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「DDLJ 勇者は花嫁を奪う」


成田とデリーの間を往復するエア・インディアの機内で、そういえばまだちゃんと観てなかった、と思ってがっつり観たのが、「Dilwale Dulhania Le Jayenge」。日本では以前ひどい邦題をつけられていたが、最近は「DDLJ 勇者は花嫁を奪う」と呼ばれている作品だ。この映画が公開されたのは1995年。その当時大ヒットしただけでなく、ムンバイの映画館マラーター・マンディルでは、その後20年近く、1000週以上にわたって上映され続けるという、ギネスブックにも載る超ロングランヒットとなった。

厳格な父と家族とともにロンドンで暮らすシムランは、インドに父の決めた一度も会ったことのない婚約者がいる。独身最後の思い出作りに友達とヨーロッパ旅行に出かけた彼女は、お調子者のラージと出会い、ひょんなことから二人で旅をするようになる。初めは喧嘩ばかりしていた二人だったが、旅が終わる頃、それぞれが自分の気持に気付く。しかし、シムランは結婚式のためインドに連れて行かれてしまう。それを追いかけるラージの選んだ行動は……。

何というか、観終わった後、本当に掛け値なしに幸せな気分になれる映画だった。シャールクは普段おちゃらけてばかりだけどここぞという時はキメるという彼の一番得意な役柄だし、カジョールの輝くばかりの美しさと喜怒哀楽の演技も唯一無二の存在感を放っていた。ヨーロッパの列車旅が終わった時、シャールクと別れた直後のカジョールの表情にはどきりとさせられたなあ。そして180分見続けた後の、ラストのあのあまりにも有名すぎるシーン。

映像作品として見た場合、ツッコもうと思えばツッコめるポイントは山ほどある。時にベタすぎるほどベタな展開や、冗長すぎるんじゃないかと思えるくだりも。でも、そういう部分も全部ひっくるめて、この作品の魅力になっているとも言える。そして「DDLJ」のDNAは、その後作られた数え切れないほどのインド映画にも脈々と受け継がれているのだ。海外のライフスタイルへの憧れ、インドの伝統と格式への誇り、家族との絆、男の戦い、叶わないと思っていた恋の成就……。

これからもこの作品は、インドの人々の間で、愛すべき映画の一つとして、ずっと語り継がれていくのだろう。本当に幸せな作品だと思う。

「Tamasha」

tamasha今年の夏のラダック滞在、成田からデリーまで往復したエア・インディアの機内では、例によってインド映画三昧だった。機内でラインナップされていた中で一番観たかったのは、「Tamasha」。監督はイムティアーズ・アリー、主演は「若さは向こう見ず」に続いての共演となるランビールとディーピカ。東京で密かにロケが行われた作品という点でも気になっていた。

コルシカ島を旅していてパスポートとお金をなくして困っていたターラーは、芝居がかった嘘ばかり話す、ドンと名乗る男と出会う。二人は「コルシカにいる間は、お互いのことは嘘しか言わない。コルシカで起こった出来事はコルシカに置いていこう」と誓い合い、ターラーのパスポートとお金が届くまでの短い時間を二人で過ごす。別れの日が来た時、ターラーは本当の名前も知らない彼に惹かれていることに気づく。

数年後、二人はデリーで再会する。ドンことヴェードは、コルシカを旅していた時の彼とは別人のように実直なエンジニアとなっていた。やがて二人はつきあい始めるが、コルシカでの彼の記憶が忘れられないターラーは……。そして、本当の自分自身とは何なのか、子供の頃から引きずる苦悩と向き合うヴェードは……。

シンプルに若さはじけるボーイ・ミーツ・ガールのラブストーリーなのかと思いきや、それだけではなく、自分自身の弱さと向き合いながら道を探すヴェードの成長物語でもあり、冒頭から織り込まれている謎めいた劇中劇もきっちり伏線となって最後に収斂されているあたり、予想よりも凝った作りで、観ていて楽しかった。ただ、前半のコルシカ島での二人の物語がとても鮮やかで魅力的だった分、二人のすれ違いとヴェードの葛藤を描く後半はややパワーダウンした印象になったのは否めない。ターラーには後半ももっと物語に絡んでほしかった。

ラスト直前には東京で撮影された場面。重要なシーンに東京を選んでもらえたのは、ちょっとうれしい。そんな縁もあるのだから、この映画、日本で、日本語字幕付きで公開されるといいなあ……と希望的観測を書いてみたり。面白い作品だったので、ぜひに。

