはフォトグラファーになりたいという人は、一度、何らかの形で「本気を出す」べきではないかと思う。仕事の場で実現できるのが一番いいけれど、それが叶わないなら、自分のサイト上とかでも構わない。自分で自分に言い訳ができないくらい、本当の本気で、自分にとって一番大切な物事について文章を書いてみる、あるいは写真を撮ってみる。そうして全身全霊をかけて心血を注いで文章や写真に取り組んで、それを人に見てもらえば、自分自身の実力がどれほどのものかよくわかるし、その時点での自分の欠点も見えてくる。何より、なぜ自分は文章を書きたいのか、あるいはなぜ写真を撮りたいのかがわかってくる。

ライターになりたいからとか、フォトグラファーになりたいからとかではなく、何を書きたいか、何を撮りたいのか、どこかで一度本気を出して、周囲と自分自身に問いかけてみるといいんじゃないかなと思う。

Traversal from Mt. Jinba to Mt. Takao 2015

自然と人と

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この間、ほんの気まぐれに、Facebookのカバー写真を上の写真に変えた。すると、結構いろんな人からこんな風に聞かれた。

「これ、クマですよね。どうやって撮ったんですか?」
「いや、たまたまこういう場面に居合わせて、普通にそのまま」
「だって‥‥めっちゃ近くないですか、これ?」

この写真を撮った、アラスカのカトマイ国立公園のブルックス・ロッジは、アラスカの他の場所と比べても格段に近い距離で野生のブラウンベアの様子を観察できる場所として知られている。ロッジの敷地や川沿いに設けられている観察用のデッキまでの道などには、トランシーバーを持ったレンジャーが常駐して、人が不用意に近過ぎる距離でクマに遭遇しないように目を光らせている。ロッジを訪れる客も、まず最初にクマに関するレクチャーを受けなければならない。

そうはいっても、ロッジのすぐ近くの湖畔をぶらぶらしてるクマに、こんな風に結構な至近距離で行き合わせる可能性はある。そんな時に感じるのは、自分という存在の脆さ。このクマがほんのちょっと気まぐれを起こせば、僕なんて、簡単にぺしゃんこにされてしまうのだから。

人は、時に傲慢に自然を踏みにじり、取り返しのつかない仕打ちをする。軍の基地のために珊瑚の海を埋め立てるとか。でも、そうして人がこしらえたものは、往々にして長続きはしない。自然の側も、時に台風や地震や津波のように途方もない力で、人に災厄をもたらす。人は自然に対して、どんな風にして向き合っていくべきなのだろう。自然の中で、人は人として生きることを許された存在なのだろうか。

しばらく前から、そんなことを、ぼんやりと考え続けている。

がむしゃらに

この間、とある会社から、まったく予想もしてなかったような打診を受けた。最終的にそれが仕事という形になるかどうかはわからない、というか、そうなる確率はけっして高くないのだが、少なくとも、そういう打診をもらえたこと自体、僕にとっては一種の励みになるものだった。

で、それをきっかけに、あらためて思ったのだが‥‥やっぱり、もっと撮らないと、もっと書かないと、ダメだなと。去年の秋にアラスカに行った時、自分の中で何となくリスタートを切れたような気もしていたのだが、それにしては、今はまだ、写真も、文章も、全然足りてない。もっといろんな土地にばんばん出かけていって、目に映るもの、聞こえてくるもの、心に刺さるもの、かたっぱしから撮って、書いて‥‥それを形にできるかどうかは、場合によっては後回しでも構わない。

いい意味で、もっと後先考えず、がむしゃらに。今だからできること、今しかできないことを。