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奥華子「プリズム」

prism奥華子がデビュー10周年の節目にリリースした8枚目のアルバム「プリズム」。無色に見える太陽の光も、プリズムを通せば、七色に分かれて見えることに気づく。日々の暮らしの中で、あるいは自分自身の心の中で、さまざまなことに「気づく」のがこのアルバムのテーマかもしれない、と彼女は以前ラジオで語っていた。

確かにこのアルバムの中では、いろんな「気づき」が歌われている。思い出の中にいる人への気持ち。いつも支えてくれていた家族のぬくもり。身近すぎて気づかずにいた大切な人の存在。何気ないけれど自分にとってかけがえのないもの。気づくことで大切にしていけるものもあれば、気づいてしまったがために傷つくことや、取り返しのつかない後悔に苛まれることもある。そういったさまざまな場面での「気づき」を選び取り、シンプルな言葉で詞に置き換えていく彼女のまなざしの確かさには、毎度のことながら唸らされる。

曲の方も、いい意味ですっぱり開き直ったというか、自分自身にとても素直に向き合って、作りたい曲を作ったんだろうなという印象。彼女の代名詞の一つでもある弾き語りの曲は、意外なことに今回は一曲しかないのだが、アレンジのトーンは全体的にとても安定していて、特にストリングスの加わった曲の繊細なアレンジは、彼女の新しい一面を感じさせる。

12月23日には、昭和女子大の人見記念講堂で開催されるライブに、ひさしぶりに足を運ぶ。このアルバムに収められたさまざまな「気づき」の曲たちがどんな風に歌われるのか、楽しみだ。

「愛するがゆえに」

aashiqui 2今年の夏、「若さは向こう見ず」と同時上映されていた作品「愛するがゆえに」。最近のせわしない日々のせいで、こちらはスクリーンで観るチャンスはないかもと思っていたのだが、キネカ大森でまだ上映しているのを知り、タイに出発直前のすべりこみで、どうにか観ることができた。

RJことラーフルは、かつて栄光をほしいままにしたミュージシャン。今は人気も落ち目で、酒浸りの日々がその凋落に拍車をかけていた。野外コンサートで挑発されて乱闘騒ぎを起こした彼は、街をさまよううち、アロヒという女性に偶然出会う。酒場でラーフル自身の曲を歌う彼女の才能を見抜いた彼は、一流のシンガーに育ててみせるとアロヒに伝える。紆余曲折の末、二人の努力は実を結び、アロヒは瞬く間に注目の的となって、スターへの階段を駆け上がっていく。その一方でラーフルは、取り返しのつかないほどアルコール依存症に蝕まれていた‥‥。

実はこの作品、以前、飛行機の機内で完全な状態ではないけれど観たことがある。その時にも劇中歌のクオリティの高さが強く印象に残っていたのだが、それらの歌詞はすべて、各場面のラーフルやアロヒの心情にシンクロしていると後で聞き、いつか日本語字幕でそれを確認できたら、と思っていたのだ。そういう視点で観ると、本当に緻密に場面描写と歌詞が組み合わされているのがわかる。ミュージシャン同士の恋という設定だからこそ可能な手法だけど、うまいなあと思う。

ストーリーの方は、よくよく冷静に考えると、喉を傷めたならとりあえず病院で治療してみればいいのにとか、インドにはアルコール依存症患者を治療する施設はないのかなとか、ツッコミどころもあるにはある。それでも、二人が愛し合うがゆえに逃れようのない悲劇の道を辿る姿は、胸に迫るものがあった。インドの人たちは、こういう悲恋物語が大好きなのだ。たぶん、いやきっと。

「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」

Joni Mitchellジョニ・ミッチェルの名前は、ずいぶん昔から知っていた。彼女の曲は今もラジオでよく耳にするし、日本のミュージシャンでも彼女の曲をカバーする人は多い(ものすごく難しいらしいけど)。だからCDを手に入れてまとめてじっくり聴きたいと思っていたのだが、何しろ作品数が多いので、どこから手をつければいいのか迷っていた。

で、去年の暮れだったか、何気なくネットで検索したら、この「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」という、全盛期のアルバム10枚組ボックスセットが存在することを知った。しかも、その時のアマゾンでの値段が3254円。この名盤の数々が、1枚あたり325円で手に入るのだ。何だかジョニに対して申し訳ないような気分になったのだが、これを見つけたのも何かの縁だと思い、購入することにした。

