Tag: Life

今は旅に出られなくても

「今年、旅に出られなくて、つらくないですか? 禁断症状、出てないですか?」的なことを最近よく聞かれる。普段は1年のうち3、4カ月を海外で過ごしている身だし、そう思われるのも無理はない。

実のところ、自分でも意外だったのだが、旅に出られなくても、特にしんどくはない。コロナ禍でそれなりに不自由はあるけれど、東京での日々の暮らしを、淡々と過ごせている気がする。

理由はいくつかある。ここ10年ほどの間に、旅の動機が取材やガイド業といった仕事にすっかり移行していて、純粋な気晴らしやレジャー目的で旅に出ることがほぼなくなっていたこと。今の時点で、「冬の旅」の時の取材のように重要な取材の予定は特になかったということ、など。海外に行けないなら、まあ東京にいるしかないよね、しゃーない、と、割とあっさり受け入れているように思う。

取材で海外に行けなかったり、国内での取材仕事にもコロナ禍で影響が出ていたりで、本来あったはずの収入も目減りはしているが、去年の取材仕事の報酬や先日出した本の印税などもささやかながら入ったし、二人暮らしの今は固定費もそこまで嵩まないので、当面はまあ、何とかやっていける。今の状況がさらに長引く可能性もあるので、その場合の対策はしておく必要はあるけれど。

厳寒期のザンスカールやルンナクで過ごした日々を思えば、今の方が、よっぽど楽だ(笑)。いつかまた、旅に出られるようになる時に備えて、今できることを、ゆっくり、あれこれ、準備しておこうと思う。

昔の写真

昨日の夜、1枚の写真が、メールで送られてきた。

送り主は、昔のバイト仲間。二十代後半の頃、神楽坂に今もある出版社でバイトをしていた時期があるのだが、その時の知り合いが、僕の『冬の旅』を読んでくれて、感想と一緒に当時の写真を送ってくれたのだった。

バイト仲間と一緒に写っている僕は、27歳くらいだろうか。今よりさらに数キロ痩せていて、世間知らずでクソ生意気そうな顔をしている(苦笑)。実際この頃は、いろいろ鬱屈してて、性格もねじくれていた。今の自分の仕事につながるような技術も経験もアイデアも何もなくて、「自分は必ず何か成し遂げられるはずだ」という自信と、実はその自信には何の根拠もないとうっすら気付いている不安しかない頃だった。

あれから20年以上の歳月が過ぎ去って、今の僕は……どうなんだろう。これからの僕は……どうなるんだろう。

お茶を飲んだり、ごはんを食べたり

この週末は、ひさしぶりに相方と二人で、外で飲み食いをする機会があった。土曜の夕方に三鷹の横森珈琲でお茶を飲んだのと、日曜の夕方に西荻のコノコネコノコでお酒を飲みつつごはんを食べたのと。

これまでずっと、日常の中で当たり前のようにしていたことだったのに、コロナ禍の影響で、かれこれ3カ月もご無沙汰していた。その間も、リトスタやコノコネコノコにはテイクアウトでお世話になっていたのだが、あらためて、二人で出かけて外でお茶を飲んだり、ごはんを食べたりすると、いつのまにか失われていたものの大きさ、そしてそれが少しずつ戻ってきたことのありがたさを、しみじみと感じた。

東京の感染状況は、まだまだまったく油断できない状況なので、しばらくは、外で飲み食いをするにしても、込み合わなさそうな場所と時間帯を選んでというやり方になると思うが、それでも、やっぱり、とても嬉しい。少しずつ、取り戻していければな、と思う。

背高グラスに氷水

暑い。風呂上りに飲むビールが、ひときわうまく感じられる季節になってきた。

とはいえ、僕もすっかりええ歳こいたおっさんなので、ビールは2日に1回、350ml缶を1本、というマイルールを課している。酒を飲むのを1日おきにすると、身体が楽に感じるし、体重の管理もしやすい。ビールを買う出費も抑えられる。

が、ビールを飲まない日でも、風呂上りには喉が渇く。水分補給に何か飲まずにはいられない。でも、ジュースとかを口にして、夜中に余計なカロリーを摂取してしまうのは避けたい。で、最近飲んでいるのは、水。ごく当たり前の水道水。水は水だが、飲み方をちょっとだけ工夫している。

普段、家でビールやジントニックを飲む時に使っている、背の高いタンブラーがある。それに、製氷皿で作っておいた氷をぎっしり詰め、水道から水を注ぐ。こうすると、あら不思議、何かとても清涼感と高級感のある飲み物に見える。水だけど。原材料費ゼロの、ほんとにただの水だけど。

こんな阿呆なことをやりながら、日々それなりに楽しく暮らしております。

———

マーク・アダムス「アラスカ探検記 最後のフロンティアを歩く」読了。19世紀末のジョン・ミューアやハリマン・アラスカ遠征隊がアラスカを旅した際のルートを辿りつつ、著者がアラスカの沿海部を旅した記録。著者自身はアウトドア的なスキルや経験をほぼ持っておらず、この本で描かれているのも割とオーソドックスな旅行で、「探検」という言葉に期待しながら読むと、かなり拍子抜けする。実際、邦題の「探検記」という語句は原題には見当たらない。これは明らかに日本の出版社のミスリードではないだろうか。本自体は、いくつもの異なる旅の物語を巧みに構成して書かれていて、興味深い発見もいくつかあったが、ややテクニックに走りすぎているのと、著者自身のアラスカに対する思い入れが今一つ伝わってこなかったのが残念。訳文も、日本語の文章として十分にこなれていないぎこちなさを感じたし、誤植も多かった……。

サヨナラ、テレビ

家にあるテレビを、手放すことにした。

これまで持っていたのは、かれこれ10年以上前、ラダックでの長期滞在から戻ってきた頃に買った、シャープ製の26型液晶テレビ。でも、買った当時から、そんなには使っていなかった。特に東日本大震災の直後からは、すっかりラジオ中心の生活になってしまって、テレビは電源を入れる機会もめったになかった。2年前に西荻窪に引っ越してきてからも、使ったのはほんの数回で、すっかり家の中でモノリスと化していた。映画を観るのも、映画館に行くか、ダウンロードレンタルして16インチMacBook Proで観れば十分(というかMBPの画面めちゃ綺麗)とわかったし、テレビはその用途でも出番がないのだ。

で、家電リサイクルに出す前にFacebookで引き取り手を募ったところ、知人の一人が手を挙げてくれて、ついさっき、小さなお子さんと一緒に、車で引き取りに来てくれた。うちではついぞ出番がなかったが、新しい環境で活用してもらえると良いなあ、と思う。

これからは、ニュースもワイドショーもドラマもバラエティも、何にも観ない生活が始まる。まあ、これまでもほとんど観てなかったし、是が非でも観たい番組が現れるとも思えないし。ラジオとWebがあれば、僕たちには十分だ。何でもかんでも、享受できればいいってもんじゃないと思うし。

というわけで、サヨナラ、テレビ。