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退路を断つ

僕という人間は、自分でやり遂げようと思ったことを、そのまま臆面もなく口に出してしまうところがある。

小学生の時、突然「将棋の棋士になりたい」と言い出して、親に全力で止められた記憶がある(笑)。大学生の時は、「就職活動をやめて、バイトで金を貯めて旅に出る」と宣言して、周囲に呆れられながらそのまま実行してしまった。出版社で働くようになってからも「俺は物書きになる」と言い続けていたし、「ラダックで一、二年くらい暮らして、自分の写真と文章を本にする」と言って本当にやらかしてしまったのは、その最たる例かもしれない。

単に頑固というのもあるが、口に出すことで退路を断ち、自分自身にプレッシャーをかけている部分もある。たぶん、僕にはこういうやり方が合っているのだろう。

このやり方のいいところは、やり遂げようと思って口に出した時点で、他の人から応援してもらえるようになること。それはそれでプレッシャーになる場合もあるが、逆に、思いもよらないサポートを得られることもある。「ラダックの風息」を書いていた時、どれだけ周囲の人々に助けられたかわからない。

もちろん、口に出したからといって、あらゆる目標が叶えられるわけではない。僕自身、うまくいかなくて挫折した経験もたくさんある。でも、その過程で自分なりに全力を尽くしていれば、それを見てくれている人は必ずいる。あきらめてすべてを投げ出したとしても、ほんの幾許かは、目には見えないものが残る。

ただし、やりたいと思ったことを、あれもこれもとやたらめったら口に出して、結局どれも中途半端で投げ出してしまうのは、一番よくない。少なくとも、僕はその人を信頼できるとは思わない。あれこれ迷いながら、やりたいことを選び出したら、ばしっと退路を断って、全力で臨むべきだと思う。

退路を断って、何か一つのことをやり遂げたら、確実に、そこから何かが変わる。

僕にとっての幸せ

最近、またブータンのGNH(Gross National Happiness、国民総幸福量)が注目を集めているらしい。では、自分が幸せを感じる瞬間というのはどんな時だろう? とちょっと考えてみた。

刹那的な幸せを感じたのは‥‥たとえば、長い間取り組んでいた仕事が終わって、打ち上げに李朝園で特上リブロースや上ミノをほおばりながら、ビールをごきゅっ、とやってる時とか(笑)。別の意味で「生きててよかった」的な幸せを感じたのは、冬のチャダルで雪と氷の中を歩き続け、身体が冷え切ってフラフラな状態で辿り着いた洞窟で、焚き火にあたりながら熱いチャイをすすり込んだ時、とかだろうか。

でも、一番幸せを感じるのは、自分が書いた本を読んでくださった方々から、手紙やメールやブログへのコメントで、あるいは直接お会いした時に、読後の感想をいただいた時だと思う。

僕の書いた本の部数は正直そんなにたいした数ではないし、本を手に取ってくださった方々全員が、書かれた内容に共感してくれるとはかぎらない。それでも、わざわざ時間と手間をかけて感想を送ってくださる方が今でも大勢いるというのは、本当にありがたいことだと思う。自分が伝えたかったことがその人に届いて、ほんの幾許かでも心を軽くしてあげられたのかもしれないと考えると、じんわりと嬉しさがこみ上げる。お金では換算できない、気持のやりとりがそこにある。

それが、僕にとっての幸せ。そして、物書きという割に合わない仕事を続けている理由でもある。