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時間の優しさ

週末を利用して、岡山の実家に帰省していた。僕が帰国するまで待ってもらっていた、父の納骨式のために。

納骨式は、昨日の朝のうちに行った。うちの家系の墓は、実家からすぐのところにある。雲一つないうららかな空を見上げながら、みんなで墓地まで歩いていく。墓地で待っていてくれた業者さんが、墓石の一部を外し、父の骨壺を中に収め、再び墓石を元に戻す。新しい花を挿し、水をかけ、ビールとおつまみを供え、線香を上げる。それでおしまい。父は、無宗教での弔いを望んでいたから。

父が逝った直後に比べると、母と妹はずいぶんしゃんとして、元気になっていた。誰も彼も、父のいない日常を少しずつ受け入れつつある。実家の中には、まだ至るところに父の気配が——ぎっしりと積み上げられた本や、几帳面に整理された文房具や、使い古された安楽椅子が——あるけれど、その気配も、時が経つにつれ、少しずつ薄れていくのかもしれない。それが、時間の残酷さであり、優しさでもあるのだろう。

スティーブ・ジョブズ逝去

朝、いつものように仕事机のMacBook Proを立ち上げたら、スティーブ・ジョブズが亡くなったというニュースヘッドラインが目に入った。

ここ数年、彼の健康状態が思わしくなかったのは激痩せした見た目からも明らかだったし、今年八月にアップルのCEOを退任すると発表されてからは、その日が来るのも遠くないのかもしれない、とある程度覚悟はしていた。しかし、まだ56歳。逝くには早すぎる。

彼と彼が創り出した製品について個人的に思うところは、以前「Stay hungry. Stay foolish.」というエントリーにも書いたことがある。もし、学生時代に出版社でアルバイトをした時にMacintoshに触れていなかったら、その後の僕の人生は、今とはずいぶん違うものになっていただろう。だから、スティーブ・ジョブズには本当に感謝している。

「満足するな。常識を捨てよ」。自分もそうありたい、と思う。謹んでご冥福をお祈りします。

父について

2011年7月27日未明、父が逝った。71歳だった。

当時、父は母と一緒に、イタリア北部の山岳地帯、ドロミーティを巡るツアーに参加していた。山間部にある瀟洒なホテルの浴室で、父は突然、脳内出血を起こして倒れた。ヘリコプターでボルツァーノ市内の病院に緊急搬送されたが、すでに手の施しようもない状態で、30分後に息を引き取ったという。

父の死を報せる妹からのメールを、僕は取材の仕事で滞在中だったラダックのレーで受け取った。現地に残っている母に付き添うため、翌朝、僕はレーからデリー、そしてミラノに飛び、そこから四時間ほど高速道路を車で移動して、母がいるボルツァーノ市内のホテルに向かった。

車の中で僕は、子供の頃のある日の夜のことを思い出していた。その夜、僕たち家族は車で出かけて、少し遠くにある中華料理店に晩ごはんを食べに行ったのだ。店のことは何も憶えていないが、帰りの車で助手席に坐った時、運転席でシフトレバーを握る父の左手にぷっくり浮かんだ静脈を指でつついて遊んだことは、不思議によく憶えている。指先に父の手のぬくもりを感じながら、「もし、この温かい手を持つ人が自分の側からいなくなったら、どうすればいいんだろう?」と、不安にかられたことも。

翌朝、病院の遺体安置所で対面した父は、まるで日当りのいい場所で居眠りをしているような、綺麗で穏やかな顔をしていた。腹の上で組まれた父の手に、僕は触れた。温かかったはずのその手は、氷のように冷たく、固かった。

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プロフェッショナルの条件

以前、「プロフェッショナル 仕事の流儀」で松本人志が取り上げられた時、「あなたにとってプロフェッショナルとは何ですか?」という質問に、彼は「素人に圧倒的な力の差を見せつけること」と答えていた。それは至極もっともな定義だと思う。

