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がんばりすぎない

午後、銀座でインタビューの仕事。ラダック関係以外ではひさしぶりの取材だったが、どうにか首尾よくやり遂げる。

その後、外苑前に移動し、以前「ラダックの風息」のデザインを担当していただいた井口文秀さんのオフィスを訪問。軽く打ち合わせをさせていただいた後、井口さん行きつけの広尾の寿司店へ。寿司といっても、値段的にはかなりこなれている店なのだが、その割にはとてもおいしかった。

井口さんとは、僕が雑誌編集をしていた頃からの戦友的な間柄。約10カ月ぶりにお会いしたのだが、僕が何の遠慮もなくいろんな話をするのを、ニコニコと笑いながら聞いていただいた。

話が僕の父の話題になった時、井口さんが僕にこう言った。

「ヤマタカさん。お父さんのことがあったからといって、がんばりすぎない方がいいですよ」

井口さんは約七年前にお母様を急な病で亡くされたのだが、その時、そこから立ち直ろうとがんばりすぎて、逆に辛い精神状態に陥った時期があったそうだ。あまりに強く思い詰めてしまうと、それが自分自身を追い詰めてしまう、と。

本当にそうだなあ、と思う。今の僕は、父を失ったことだけでなく、その後ラダックや日本で僕を支えてくれたたくさんの人たちに絶対に報いなければ、と背負い込んでいるふしがある。背負うものが重すぎると、僕自身がそれに押しつぶされてしまうかもしれない。

がんばりすぎないように、がんばろう。

時間の優しさ

週末を利用して、岡山の実家に帰省していた。僕が帰国するまで待ってもらっていた、父の納骨式のために。

納骨式は、昨日の朝のうちに行った。うちの家系の墓は、実家からすぐのところにある。雲一つないうららかな空を見上げながら、みんなで墓地まで歩いていく。墓地で待っていてくれた業者さんが、墓石の一部を外し、父の骨壺を中に収め、再び墓石を元に戻す。新しい花を挿し、水をかけ、ビールとおつまみを供え、線香を上げる。それでおしまい。父は、無宗教での弔いを望んでいたから。

父が逝った直後に比べると、母と妹はずいぶんしゃんとして、元気になっていた。誰も彼も、父のいない日常を少しずつ受け入れつつある。実家の中には、まだ至るところに父の気配が——ぎっしりと積み上げられた本や、几帳面に整理された文房具や、使い古された安楽椅子が——あるけれど、その気配も、時が経つにつれ、少しずつ薄れていくのかもしれない。それが、時間の残酷さであり、優しさでもあるのだろう。

スティーブ・ジョブズ逝去

朝、いつものように仕事机のMacBook Proを立ち上げたら、スティーブ・ジョブズが亡くなったというニュースヘッドラインが目に入った。

ここ数年、彼の健康状態が思わしくなかったのは激痩せした見た目からも明らかだったし、今年八月にアップルのCEOを退任すると発表されてからは、その日が来るのも遠くないのかもしれない、とある程度覚悟はしていた。しかし、まだ56歳。逝くには早すぎる。

彼と彼が創り出した製品について個人的に思うところは、以前「Stay hungry. Stay foolish.」というエントリーにも書いたことがある。もし、学生時代に出版社でアルバイトをした時にMacintoshに触れていなかったら、その後の僕の人生は、今とはずいぶん違うものになっていただろう。だから、スティーブ・ジョブズには本当に感謝している。

「満足するな。常識を捨てよ」。自分もそうありたい、と思う。謹んでご冥福をお祈りします。

父について

2011年7月27日未明、父が逝った。71歳だった。

当時、父は母と一緒に、イタリア北部の山岳地帯、ドロミーティを巡るツアーに参加していた。山間部にある瀟洒なホテルの浴室で、父は突然、脳内出血を起こして倒れた。ヘリコプターでボルツァーノ市内の病院に緊急搬送されたが、すでに手の施しようもない状態で、30分後に息を引き取ったという。

父の死を報せる妹からのメールを、僕は取材の仕事で滞在中だったラダックのレーで受け取った。現地に残っている母に付き添うため、翌朝、僕はレーからデリー、そしてミラノに飛び、そこから四時間ほど高速道路を車で移動して、母がいるボルツァーノ市内のホテルに向かった。

車の中で僕は、子供の頃のある日の夜のことを思い出していた。その夜、僕たち家族は車で出かけて、少し遠くにある中華料理店に晩ごはんを食べに行ったのだ。店のことは何も憶えていないが、帰りの車で助手席に坐った時、運転席でシフトレバーを握る父の左手にぷっくり浮かんだ静脈を指でつついて遊んだことは、不思議によく憶えている。指先に父の手のぬくもりを感じながら、「もし、この温かい手を持つ人が自分の側からいなくなったら、どうすればいいんだろう?」と、不安にかられたことも。

翌朝、病院の遺体安置所で対面した父は、まるで日当りのいい場所で居眠りをしているような、綺麗で穏やかな顔をしていた。腹の上で組まれた父の手に、僕は触れた。温かかったはずのその手は、氷のように冷たく、固かった。

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プロフェッショナルの条件

以前、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で松本人志が取り上げられた時、「あなたにとってプロフェッショナルとは何ですか?」という質問に、彼は「素人に圧倒的な力の差を見せつけること」と答えていた。それは至極もっともな定義だと思う。

でも、最近の僕は、プロフェッショナルの条件について、こんな風に感じている。

やるべきことを、きっちりとやれること。

何か、いきなりハードルがものすごく下がったような気もするが(苦笑)、ここのところ、当たり前にやるべきことができていない取引先に遭遇することが多いのだ。再三確認したにもかかわらず、作業スケジュールが何カ月も遅れてしまうとか。依頼内容や使用範囲に比べて、報酬がありえないくらい安いとか。報酬の入金期日が守られないとか。制作中にトラブルが起こっても、まともに連絡もしてこないとか‥‥。

「素人に圧倒的な力の差を見せつける」ことを目指して働こうにも、その前に足元をすくわれてしまったら、こちらとしても、どうしようもない。かといって、「ま、いいか」と妥協してしまったら、自分の仕事をそのレベルにまで貶めてしまうことになる。ほんと、頭が痛い‥‥。

仕事の選り好みをするつもりはないし、相場より安いギャラでも我慢して、〆切もきちんと守る。だから、依頼する側も、当たり前にやるべきことを、ちゃんとやってほしい。ほんと、プロをナメるな、と思う。