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まだ春じゃない

仕事に追われてあくせくしてるうちに、いつのまにか、ずいぶん暖かくなってきたような気がする。寝床に湯たんぽを仕込まなくても眠れるようになったし、台所で洗い物をする時にお湯を使わなくても平気になった。仕事机の下に置いているオイルヒーターも、つけている時間がだいぶ短くなった。

今日は渋谷にウォン・カーウァイの「欲望の翼」を観に行ったのだが、気の早いことにもう半袖で歩いている人も見かけた。映画を観た後にオープン・エアのビアバーで一杯ひっかけたりもしたが、このくらいの気温だと、外で飲むビールもずいぶんうまく感じる。

でも、まだ春じゃない。少なくとも僕にとっては。火曜日からの1泊2日の長野出張、予想最高気温は、1日目が5℃、2日目が7℃。普通に厳寒期装備が必要だ。まだ春じゃない。

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タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる」「詩集 小さなユリと」読了。どちらも、本をつくる仕事を選んだ自分の人生に、勇気を与えてくれる本だった。

「クイーン」に罪はないけれど

昨日は、インド映画「クイーン」本国版をシネマート新宿に観に行った。作品自体は以前エアインディアの機内で観て、このブログに簡単なレビューも書いているが、日本語字幕つきで映画館の大きなスクリーンで観ると、この作品のよさがあらためてわかった。これまでに日本で公開されたインド映画の中でも、十指か、人によっては五指に入る良作だと僕は思う。

ただ、シネマート新宿での客の入りは、公開2日目で休日ということを考えると、正直、非常に寂しい状況だった。不入りの原因はとてもシンプルで、配給会社のココロヲ・動かす・映画社○(以下ココロヲ社)による事前告知とプロモーションが、ほとんどまともになされていない状況だからだ。

クイーン」は当初、2017年の春頃から国内で順次公開される予定だったそうだ。だが、ココロヲ社が同時期に吉祥寺で開業しようとしていた映画館、ココロヲ・動かす・映画館○(通称ココマルシアター)が、諸々の見通しの甘さと準備不足により開業を大幅に延期(そのちょっとありえないほどグダグダな顛末はこちらのまとめが詳しい)。「クイーン」もココマルシアターのトラブルのあおりを受け、結果として半年以上も公開が先送りされることになってしまった。

ようやく「クイーン」が公開されたのは、2017年10月下旬、ココマルシアターと横浜のシネマ・ジャック&ベティで。ココロヲ社による公開前のマスコミ向け試写会は行われず、メディア露出はおろか、予告編、ポスター、チラシ、作品の公式サイト、各種SNSなどの準備もほとんど整わないままでの上映開始。しかも公開されたのは、場面のつなぎに大きな矛盾がある短縮版であることが判明。それをブログで指摘したアジア映画に関する第一人者である松岡環さんに対するココロヲ社側の対応も、いささか礼を欠いていたと言わざるを得ないものだった。

その後、配給先からの強い要望もあってか、2018年1月から公開されるバージョンはインド本国版に変更されることが決定。だが、2017年11月から12月にかけて実施されたマスコミ向け試写会で上映されたのはなぜか短縮版。その上、プレスリリースやチラシなどに掲載されていた「クイーン」のあらすじを紹介するテキストが、インド映画のレビューで有名なポポッポーさんのブログに掲載されていたレビューのテキストをそのまま剽窃したものであったことまで露呈してしまった。結果的に、ココロヲ社は「クイーン」に関して、作品の印象を貶めるようなネガティブな行為ばかりくりかえしていたことになる。

映画自体に罪はない。だが、日本での配給会社であるココロヲ社の罪は重い、と僕は思う。作品の作り手たちに対する敬意も、作品のファンたちに対する誠意も、作品を預かる配給会社としての熱意と責任感も、すべてがあまりにも希薄だ。今もその自覚がないのなら、映画の配給からは金輪際、手を引いてほしいと思わずにいられない。でないと、映画が可哀想だ。

インド映画三昧

土曜日は午前中から渋谷へ。ユーロライブで開催されるインド映画祭「IFFJ Best」を観に行った。

今回観たのは、「ハッピーただいま逃走中」と「キ&カ 彼女と彼」。「ハッピーただいま逃走中」は、意に添わぬ結婚式から逃げ出した主人公ハッピーが、間違ってアムリトサルから国境を越えてパキスタンに行ってしまうというドタバタラブコメディ。個人的には、ダーヤナー・ペーンティー演じるハッピーの存在感が、中盤以降やや希薄になってしまったのがちょっと残念で、もう少しハッピーという女性の人間的な魅力を分厚く描いてほしかった。もう一人のヒロイン、ゾヤは思いのほか魅力的に描かれていただけに、惜しいなあと。

