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「希望のかなた」

アキ・カウリスマキ監督の新作「希望のかなた」は、前作「ル・アーヴルの靴みがき」から始まった「港町3部作」改め「難民3部作」の2作目。前作はアフリカから来た不法移民の少年だったが、今回は戦乱に揺れるシリアから逃れてきた青年、カーリドが主人公。ハンガリー国境で生き別れとなった妹を探すべく、言葉も何もわからないフィンランドで難民申請をして、悪戦苦闘するカーリド。そんな彼と偶然出会った人々、一人ひとりのささやかな善意が、彼の行く先を少しずつ照らしていく……。

「ル・アーヴルの靴みがき」には意図的に現実離れした結末が用意されていたが、「希望のかなた」にはそれとある意味対照的な、一筋縄ではいかない展開がセットされている。世の中には善意を持つ人々が大勢いるけれど、理解に苦しむ悪意を抱く人もわずかながら(あるいは少なからず)いる。時には、そんな悪意の刃が、取り返しのつかない事態を呼び寄せることもある。

カウリスマキ監督がこの作品で描こうとしたのは、ある意味、そうした現実の構造そのものだったのだろう。彼独特の台詞回しと間合いと場面描写とで作品自体がフィクショナライズされていることで、かえって今の世界の生々しさと不条理さが浮かび上がってきて、後を引く。

それでも僕は、この「希望のかなた」の結末は、ハッピー・エンドだと思えて仕方ないのだ。僕たち一人ひとりが、これからの世界をハッピー・エンドに向かわせる努力をしなければならない。本当の希望は、たぶんその先にあるのだろう。

「パターソン」

米国ニュージャージー州パターソンに暮らす、街と同じ名を持つ男、パターソン。路線バスの運転手。毎朝同じ時刻に起き、横で眠る妻にキスをし、台所で一人シリアルを食べ、ブリキのランチボックスを手に、職場まで歩く。定刻通りにバスを発車させ、乗客を乗せて定められたルートを走り、休憩時間は滝の見える公園のベンチでランチ。仕事が終わるとまっすぐ家に帰り、妻との夕食の後、ブルドッグのマーヴィンを連れて、夜の散歩。途中、バーに寄り道して、一杯だけビールを飲む。

ジム・ジャームッシュ監督の新作「パターソン」は、平凡なバス運転手の1週間の日々を、淡々と辿り続けた作品だ。パターソンは、詩人でもある。彼は、妻以外には誰にも見せたことのないノートに、仕事の空き時間や、夜に家の地下室で、ペンで詩を書きつけている。映画の中で過ぎていくパターソンの毎日を追ううちに、詩というものは、日常の何気ない時間の中の至るところに、その兆しを潜ませているのだ、と我々は知る。この映画は、詩とはどこから生まれてくるのか、詩人はどのようにして詩を生み出すのか、それを描いた作品だとも言える。

パターソンを演じるアダム・ドライバーは、スター・ウォーズでダークサイドに堕ちていたのが信じられないくらい(笑)、寡黙な市井の詩人を魅力的に演じていた。彼なくしては、この「パターソン」は成立しなかったかもしれない。ジャームッシュ監督のストロング・ポイントが存分に発揮された秀作。今年観た映画の中では、一、二を争うくらい面白かった。

「サーミの血」

スカンジナビア半島の北部に位置するラップランド地方は、先住民族のサーミ人が暮らす土地だった。近代文明の流入に伴い、サーミ人は各国で劣等民族として差別的な扱いを受けてきた。僕は二年前にプレスツアーでノルウェーのトロムソを訪れた時、つい数十年前まで迫害され続けていたサーミ人の歴史について初めて知った。だけど、この「サーミの血」という映画は、彼らの受けてきた差別が実際どのようなものだったか、理屈ではなく、恐ろしいほど生々しい感覚のまま、我々の目の前に差し出している。

自らもサーミ人の血を引くというアマンダ・シェーネル監督は、劇中の衣装や小道具、トナカイの扱いなど、サーミ人の生活様式に関わる演出は徹底的に検証して再現したという。主人公のエレ・マリャを演じるレーネ=セシリア・スパルロクもサーミ人だが、ひとことも発しなくても、その瞳だけで、サーミ人であることの誇りと怒り、そして悲しみを表現していたのには、圧倒された。彼女なくしてはけっして撮ることのできなかった映画だと思う。

こうした差別という人間の宿痾は、さまざまな形に姿を変えながら、世界中の至るところで今も横行している。日本でも、そうだ。お互いの違いを認め合い、ありのままを受け入れること。どうしてそれをできない人々が、こうも多いのだろう。

ビューティフル・ドリーマー

終日、部屋で仕事。新しく作る本の執筆・編集。細かい作業を一つひとつ、ちまちまと積み重ねていく。

いつかも書いたように、本づくりの作業は僕にとって、この世で一番楽しい仕事だ。但し書きをつけるとすれば、〆切というものがなければ、もっと楽しい(笑)。まあ、〆切がなければ、いつまでたっても何も形にはならないだろうけど。

子供の頃、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」という長編アニメ映画を観た。細かい展開はあまり覚えていないのだが、ヒロインのラムの夢の中で、学園祭の前日がいつまでもいつまでもくりかえされるという物語だったと思う。本づくりの仕事も、いつまでもいつまでも〆切前日のままなら、ある意味楽しいのかもしれない……いや、やっぱりそれはしんどいか(笑)。

完成した本を、読者の方に手に取って読んでいただくまでが、本づくりの仕事。なので、しばらく辛抱して、がんばります。

「心 ~君がくれた歌~」

10月のタイ取材、往路のタイ国際航空の機内で観たのは、今年のIFFJでも上映されたインド映画「心 ~君がくれた歌~」。たぶん、途中いくつかの場面がカットされた短縮版だったと思う。監督はカラン・ジョーハル、主演はランビール・カプールとアヌシュカー・シャルマー。脇を固めるのはアイシュワリヤー・ラーイ、ファワード・カーン、特別出演でシャールク・カーンまで登場する。

音楽の道に惹かれながらもロンドンで怠惰な人生を送るアヤンは、とあるクラブでアリゼーという女性と出会う。その時は互いに恋人がいた2人だったが、それぞれに別離が訪れる頃、アヤンはアリゼーを好きになる。しかしアリゼーはアヤンのことを友人以上に思えない。2人は旅先のパリで、アリゼーの元恋人アリーに出会う。アリーに復縁を迫られたアリゼーは、彼との結婚を選ぶ。アヤンはインドで催されたアリゼーの結婚式に呼び出されて深く傷つくが、帰りの空港で詩人のサバーと知り合い、彼女とウィーンで暮らすようになる……。

……複雑である。原題が「Ae Dil Hai Mushkil(心は難しい)」というくらいだし。この監督、この俳優陣で、海外ロケにキャッチーな音楽の数々と、良作になりそうな雰囲気はムンムンだったのだが、どうにもストーリーと人間関係がややこしくなりすぎてしまったように思う。複雑な物語と入り組んだ人間関係に説得力を持たせるには各登場人物のキャラクター設定が弱くて、「何考えてるんだこの人?」と訝りたくなることも多かった。特に、たぶん誰もが同じ感想だろうけど、後半から結末にかけての、あの展開がなー。それで全部片付けちゃうんだ、という。

アヌシュカーもランビールも奮闘はしているし、アイシュ様は女神のようにお美しいし、個々の場面には心惹かれるものも結構あったのだが……いかんせん、ストーリー(特に後半)とキャラクター設定に無理が生じてしまったかな、と。そのあたり、ちょっと残念な後味が残った。