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一人と、誰かと

「ヤマタカさんは、旅先とかでずーっと一人でも、全然平気なタイプですよね?」

今までに何人かの人から、こういう指摘をされたことがある。そうかもしれない。ホームシックとか単に人恋しいとかいった気分になったことはついぞ記憶にないし、特に旅先では、異国で一人ぼっちでいる状況にこそ、ぞくぞくするような喜びを感じるタイプだ。日本にいる時でも、友達付き合いはたぶんかなり悪い方で、自分から積極的に「飲みに行こうよ!」なんてことはまず言い出さない。

じゃあ、一人でいられればそれで十分なのか、満足なのかと聞かれると、それはちょっと違う、とも思う。普段何も問題がない時は一人でも平気だけど、何か困ったことが持ち上がった時、自分一人ではどうにもならない苦しみに陥った時、へこたれそうな自分を支えてくれるのは、間違いなく周囲にいてくれる大切な人たちだ。今までだって、何度もそうして支えてもらってきた。

「ラダックの風息」の最終章に書いた言葉は、そうした経験から出てきたものだったと思う。

時には、大切にしていた絆が、どうにもならない強い風に引きちぎられてしまうこともある。でもそんな時は、きっとほかの絆が支えてくれる。つなぎ止めてくれる。そして人はまた立ち上がって、前を向くことができる。そう、できるはずなのだ、僕たちにも。

三年前の震災の時も、僕たちはともするとぽきっと折れてしまいそうな心を、一緒に集まってごはんを食べたり、メールやツイートをやりとりしたりして、支え合っていたんじゃないかと思う。自分の周囲にいてくれる大切な人たちのことを忘れないこと。そして、苦しんでいる誰かを支えてあげられる力を少しでも身につけること。あれから三年という節目の日を迎えて、あらためてそう思う。

日帰りで新潟へ

昨日の朝は、午前三時半に起床。いつもなら、下手すると夜更かしして寝床に入るような時間だ。日帰りで新潟へ取材に行かなければならず、しかも現地での集合時間が朝の八時半とかだから、この時間に起きざるを得ない。

五時過ぎの中央線各駅停車に乗り、六時過ぎの上越新幹線で新潟へ出発。外はまだ真っ暗で、大宮を過ぎた頃からようやく朝日が射し染める。トンネルの出入りをくりかえし、越後湯沢にさしかかると、外の景色は一面の雪。えらいところにまで来てしまったと思ったが、長岡を過ぎると雪はほとんど消えて、ちょっと拍子抜けした。今年は雪が少ないそうだ。しかし新潟駅に降り立つと、ぞくぞくしてくるような寒さ。やはり北国だ。

駅の南口で依頼元の担当さんと待ち合わせ、車で取材先の大学へ。四人の先生にインタビュー。二人終えたところで、大学の学食でおひる。日替わり定食を頼むと、なぜかごはんをものすごい大盛りにしてくれた。大学の方曰く「ああ、それは学生に間違われましたね!」。またか‥‥(苦笑)。

夕方までに四人の取材を終え、へろへろな状態で新潟駅へ。これだけきつい思いをしに新潟まで来たからには、憂さ晴らしをせずにはいられない。駅の近くにある一軒の寿司屋に一人で入る。この界隈の寿司屋では、地魚を中心にした十種類のネタを使った「極み」という共通した名前のメニューがあるそうだ。その「極み」に地元の冷酒と小鉢と味噌汁をつけたものを注文。のっぺをつつきながら冷酒を飲んでると、すごいのが来た。やばい。とてつもなくうまい。冬の北陸で、とれとれの地魚を握ってもらうと、こんなにもうまいのか‥‥。全部合わせて3800円とか、安すぎる。

疲労困憊の上、空きっ腹に冷酒を流し込んだので、すっかりホロ酔い。それでも六時台の新幹線にぎりぎり乗れて、予想よりも一時間くらい早く、三鷹の家に戻ってこれた。とはいえ、身体はさすがによれよれで、今朝は昼過ぎまで前後不覚に寝ていた。もうあんまり無理がきかない年なのだな。

