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服の断捨離

今日は激しい雨やら雷やら、何だか不穏な空模様。夕方になってちょっと安定してきたようだったので、吉祥寺まで歩いて行って、いくつか買い物。来週からの旅に必要なものと、無印良品でポリの衣類収納ケース。

家に戻って、買ってきた衣類収納ケースを追加セットし、一念発起、クローゼットの整理を始める。僕は服に関しては未練がましくて、下着や靴下はノビノビになってすりきれて最終的に穴が開いても捨てるかどうか躊躇してしまう。逆に言えば単に横着かつ無頓着なのだろうが、そんなわけで年々、クローゼットの中がひどくカオスな状態になってしまっていたのだ。

大きめのビニール袋を用意して、ばっさばっさといらない服を放り込む。穴の開いたトランクス、ゴムの伸びきった靴下、首まわりが元の倍くらいだるだるになったスウェット、しみのできたTシャツ……なんでこんなのキープしてたんだろ、と我ながら呆れる。

旅から旅へという日々を続けていると、とかく、ベースとなる生活がおろそかになってしまう。自炊とかがままならないのは仕方ないけど、ちょっとずつでも、生活を整えるのを忘れないようにしなければ、と思う。

……しかしまあ、今回の断捨離に関しては、今までが横着すぎただけなんだよな(苦笑)。

憧れの人

昨日の夜は、ラダック写真展開催中の横浜中華街のお店で、気のおけない何人かで集まっての飲み会。割と早めの時間から夜半前まで、のんびり飲んで、愉しかった。

その席上で、「それまでずっと憧れていて、実際に面と向かって会えて、感動した人は誰か」という話題になった。僕の場合は誰だろう……取材とかでは割といろんな人に会わせてもらってるけど……。で、今、あらためて思い返してみると、これまでに二人いたかな、と思う。

一人は、写真家のセバスチャン・サルガド。十数年前、渋谷で彼の大規模な写真展が開催されていた時、来日して会場に来ていた彼に、図録にサインしてもらったのだった。自分が二十代初めの頃からずっと尊敬していた人だったから、あの時は本当に気分が舞い上がったのを覚えている。

もう一人は、ダライ・ラマ法王。これも十数年前、両国国技館での講演のために来日された時、僕は講演会場でボランティアとしてお手伝いしていたのだが、ご帰国の直前、宿泊先のホテルでほかのボランティアのメンバーとともに謁見させていただく機会に恵まれた。あの時も尋常でないくらい緊張したなあ……。

二人に共通していたのは、握手していただいた手の、柔らかさと、温かさ。たぶん、一生忘れられない感触だと思う。

完全復活

ここ数日、喉というかたぶん扁桃腺を腫らしたか何かで、呼吸も食事もままならず、ぐったりしていた。かといって医者に行ったわけでもなく、ケンカに負けて怪我した野良猫みたいにもっぱら自分の部屋で横になって耐えていたのだが、昨日あたりからだいぶ回復。呼吸が楽になってちゃんと眠れるようになり、食事も普通に飲み食いできるようになった。

気分的にも完全復活した今日は、仕事の調子もすこぶるよかった。作業が遅れていた先週収録のインタビューは、今日の夕方までに音声起こしを終わらせ、夕方からついさっきまでかけて、約8000字の草稿を一気に書き上げた。ひさしぶりに集中してキーボードを叩ける気分のよさ。内容的にも面白いインタビューだったから、もう最高である。

で、今、数日ぶりにビールを飲んでるところ。しみじみうまい。

自由な時間

ここしばらく、たまりにたまってた仕事の山を、我ながらものすごく地道に崩し続け、ついさっき、どうにかこうにかきれいさっぱり片付けた。

関係各所からどんな回答が返ってくるかにもよるが、少なくともあと2日間くらいは、何も考えずに休むことができそうだ。ひっさしぶりに、肩に何の重荷も載ってない、自由な時間。ほんとに大丈夫か?と疑心暗鬼に陥りそうになるのは、もはや職業病なのだろうか。

明日、何しようかな。コーヒー飲んで、本読んで……何もしないでいようかな。

自分の才能のなさに気付いた時

生きている中で、何かに対して、一生懸命に取り組む。勉強とか、スポーツとか、音楽、絵画、文章、写真……。そうして何かに夢中で取り組んでいるうちに、ほとんどの人は、その分野での自分の才能の限界に気付く。

才能というのは、その人が持って生まれた素質と、後から努力によって身につけることのできる能力とに分かれる。努力を積み重ねればいつか必ず報われる、と信じたいところだが、そんな努力の積み重ねすら軽々と凌駕してしまう圧倒的な素質の持ち主は、世の中に確かにいる。真摯に取り組めば取り組むほど、その差を思い知らされることになる。

才能の比べ合いで頂点のレベルに到達できる人は、この世にほんのひと握りしかいない。では、それ以外の人は、何かに対して取り組む価値すらないのだろうか? そんなことはない、と僕は思う。分野にもよるが、誰が誰より上か下かという才能の比べ合い自体には、本質的な価値はない。それよりも大切なのは、何のためにそれに取り組むか。何を成し遂げ、何を生み出し、何を伝え、何を残すのか。才能がないならないで、手持ちの限られた武器でどう戦い、どんな結果を目指すのかを考えればいい。

自分の才能のなさに気付いた時。そこからが本当のスタートなのではないかと思う。