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二十歳の頃

終日、部屋で仕事。‥‥そうか、今日は成人の日か。

自分が二十歳の頃は‥‥もう本当に何もできない、何の役にも立たないデクノボーで、どれくらいダメかというと、自分のダメさ加減を自分でわかってないくらいにダメなやつだった(苦笑)。それに比べれば、僕が今知ってる二十歳くらいの人たちは、性格もものの考え方もすごくしっかりしてるなあと思う。ちゃんとしてる、本当に。

一方、二十歳から長い年月を経た今の自分はというと‥‥あいかわらず、ミンナニデクノボートヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレズ、という感じ。とりあえず、人様に迷惑だけはかけないようにしなきゃ。仕事、がんばろ。

自分で選んだ道

終日、部屋で仕事。斜光が射し込む無音の部屋の中で、あれこれ資料をひっくり返しつつ、カタカタとキーボードを叩き続ける。

こうして執筆に没頭していると、ポール・オースターの初期の作品によく出てきた、部屋に閉じ込められたままひたすら文章を書き続ける男のモチーフを思い出す。周囲の世界が消滅して、この部屋だけしか存在していないかのような感覚。こんなことを続けていて大丈夫なのか。自分がやっていることは間違ってはいないのか。ふいに不安になることもある。

でも、これは、僕が自分で選んだ道だから。誰かに道案内してもらっているわけでもなく、自分の足で前に進んでいるのだから。どれだけ苦しんでも、どれだけ途方に暮れても、その先にあるものを目指すしかない。

たぶん僕には、そういうやり方しかできないのだと思う。

光の射す道を

大晦日と元旦は、岡山から来た実家の人間たち——母と妹の一家と、安曇野の家で落ち合って過ごした。冬至蕎麦を食べ、村営の温泉にどっぷり浸かり、雑煮とおせちを食べ、初詣に行っておみくじを引き‥‥。ここ数年変わらない、いたって普通の過ごし方。

違うのは、去年までは家族の輪の中心に当たり前のようにいた、父がいないこと。何をしていても、ひとり足りない、とどうしても思ってしまう。

それでも時間は流れ、人生は続いていく。僕たちは歩いていくのだ、光の射す道を。

普通の一日

ここ最近、あまり睡眠時間が足りてなかったので、二度寝して昼頃に起きる。

飲み会続きで疲れた胃腸をいたわるため、今日はおひるをあえて抜いてみた。缶コーヒーを飲みながらメールやニュースのチェックをしていると、どうやら金正日が死んだらしい。哀悼の意を表する雰囲気はどこにも微塵も感じられないが、みんなの関心事は、北朝鮮がやけっぱちになってミサイルをぶっ放したりしないかということの方だから、むべなるかな。

仕事の方は、これから作る本のカラーグラビアの構成の検討。どの写真をどんな風にして載せるか、実際にレイアウトイメージを作って試行錯誤しながら考えていく。夕方、ちょっと腹が空いてきたので、冷凍ごはんをあっためて、納豆とキムチと生玉子をのせ、味噌汁と一緒に食べる。

まあ、そんな感じの普通の一日。一応、誕生日だったんだけどね。

日記を書く場所

一日一回、こうしてブログを書くことは、僕にとっては暇つぶしというか、すっかり習慣と化しているのだが、この習慣がいつ頃から始まったのかと思い返してみると、かれこれ十年も前のことだった。ひょえー。

当時はブログなんてほとんど影も形もなくて、テキストエディタでコーディングして作った個人サイトで日記を書いていた。Movable Typeに移行したのがその数年後。今と違うのは、通常の日記の他に、当時はWeb上で見つけたちょっとヘンだったり面白かったりするネタを、コメントとリンク付きで毎日数本紹介していたことだった。それはそれで楽しかったし、そういったB級ニュースを目当てにアクセスしてくれる人も少なからずいた。

ただ、その後はB級ニュースを集めて紹介するサイトはものすごく増えてしまったし、情報を共有する方法もTwitterやFacebookで恐ろしく簡単にできるようになったので、アマノジャクな僕は、ブログでB級ニュースを紹介するのをやめることにした。以後、ひたすらだらだらと独り言を書きつけるという今のスタイルが確立されるに至る(笑)。

日記を書くこと自体が生産的な行為だとは、別に思っていない。ただ、何か思うところがあって文章を書いておかなければならない時、それをささっと書けて、それを読んでくれる人がいる(かもしれない)場所があるというのは、僕にとっては割と大事なことだ。読み飛ばされても文句の言えない140文字じゃ伝わらないこと、たくさんあるから。