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共に旅してこそ

この週末から、「ラダック ザンスカール トラベルガイド インドの中の小さなチベット」が書店に並びはじめた。実際に手に取って読んでくれた友人・知人の方々から、感想のメールや電話などを何件もいただいている。曰く、「適度にマニアックなのがいい」「折込地図がいい」「情報の広さと濃さのバランスがいい」などなど。そういう感想を目にするたび、じんわりと嬉しくなる。

ある方からは、「とても綺麗にできているので、ガイドブックとして現地に持って行って、ボロボロになってしまうのがもったいないくらい。でも、汚れてしまうほど使い込まれるのが、作者としては楽しみなんでしょうね」という感想をいただいた。確かに、本の作り手としては、自分が手がけた本は大切にしてもらえるに越したことはない。でも、ガイドブックは、使い込んでナンボというか、かの地を共に旅してこそ、真の役割を果たせる本だと思う。だから、読者の方には遠慮なくガンガン使い込んでもらいたいし、その方が僕も嬉しい。

「それでもやっぱりもったいない‥‥」という方は、もしよかったら、保存用にもう一冊どうぞ(笑)。

緊張と弛緩

昨日の午後は、bayfmの「THE FLINTSTONE」という番組の収録のため、海浜幕張にあるbayfm本社に行った。ラダックのガイドブックの件で、話をさせていただくことになったのだ。

スタジオに入ってご挨拶をし、マイクテストも兼ねて雑談をしていると、いつの間にか収録が始まり、あうあうしてるうちに終了。もはや緊張してたのかどうかもよく覚えてないくらい、記憶が断片的(苦笑)。俺、ちゃんとしゃべれてたのかな‥‥。でも、DJの長澤ゆきさんの話術はさすがだった。人前に出たりしゃべったりする人ってすごいなあ、と改めて思う。

緊張の収録を終え、ほっとして電車に乗って都心に戻る。時間つぶしに立ち寄った神保町の石井スポーツで、あるデイパックに一目惚れ。ボレアスというメーカーのラーキンという製品で、シンプルで潔いデザインと背負い心地の軽さが理想的。これも出会いだと、即決して買ってしまった。

夜は吉祥寺で、今回のガイドブックでお世話になった旅行会社の知人の方々と飲み会。旅のあれこれを話しながら、気楽に酒が飲めて、楽しかった。昼間の緊張から解放されたのも、酒がうまかった原因かもしれない。いろいろありがたいことだなあ、と思う。

日本の山、ラダックの山

この間から、奥多摩や丹沢を歩いてみて、やはり日本の山は素晴らしいなあ、と再認識している。

うっすらと霞がかかる山並みの風景はとても美しいし、緑は豊かで、覚えきれないほど多種多様な草木がひしめいているし。鳥はさえずり、猿は悠々と行進し(笑)、生命の気配にあふれている。その一方で、登山道は細かいところまで丁寧に整備されていて、老若男女誰でも歩けるように、至れり尽くせり。当たり前かもしれないけれど、日本らしいのだ、日本の山は。

でも、そういう日本の山のよさを感じてみると、あらためて、ラダックの山の中を歩いてきた自分の体験が、いかにかけがえのないものだったかということもわかる。とてつもなく苛烈で、だからこそ美しい自然の中で、ひっそりと息づく村や、悠然と暮らす遊牧の民を訪ね歩いた日々。考えてみれば、何という贅沢な時間だったことか。

日本の山で穏やかな体験をした後だからこそ、戻りたくなる。あの場所に。

安楽椅子

昨日の夕方、出版社から「ラダック ザンスカール トラベルガイド」の見本誌が二冊届いた。梱包を開けて本を手に取り、カバーや帯、折込地図の具合を確かめ、ぱらぱらとめくってみる。この一年半、必死になって作り続けてきた本。よかった。ちゃんと一冊の本になっている。

嬉しいとか、報われたとか、そういうわかりやすい感情は、不思議と湧いてこなかった。僕はただ、ぼんやりと、実家の和室の縁側にあった安楽椅子のことを考えていた。

去年の夏、イタリア旅行中に急死した父の葬儀のため、僕はラダックでの取材を中断して、岡山にある実家に戻っていた。葬儀の後、父の遺影と遺骨は、家の西の端にある和室に置くことになった。その和室は家の中でも一番静かな場所で、縁側の外は庭に面していて、とても涼しかった。

縁側に、一脚の古ぼけた安楽椅子がある。ふと目をやると、その安楽椅子の肘掛けの上に、本が一冊、置いてあった。それは少し前に出たばかりの、僕とライターの友人が共同で書いた電子書籍についてのハウツー本だった。たぶん、父がここで読んでいたのだろう。電子書籍なんて、およそ一番縁遠いはずの人間なのに。

僕が新しい本を出すたびに、父は、安楽椅子にもたれながら、僕の本を読んでくれていたのだと思う。自分の本がそんな風にして父に読まれていたことを、僕はそれまで想像すらしていなかった。でも、もうこの安楽椅子で、父が僕の本を読むことはない。そう考えると、胸がぐさっと抉られるような思いがした。

あれから九カ月。僕の新しい本を、父は読んでくれるだろうか。あの空の向こうの安楽椅子で。

ガイドブックなんて

昨夜の飲み会の時のこと。隣の席にいた数人の中年のお客さんが、旅についての話をしているのが聞こえてきた。

「ガイドブックなんて、旅行の前に一応買うけど、結局、役に立たないよね。現地で情報収集するのが一番だよ!」

‥‥まあ、そうなのかもしれないな(苦笑)。確かに旅行の時は、現地でしっかり情報収集するのが一番確実だし、大事だと思う。ガイドブックに頼りすぎると、現地の事情が変わっていた時、思わぬ痛い目に遭う。僕自身、旅をする時はガイドブックにはあまり頼らず、出たとこ勝負で決めるタイプだし。それは否定しない。

ガイドブックというのは、世間ではこんな風に「ガイドブックなんて‥‥」と言われるような類の本なのだろう。読んだ人が「感動しました!」と涙を流すわけでもないし、諸事情により掲載していない情報があれば「載っていないじゃないか!」と叩かれ、時間の経過とともに現地の事情が変わったら「間違ってるじゃないか!」と怒られる。それが、ガイドブックの宿命なのかもしれない。

でも、今回のラダックのガイドブックは、そんなことも全部ひっくるめた上でも「いい本だな」と思ってもらえるように、心血を注いで作ったつもり。現地での取材に協力してくれたたくさんの人たちや、日本で制作をサポートしてくれた大勢の関係者の方々に、恥じない出来にはなっていると思う。

書店で手に取って、ぱらぱらとでもめくってもらえれば、きっと伝わるはず。僕たちの思いが。