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小代焼のマグカップ


しばらく前から、マグカップを買おうと思って、どこかに良いものがないかと、ずっと探していた。

僕は毎朝、仕事を始める前にコーヒーをたっぷりいれ、仕事机でパソコンの脇に置いて、飲みながら作業に取りかかるのをルーティンにしている。その時、コーヒーを飲むのに使っていた自分用のマグカップは2つほどあって(イッタラのオリゴのマグと、バーズワーズのパターンドカップ)、どちらも10年くらい愛用してきたのだが、もう一つ、把手つきで良い感じのカップがあるといいな、とも思っていた。

研ぎ澄まされた北欧デザインの食器も、米国のダイナーで使われていたファイヤーキングのような無骨な大量生産品も、それぞれに良さがあると思うのだが、今回は日本の焼き物で何か良いマグカップはないかと探していた。手作りで、焼き上がりによって表情が一つひとつ異なるようなもの。ただ、そういう品はそもそも生産量が少ないので、ネットショップでよさそうな品を見つけてもすでに完売していたりと、なかなか良い出会いがなかった。

でも、ついこの間、見つけたのだ。これだ、というのを。

奥村忍さんが運営する「みんげい おくむら」を何気なくブラウズしていた時に目にしたのは、熊本県の小代焼ふもと窯のマグカップ。サイズ的に自分にちょうどいい塩梅で、把手もゆとりのある持ちやすそうな形。鷹揚な感じでかかっている青白い釉薬の表情もいい。値段もそこまで高くないし。

注文して、ほどなく届いた品を手に取って、ますます気に入った。しっくり手になじむし、実際にコーヒーを注いでみると、内側の白い釉薬の部分と黒いコーヒーのコントラストが、とても良い佇まいになる。おかげで、毎朝コーヒーをいれて飲むルーティンが、ますます楽しみになった。

日々の暮らしの中で何気なく使っている器や道具に、長く愛着の持てる、きちんと良いものを選ぶと、それだけ心にゆとりが持てるような気がする。このマグカップも、大事に、楽しみに使っていこうと思う。

Aside

暴力は結局、関わるすべての人を滅ぼしてしまう。
それを防ぐために人が編み出した手段が、司法であり、政治であり、民主主義なのだと思う。
我々は今、人としての原点に立ち戻らなければならない。

停電で一騒動

昨日の夜中、宮城県沖の深海で、大きな地震があった。東京も震度4くらいだったか、それなりに揺れた。

揺れ以上にびっくりしたのは、停電だった。東京都内だけで、200万軒以上が停電したそうだ。福島県などにある火力発電所が4カ所くらい停止して、電力の需給バランスを保つための装置が作動した結果らしい。僕の自宅のある界隈では、結局、1時間くらい停電が続いた。東京でこんなに長時間の停電を突発的に経験したのは、初めてかもしれない。

夜中の1時過ぎに電気は通じるようになったのだが、困ったのは、固定電話とインターネットの光回線が、復旧しなかったこと。今朝になってもつながらないままなので、マンションの管理会社に電話して相談。管理会社がNTTに連絡したところ、地震の影響で依頼が立て込んでいて、確認作業に来れるのは夕方頃になってしまうと知らされた。

困った。今日は昼過ぎから自宅で、リモート取材の仕事が入っていたのだ。復旧の見込みが立たないと知らされたのも午前中の遅い時刻だったので、取材の依頼元に連絡して、あれこれ調整を試みる。取材日を来週にずらせないかとか、取材時刻を遅らせて、その間に依頼元の東京支社に僕が出向くかとか、僕の代わりに依頼元の編集担当の人が取材するかとか……。文字通りのどたばた騒ぎになってしまった。

そうして、取材予定時刻の20分前になった頃、何の前触れもなく、急に光回線の接続が復旧した。理由はわからないが、たぶん、どこかよその場所でトラブっていた中継機器が修理された際に、うちの回線も一緒に復活したのではないかと思う。