でも、最近の僕は、プロフェッショナルの条件について、こんな風に感じている。

やるべきことを、きっちりとやれること。

何か、いきなりハードルがものすごく下がったような気もするが(苦笑)、ここのところ、当たり前にやるべきことができていない取引先に遭遇することが多いのだ。再三確認したにもかかわらず、作業スケジュールが何カ月も遅れてしまうとか。依頼内容や使用範囲に比べて、報酬がありえないくらい安いとか。報酬の入金期日が守られないとか。制作中にトラブルが起こっても、まともに連絡もしてこないとか‥‥。

「素人に圧倒的な力の差を見せつける」ことを目指して働こうにも、その前に足元をすくわれてしまったら、こちらとしても、どうしようもない。かといって、「ま、いいか」と妥協してしまったら、自分の仕事をそのレベルにまで貶めてしまうことになる。ほんと、頭が痛い‥‥。

仕事の選り好みをするつもりはないし、相場より安いギャラでも我慢して、〆切もきちんと守る。だから、依頼する側も、当たり前にやるべきことを、ちゃんとやってほしい。ほんと、プロをナメるな、と思う。

僕が就職活動を止めた理由

クラシコムさんの会社説明会についてのエントリーを読んでいるうちに、自分について思い出したことをつらつらと。

僕は今まで、企業の正社員として働いた経験がない。アルバイトだったり、契約社員だったりといった働き方をしているうちに、いつのまにかフリーランスになっていた。

もちろん、最初から就職することを放棄していたわけではない。大学四年の初め頃は、同学年の他の学生たちと同じように紺色のスーツを着て、いくつかの会社の面接を受けて回ったりしていた。当時からぼんやりと出版関係の仕事に就きたいと考えていたから、回るのはもっぱら出版社。でも、そうして会社回りをしていても、僕はずっと、うまく言葉にできない違和感のようなものを感じていた。

僕はいったい、何をやりたいんだろう?

その頃の僕は、他の学生がしているのと同じように就職活動をして、卒業したら会社勤めをするのが当たり前だと考えていた。世間体に合わせて就職するのが唯一の道で、それ以外の選択肢があるかもしれないことを、想像すらしていなかった。でも、面接に行く先々で、会社への忠誠心を試すような質問ばかりされているうちに、僕は自分が本当にこの人たちの会社に就職したいと思っているのか、わからなくなった。自分自身が何をやりたいのかあやふやなまま、何となく就職してしまってもいいのだろうか、と。

そんな風に悩んでいた時、当時お世話になっていた方から、こう言われたのだ。

「まあ、別にすぐに就職しなくても、一年くらい大学を休んで、旅でもしてきたら?」

そのひとことで、僕の心は、くびきから解き放たれたかのように軽くなった。そうか、今すぐ就職したくないのなら、しなくてもいいんだ。旅に出る、という選択肢もあるんだ。

僕は、ぱったりと就職活動を止めた。大学を自主休学し、バイトで旅費を稼ぎ、本当に旅に出てしまった。上海まで船で渡って、シベリア鉄道でソ連崩壊直後のロシアを抜け、夜行列車を宿代わりにヨーロッパを巡るという、初めての海外にしてはいささか無謀な旅に。

今思うと、あの時、就職活動を止めて、本当によかったと思う。初めての海外放浪は、二十歳そこそこの若僧にはとても受け止めきれないほどの圧倒的な現実を見せてくれたし、小さな出版社での旅費稼ぎのバイトを通じて、就職活動をしていた頃にはまったくわかっていなかった、本作りの仕事の厳しさと楽しさを知った。そして何より「自分が本当に心の底から作りたいと思える本を作る」という、今も変わらない目標を見出すことができた。まあ、そこからの下積みというか紆余曲折というか、苦労は人一倍しているけれど(笑)。

当たり前と思っていた道を踏み外したことで、僕は、自分の道を見つけることができたような気がする。