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もしも明日人生が終わるとしたら

飲み会の席で、こんなことを訊かれた。

「もしも明日人生が終わるとしたら、最後の日、何をしたいですか?」

さて、何をしよう‥‥と考えてみると、意外なほどすんなりと、自分の場合はこれだな、という答えが出た。

その時点で手元にある、未発表の写真や文章。それを残された24時間(せめてそのくらいの時間はもらいたい)を使って、できるだけ選んで整理して、何らかの形で発表できるようにまとめる。最低限の準備しかできないだろうけど、まあそれは仕方ない。まとめた素材は、信頼できる人に「すみませんが、これをお願いします」と託す。

その後、もし時間が少し残っていたら、ビールを飲みながら何かおいしいものが食べたい。営業時間内だったら、リトスタがいいな。家から近いし。飲み食いし終えたら、家に帰って、まあこんなものかな、と思いながら、その時を待つ。

「そうして発表されたものが読者にどんな風に受け取られるか、知ることができなくてもいいんですか?」と訊かれた。反応を知る時間がないのは確かに残念だけど、褒めてもらうのが目的ではないから。伝えられれば、それでいい。

実際に、そんな風に終えられたら、いいかもな、と思う。

社会人になりきれず

今朝、FacebookやTwitterのタイムラインを見ていると、「新社会人」という言葉がたくさん目についた。そういえば今日は、そういう日だったか。

自分が新社会人デビューした頃をふりかえってみると‥‥あれ? 記憶が‥‥まったくない‥‥。

考えてみれば、あの頃の僕は、やることなすことむちゃくちゃだった。大学4年の途中で授業を全部放棄して、1年半の自主休学。とある出版社でバイトをして金を貯め、4カ月間の旅に出て、帰国してからまたバイト。大学6年目にあたる年の春から学校には戻ったが、バイトに明け暮れてろくに授業にも出ないまま、ほうほうのていで卒業。その後も正社員として就職することは一度もなく(「正社員にならないか?」と言われても断っていた)、編プロや出版社でしばらく働いては旅に出る、というのをくりかえしていた。

だから僕の場合、学生から新社会人になった時の境界線が、ものすごくあいまいなのだ。ことによると、未だに真っ当な社会人には、なりきれていないのかもしれない。

でも、まあ、それはそれで、僕にとっては、よかったのかな、とも思う。社会に用意された型に嵌まらない、いびつな存在のままでいられたから。

ビフテキとメーテル

昼の間に、推敲を終えた原稿を納品。これで出発までに終わらせる必要のあった仕事は全部片付いた。夕方になって雨が止んだので、歩いて吉祥寺へ。昨日の荷造りの時に足りないと気付いたものをいくつか買う。

晩飯は、吉祥寺の立ち食いステーキ屋で、リブロースステーキ。隣では僕よりも年配のおじさんがものすごい量のサーロインステーキをもりもり食べている。カウンターの反対側では若い女の子が一人で食べてるし、カップルも二組ぐらいいる。野郎御用達の店かと思いきや、客層もいろいろだ。

僕的には、「ステーキ」よりも「ビフテキ」という言葉の方が好きで、何だか愛着が湧く。子供の頃に見た「銀河鉄道999」で、メーテルが何かにつけてビフテキを食べていたのが、ほんとにうまそうで。あれによる脳への刷り込みは半端なかったと今でも思う。

ちなみに「ビフテキ」の語源は「ビーフステーキ」ではなく、フランス語の「ビフテック(bifteck)」という説が有力なのだそうだ。どっちにせよ、カタカナ4文字の「ビフテキ」が、一番うまそうだな。

老いに思う

僕もまあ、なんだかんだで、ええ歳こいたおっさんである。白髪は増えたし、肌もくすんできた。身体も昔ほど無理が効かない。長めの海外取材の後など、疲労が抜けるのに時間がかかるようになった。

とはいえ、別に、歳を取っていくことを毛嫌いしたり、恐れたりはしていない。まあ、それはそれで人間のあるべき姿だと、従容と受け入れている。だから、老いを隠そうとか、無理に若づくりをしようとかは、まったく思わない。いいじゃん、別に、年相応で、と。

ただ、同じ老いるのでも、自分自身の操縦桿を手放してしまうような老い方はしたくないな、とは思う。それは、身体の自己管理だけでなく、周囲の人との付き合い方とか、仕事への姿勢とか、もっと言えば心のありようとか。それが許される状況であるかぎり、なるべく操縦桿は自分自身の手で握っていたい。

そうでなくても、人間はしばしば困難にぶち当たって、自分ではどうにもならない理由で制御を失ってしまうのだ。単なる怠惰や妥協に身を任せてしまうのはもったいない。

アメリカンコーヒー

喫茶店に入って、ブレンドコーヒーを注文した。初めて入った店だった。カフェというより、昔ながらの喫茶店。店内は広く、席と席の間もゆったりしていて、悪くない。

やや酸味の強い、いかにも昔の喫茶店の味という感じのブレンドコーヒーをすすっていると、まだ全部飲み終わらないうちに、なぜか目の前にもう一杯、コーヒーが運ばれてきた。

「サービスです。アメリカンコーヒーですが、よかったら」

びっくりした。スタバとかで新商品の試飲を小さなカップで出してもらえたりすることはたまにあるが、こういう昔からの喫茶店で、コーヒーを丸々一杯おまけされるなんて経験は、初めてだ。初見の客だったから、ちょっとおまけしてもらえたのだろうか。しかし、なぜ、ブレンドを飲んでる客にアメリカン。

正直、アメリカンはちょっと苦手なんだけど(笑)、このお店には、また来ようと思った。おまけ目当てとかではなく、なんとなく、いいなあ、と。