本当にギリギリの土壇場で、取材に対応できることになり、あわてて身支度と準備を整えて、本番に突入。どうにか無事に捌き切る。終わった後は、本当にいろんな意味で疲れ果ててしまって、布団に潜ってしばらく寝てしまった。寝不足だったもんなあ、昨日の夜も。

願わくば、でかい余震など、起こりませんように。

半歩ずつでも

フリーランスの身ではあるが、今日から一応、仕事始め。いつものように、朝から吉祥寺のコワーキングスペースに籠って、本の原稿を書く。

巷では、コロナ禍が再燃しつつあるようで、新規感染者数も倍々のペースで増えつつあるようだ。そう遠くないうちに、また、いろいろ面倒な雰囲気の世の中に戻るのだろう。そう考えると、気が滅入ってきそうなものだが、僕自身は、割と普通というか、まあ、ある程度予想された状況でもあるし、しゃーない、という感じで構えている。

そうしていられるのは、いくつか理由があると思う。家では、真面目な話からたわいもない話まで、家族にいつでも、何でも話せるということ。仕事では、一昨年から昨年、そして今年と、何だかんだでずっと本を書き続けられているということ。そうして作った本を読んでくださった読者の方々から、日々いろいろな感想を寄せていただいているのも、本当に支えになる。

僕の本づくりのペースは本当にゆっくりだし、一歩々々進んでいるかどうかも怪しいけれど、たとえほんの半歩ずつでも、目指す方向に進んでいけたらと思う。周囲の人々を支えたり、逆に支えられたりしながら。

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池亀彩『インド残酷物語 世界一たくましい民』読了。主に帰省中の新幹線の車内で読んだのだが、興味深い内容だった。今まで何度となくインドに行った経験のある自分でさえ、知っているようであやふやなままだった、インドという国の複雑怪奇な社会構造と、そこから生じる問題や軋轢の数々が、著者に身近な人々の実例を交えて、リアルに、かつわかりやすく紹介されている。数千年前からの執拗なしがらみに囚われ続けている人々が、それでも生き抜くために身につけた、しぶとさ、しなやかさ、したたかさ。普段からインドに関わりのある人や、まだ関わりはないけど興味を持っている人には、読んでほしい一冊。

桃鉄とコールセンター

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

神戸と岡山を渡り歩く三泊四日の帰省を終え、昨日の夜、東京に戻ってきた。とりあえず、身内の人たちはみな変わらず息災で、ほっとした。結構な強行日程の帰省だったが、行ってよかったと思う。

帰省中、特に元旦はあちこちでごちそうやお酒をたらふくいただいてしまって、我ながらやばいなあと思っていたのだが、今朝体重計に乗ってみると、ほとんど増えていなかった。一昨日と昨日、できる範囲で節制したのがよかったのかもしれない。

岡山の実家に戻った時は、クリスマスにNintendo Switchをもらった甥っ子が「桃鉄をやろう」と言ってきて、桃鉄ほぼ未経験の僕をとっちめようと挑んできたのだが、プレイした四人のうち、僕が一人だけ、ぶっちぎりで大勝ちしてしまった。すごろくみたいな運任せのゲームとはいえ、さすがに大人気なかったと反省している(苦笑)。

神戸で大学に通っている姪っ子は、以前は焼鳥屋のホールスタッフのバイトをしていたそうだが、最近はカタログ通販のコールセンターでバイトしていると話してくれた。クレーム対応などでストレスがたまるバイトなのかと思いきや、電話をかけてくるお客さんも年配ののんびりした人たちばかりだそうで、たいそう牧歌的な職場なのだそうだ。「まくらカバーが二枚ほしいと電話をかけてきたお客さんに、まくら二つを手配してしまった時は、会社の人にちょっと怒られた」と、のほほんと話す姪っ子の顔を見て、平和だなあと思った(笑)。

さて、明日からはまた、本の原稿を書き続ける日々だ。がんばります。