「キ&カ 彼女と彼」は、面白かった! 巨大企業の御曹司ながら仕事や名声にまるで興味を持たず、尊敬していた亡き母親のように家庭を守る主夫になりたいと願うカビールと、女手一つで自分を育ててくれた母親のように、仕事でステップアップすることを人生の目標にするキャリアウーマンのキア。利害の一致した二人は結婚するのだが……という物語。1カ所だけ「ん?」とひっかかる場面があったけど、アルジュン・カプールとカリーナ・カプールの軽妙な掛け合いは観ていて楽しいし、今の社会における男と女の価値観について考えさせられる部分も多かった。

この2本の上映の合間はかなり時間が空いていたので、渋谷から綱島まで移動して、ポイントウェザーでゴアフィッシュカレーを食べてきた。何から何まで、インド三昧。楽しい休日だった。

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ソローの「森の生活」読了。19世紀という時代にこういう生き方を選んで、それを本に書くような人だからある意味当然なのかもしれないが、ソローは根本的にちょっと性格が悪いというか、偏屈な人だったんだなあという印象。もし、今の時代に彼が生きていて、出会ったとしても、絶対気が合わなさそう。僕自身も偏屈なだけに(苦笑)。

「バーフバリ 伝説誕生/王の凱旋」

2017年、少ないながらもそれなりにいろんな映画を観てきたが、最終的には「バーフバリ」の前後編2作が、なんかもう、ぜ〜んぶ持っていってしまったような気がする。

インドの架空の古代王国、マヒシュマティ王国をめぐる、愛と憎しみと戦いの物語。春に前編が公開された時は、確か新宿ピカデリーで、1日1回、1週間限定上映という形で始まったはずだ。僕はたまたまそれを観に行ったのだが、予想をはるかに上回る衝撃で……。超どでかいビッグウェーブにさらわれて、うっわあ〜と圧倒されっぱなしだった。評判が評判を呼び、前編は各地で拡大上映。満を持しての後編は、段違いに大きな規模での上映となった。僕自身、後編は公開初日の席をネット予約して劇場に向かったのだが、そうまでするほど観るのが待ち遠しいと思えた映画は、ずいぶんひさしぶりな気がする。

とにかく、すべての場面、あらゆる要素が、過剰すぎるくらい過剰。カッコよすぎるくらいカッコよく、美しすぎるくらい美しく、激しすぎるくらい激しい。でも、そうして盛りに盛られた(でも緻密に作り込まれている)場面描写のビッグウェーブにどっぷり浸っているのが、この上なく心地いい。現実離れしてるとか荒唐無稽だとか、そんな指摘にはまったく何の意味もない。まずは何も考えずに、観て、圧倒されて、茫然とする(笑)。それが「バーフバリ」の楽しみ方だと思う。ジャイ、マヒシュマティ!

「希望のかなた」

アキ・カウリスマキ監督の新作「希望のかなた」は、前作「ル・アーヴルの靴みがき」から始まった「港町3部作」改め「難民3部作」の2作目。前作はアフリカから来た不法移民の少年だったが、今回は戦乱に揺れるシリアから逃れてきた青年、カーリドが主人公。ハンガリー国境で生き別れとなった妹を探すべく、言葉も何もわからないフィンランドで難民申請をして、悪戦苦闘するカーリド。そんな彼と偶然出会った人々、一人ひとりのささやかな善意が、彼の行く先を少しずつ照らしていく……。

「ル・アーヴルの靴みがき」には意図的に現実離れした結末が用意されていたが、「希望のかなた」にはそれとある意味対照的な、一筋縄ではいかない展開がセットされている。世の中には善意を持つ人々が大勢いるけれど、理解に苦しむ悪意を抱く人もわずかながら(あるいは少なからず)いる。時には、そんな悪意の刃が、取り返しのつかない事態を呼び寄せることもある。

カウリスマキ監督がこの作品で描こうとしたのは、ある意味、そうした現実の構造そのものだったのだろう。彼独特の台詞回しと間合いと場面描写とで作品自体がフィクショナライズされていることで、かえって今の世界の生々しさと不条理さが浮かび上がってきて、後を引く。

それでも僕は、この「希望のかなた」の結末は、ハッピー・エンドだと思えて仕方ないのだ。僕たち一人ひとりが、これからの世界をハッピー・エンドに向かわせる努力をしなければならない。本当の希望は、たぶんその先にあるのだろう。