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六月の台風

午後半ば頃から雨が落ちはじめ、夕刻から夜になると、激しい嵐になった。台風四号が上陸したらしい。まだ六月なのに、台風とは。

この台風四号、別名を「グチョル」というらしい。なんじゃらほいと思ってググってみると、ミクロネシア語で「ウコン」の意味だとか。環太平洋地域の各国の政府間組織が、各国から持ち寄られた名称を順番につけていってるらしい。ウコン‥‥なぜ‥‥。

今も窓の外では、颶風が唸りを上げている。土砂崩れなどで大きな被害が出ないといいのだが。明日は晴れるのかな。

日本の山、ラダックの山

この間から、奥多摩や丹沢を歩いてみて、やはり日本の山は素晴らしいなあ、と再認識している。

うっすらと霞がかかる山並みの風景はとても美しいし、緑は豊かで、覚えきれないほど多種多様な草木がひしめいているし。鳥はさえずり、猿は悠々と行進し(笑)、生命の気配にあふれている。その一方で、登山道は細かいところまで丁寧に整備されていて、老若男女誰でも歩けるように、至れり尽くせり。当たり前かもしれないけれど、日本らしいのだ、日本の山は。

でも、そういう日本の山のよさを感じてみると、あらためて、ラダックの山の中を歩いてきた自分の体験が、いかにかけがえのないものだったかということもわかる。とてつもなく苛烈で、だからこそ美しい自然の中で、ひっそりと息づく村や、悠然と暮らす遊牧の民を訪ね歩いた日々。考えてみれば、何という贅沢な時間だったことか。

日本の山で穏やかな体験をした後だからこそ、戻りたくなる。あの場所に。

桜並木

昨夜はラダックをテーマにしたトークイベントにゲスト出演したりしていて、すっかりヘロヘロだったのだが、今日を逃すとゆっくり花見をする時間がないということで、眠い目をこすりつつ、出かけてきた。目指したのは国立。うららかな陽射しの下で、ずらりと並んだ桜並木が、細い枝の先までぷくぷくと白い花をつけていた。特にカメラは持って行かなかったのだが、iPhoneでもそれなりによく写る。

震災の記憶

午後、吉祥寺へ。吉祥寺美術館で開催中の石川梵さんの写真展「The Days After 東日本大震災の記憶」を観る。

去年起こった震災の時、石川さんは翌日自らセスナをチャーターし、東北の被災地の空撮を行った。その後も陸路で被災地を回り、二カ月にも及ぶ現地取材に取り組んだ。取材は今も続けられていて、この写真展ではつい先月撮影されたばかりの、震災から一年後の被災地の写真も展示されていた。

それは、報道写真のような「記録」の写真ではなかった。一人の写真家が長い時間をかけて見つめ続けた、「記憶」の写真。たとえようもない悲しみと、虚無感と、そして‥‥雲間から微かに射す光。そこに光があるのかどうかさえ、わからないほどの。

人間は、忘れる動物だ。特に、自分と直接関係のない他人の悲しみについては、忘れるのが早い。悲しみだけに囚われて生きていくのは決していいことではないけれど、でも、あの震災の「記憶」は、すべての日本人が胸の奥に小さな痛みとして抱え続けていくべきものだと思う。でなければ、被災地の人々をこれから支えていくことなどできはしない。

石川さんの写真は、あらためてそのことを教えてくれた気がする。

一年が過ぎて

3月11日。東日本大震災が起こってから、一年が過ぎた。

一年前のこの日、凄惨な光景が映し出されるテレビの映像を見ながら感じていたのは、「またか」という思いだった。その半年ちょっと前の2010年8月に滞在していたラダックでは、集中豪雨による洪水で600人以上の命が奪われていた。僕は、トレッキングで訪れていた山の中で、濁流に呑まれそうになりながらも命からがら生き延びたのだが、その後は土石流で変わり果てた被災現場の写真を撮って、日本に送ることくらいしかできなかった。自分にとってかけがえのない場所や人々を襲った悲劇を目の当たりにした時の無力感とやりきれなさ、情けなさは、胸の奥にこびりついたままだ。震災の映像を見た時、その感覚がまざまざと甦った。

東北や北関東の被災地に比べれば、当時の東京の状況はどうということはなかった。計画停電なんて、ラダックは無計画停電が当たり前だし(苦笑)、菓子パンを買い占めたところで、食べ切れずに腐らせるだけだし。自分自身については、必要な用心さえしていれば何とでもなる、と開き直っていた。ただ、自分が被災地の人々に対して何か効果的なことができるのかと考えると、ラダックの洪水の時と同じ無力感に苛まれて、暗澹とした気分になった。

震災から数カ月後、父が急に逝ったことも、僕と家族にとっては大きな打撃だった。去年の初め頃から実現を目指していたラダックのガイドブック企画も、こうした想定外の出来事でたびたび頓挫し、ほとんど諦めかけた時期もある。そんな僕を奮い立たせてくれたのは、日本で、ラダックで、僕を支えてくれたたくさんの友人たちだった。

ラダックの洪水や東日本大震災の時から感じていたあの無力感は今も消えないけれど、自分が選んだ生き方の中で、自分にできること、やるべきことを一つずつ積み上げていこう、という気持にはなれた気がする。僕にとって、それは本を作ること。それしか能のない役立たずだけど(苦笑)、やるしかない、と。

みんながそれぞれの人生の中で、できることを精一杯やっていれば、きっと誰かに繋がる。今はそう信じている。