ボックスに収められた10枚のアルバムはいずれも紙ジャケ仕様で、CDを頻繁に出し入れしていると傷がつきやすそうだ。僕はiTunesにリッピングして全曲まとめたプレイリストを作り、もっぱらAirPlayでステレオに飛ばして聴いている(iTunes Storeでダウンロード販売もしているが、値段はCDの倍近くする)。静かな夜に、小さな音量でひっそりと彼女の歌を聴くのはとても心地良い。

ジョニ・ミッチェルの音楽について、僕みたいな門外漢が知った風なことを書くのはおこがましいけれど、今の時代に彼女の曲を聴いていても、まったく古さを感じないというか、流行や時代感覚を超越してしまった孤高の音楽性のようなものを感じる。頬を撫でる風のような軽やかさと、暗い水の底に潜っていくような深みと。これからもずっと、多くの人々に聴き継がれていく音楽なのだと思う。

3月末に自宅で倒れているのが発見されて以来、今も入院して治療を受けているというジョニ・ミッチェル。彼女が再び元気な姿を見せてくれることを願って止まない。

はなさんの歌

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取材先から家に戻る電車の中で、iPhoneでニュースを見ていた時、羊毛とおはなのボーカル、千葉はなさんの訃報を知った。

ぼんやりとした気持のまま、雨の中を歩いて帰り、何かを書かずにはいられない気がして、机の前に坐ってはみたものの、何を書けばいいのか、言葉が見つからない。

羊毛とおはなの音楽に最初に接したのは、リトスタの店内でBGMでかかっていた「LIVE IN LIVING’07」が気になって、CDを買って聴きはじめた時からだと思う。羊毛さんが爪弾くギターに、はなさんの歌声が、深く、高く、遠く、響いて重なる。以来、二人の音楽はいつも、僕にとって、部屋で淹れるコーヒーのようにとても身近な存在として、当たり前のようにそこにあった。穏やかに晴れた日の朝も。冷たい雨に窓ガラスが曇る午後も。

二人は意外なほどうちの近所でたびたびライブをやっていて、僕も吉祥寺のキチムやアムリタ食堂で催されたライブに足を運んだことがある。本当にお互いが手を伸ばせば届くほどの近い距離で、はなさんと羊毛さんのおなじみのゆるい掛け合いに笑いながら、二人の歌に耳を傾けた。2013年10月に銀河劇場で開催された十周年記念ライブでは、出演者には内緒で観客全員に造花が一輪ずつ配られて、終盤のクライマックスでスタッフの合図とともに、みんないっせいにそれを頭上に掲げた。幸せなひとときだった。その時の花は、今も僕の手元にある。

2014年2月に品川のグローリア・チャペルでのライブ(この時の「Hyperballad」は本当に凄かった‥‥)を観た後、しばらくしてから、はなさんが病気療養のためしばらくお休みすると聞いた時も、でも、いつかまたライブに足を運べる日が来るに違いない、次はどこに行こうと、ほとんど何の疑いも持っていなかった。それから一年もしないうちにこんな報せを受け取るとは‥‥。やっぱり言葉が見つからない。

好きな曲はたくさんあるけれど、やっぱり、自分にとって一番しっくりくるのは、この間TOKYO FMの番組に出演した時にも最後にリクエストさせてもらった、「ただいま、おかえり」。歌詞にある通り、旅立つ時にすっと背中を押してもらえる、大切な曲。

はなさんの歌は、これからも、ずっと聴くよ。

番組改編

終日、部屋で仕事。取材が立て込んでくる今の時期、たまにずっと家にいられる日があると、ほっとする。昼下がりの部屋でコーヒーをすすりながら、しばしラジオを聴く。

今日から四月ということで、ラジオも番組改編の時期。今回一番びっくりしたのは、J-WAVEで月曜から木曜までの午後の番組をずっと受け持っていたレイチェル・チャンさんが、日曜のお昼の番組に異動になったことだろう。もうずっと長い間、平日の午後に家で仕事をしている時は、レイチェルさんの声がラジオから聴こえてくるのが当たり前のような感覚になっていたので、ちょっと狼狽(苦笑)。習慣というのは、何気に身に染み付いているものなのだなと思う。

僕自身、以前ゲストとして番組に呼んでいただいたご縁もあるし、今度から日曜でもちょっとだけ早起きして、番組、聴かせていただきます。