新幹線と在来線

昨日は終日、部屋で仕事。今年の夏にラダックで取材してきた素材で、Web連載に使えそうなものを整理して記事化し、アップロード。インドにいる間(デリーでの乗り継ぎ待ち時間とか)に原稿を書き進めておいてよかった。これで10月くらいまでは持ちこたえられるはず。

今日は昼から新宿へ。ニコンのサービスセンターでD800をセンサークリーニングに出し、来月の写真展の準備のためにあれやこれやと。ひさしぶりに桂花で太肉麺を食べ、夜はバルト9で「シン・ゴジラ」を観る。まさにニッポンの空想特撮怪獣映画といえる作品。緻密で膨大な量のディテールをひたすら積み上げることで、圧倒的なリアリティを生み出していた。ただ、登場人物たちに感情移入できるかというと僕的にはそうでもなく、淡々と見続けてしまった感じではある。

とりあえず、新幹線と在来線の扱いがよかった(笑)。

縦位置と横位置

ブータン取材で撮影してきた写真を現像しながら整理していて、これはまあまあいけるかな、と思えるものをピックアップしていたら、なぜか縦位置の写真ばかりになってしまって、自分でもちょっとびっくりした。

一般的なデジタル一眼レフカメラで撮る写真は、だいたい3:2の比率になり、普通に構えて撮れば横位置、縦に構えて撮れば縦位置になる。僕は基本的に昔から横位置の写真が好きで、縦位置で撮ろうと考えることもあまりなかった。だから縦位置の写真は苦手というか、ぶっちゃけ下手だった(苦笑)。

ところが、必要に迫られて仕事で旅の写真を撮るようになると、下手ですませるわけにはいかない。本や雑誌の仕事では、縦位置の写真のニーズは一般の人が想像する以上に多いのだ。だから、ちょっとでも余裕のある撮影場面では、横と縦の両方を押さえる癖がついたし、苦手を克服しようと縦位置での構図の作り方をいろいろ試行錯誤するようになった。そうした試行錯誤の成果が、ようやく最近になってちょっとずつ現れてきたということなのだろうか。まだ得意とまでは、とても言えないけれど。

そういえば、以前「撮り・旅!」で鮫島亜希子さんにインタビューさせてもらった時、「いい被写体に出会った時、横位置で同じような写真をがしがし撮ってしまいがちだけど、そういう時に意図的に縦位置でも撮ってみて一呼吸おくと、自分が何を撮りたいのかがわかってくる」という意味のことを話していただいたのだが、それは本当に正しいと思う。冷静さを取り戻すのに、横から縦へのスイッチというのはかなり効果的だ。

去年見たドキュメンタリー映画で知った写真家ソール・ライターは、映画の中でも頑ななまでに縦位置の写真にこだわって撮り続けていたのが印象的だった。ミラーレス一眼カメラを、最初から縦位置にして持ち歩くほどに。彼の見事な縦位置の作品群にちょっとでも近づけるように、日々精進していかねば。

「銃弾の饗宴 ラームとリーラ」

ramleela年末年始のキネカ大森詣での個人的な〆は、「銃弾の饗宴 ラームとリーラ」。去年、エアインディアの機内で一度観たのだが、これは映画館のスクリーンで字幕付きで観なければ、とずっと思っていた作品だったので、今回観ることができてよかった。

舞台はグジャラート州のとある町。武器の密造と売買が横行しているこの町では、ラジャーリとサネラという二つの部族が長らく敵対関係にあった。ラジャーリの頭領の次男坊、争いを好まない女たらしのラームは、ホーリー祭の日にサネラの領分に忍び込み、サネラの頭領の娘、リーラと出会う。あっという間に惹かれ合うようになる二人だったが、ラジャーリとサネラの争いは、彼らの運命を引き裂いていく……。

サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督のこの作品、とにかく絢爛豪華で、大胆かつ緻密な映像美が素晴らしい。映画館のスクリーンで観ると極彩色の奔流に飲み込まれて茫然としてしまう。その一方で、物語自体はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」が基底にあるものの、なぜ憎しみ合うのか、なぜ愛し合うのか、というこの映画としての必然性は希薄に感じられた。あと、古典的な映像美の世界に自動車やテレビやスマートフォンといった現代のツールを織り交ぜる手法はバンサーリー監督特有のものらしいのだが、個人的には正直「それ、無理に織り交ぜなくてもいいんじゃね?」と思えてしまった。その点、昨年末にインドで公開された同監督の「Bajirao Mastani」は完全な歴史物なので、機会が観てみたいと思う。出演しているのもこの作品と同じ、ランヴィール・シンとディーピカ、そしてプリヤンカー(この映画ではアイテムガールとしての出演)だし。

ツッコミどころは数々あれど、この映像美、観る価値は十二分にある。本当に美しかった。