「横道世之介」

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この間、Apple TVで「横道世之介」という映画を借りて観た。いろんなところでいい評判は聞いていたけれど、それでも予想以上にいい映画だったので、びっくりした。今でも思い出すと、胸のあたりがほわほわしてくる。

1987年の春、故郷の長崎から上京して、大学に通いはじめた主人公、横道世之介。素直なんだけど、どこか人とズレていて。ズレてはいるんだけど、でも、彼なりにまっすぐに歩いてて。のんきでお人好しで、普通すぎて笑っちゃうくらい普通の人。大学とバイトと、恋と憧れと友達と、貸してもらった一台のカメラ。そんな世之介の穏やかな日々。そして、その16年後に起こった出来事‥‥。

「おれが死んでもさあ、みんな泣くとやろか?」
「世之介のこと思い出したら、きっと、みんな笑うとじゃなかと?」

もう遅いかもしれないけど、できれば僕も、みんなに笑って思い出されるような人でありたい。

徹夜で観戦

今朝は5時からサッカーのベルギー対日本の生中継があった。昨日の夜の段階で、いったん寝てから早起きするか、それとも寝ずに夜明かしして試合を見るか迷ったのだが、寝てしまうと起きられなさそうな気がして、結局、寝ないままキックオフの時間を迎えた。

こういう時はよく、芳しくない試合結果にぐったりしながら次の日を過ごすパターンになりがちなのだが、今日は思いのほか面白い試合展開で、日本は敵地で格上相手の戦いながら、逆転して一点差で逃げ切った。ひさびさの快勝に溜飲を下げた人も多かったんじゃないだろうか。

試合が終わってからもにまにましながらネットのニュースを見てたりしたのだが、さすがに眠くなって、その後はばったり倒れて、昼まで寝ていた。来年のワールドカップ、開催地は地球の真裏にあるブラジル。こんな寝不足がえんえんと続く日々になるのだろうか。ああ眠い。

夏葉社「本屋図鑑」

夏葉社「本屋図鑑」ここ最近、スタイリッシュで個性的な書店を特集した雑誌や書籍がいくつか出ていたけれど、夏葉社の「本屋図鑑」はそれらとは明らかに違う毛色の一冊だ。この本で紹介されているのは、全国津々浦々、すべての都道府県から選ばれた、普通の街の「本屋さん」。二十坪ほどの小さな店もあれば、郊外の大型店もあり、日本最北端と最南端の店や、三百年も前に創業した店もある。でも、すべての店に共通しているのは、地元の人々の日々の生活に溶け込み、親しまれている「本屋さん」だという点だ。

この本の取材を手がけたのは、夏葉社の島田さんと、編集者の空犬太郎さん。それぞれの本屋さんの成り立ちや、棚作りのこだわり、書店員さんのコメントなどが、淡々と穏やかに、温かみのある文章で紹介されている。得地直美さんが描いたそれぞれの本屋さんのイラストも、その本屋さんの醸し出す雰囲気をじんわりと伝えてくれる。本と本屋さんをこよなく愛する、島田さんらしい一冊だなと思う。

僕自身、小さい頃から本屋さんに行くのは大好きだったし、本好き雑誌好きがこじれて今の仕事を選んだわけだが(苦笑)、本当の意味で街の本屋さんの仕事にリスペクトを抱くようになったのは、単著で自分名義の本を出すようになってからだと思う。雑誌の編集者やライターだった頃は、発売日の頃に店頭で自分が関わった雑誌を見かけても、正直、それほどあれこれ考えたりはしなかった。でも、自分名義の本となると、取り扱ってくれない店ももちろんあるし、入荷していても棚での扱われ方はさまざまだったりする。そうして本屋さんの棚の様子を前よりじっくり観察するようになり、それぞれの本屋さんがどんな意図で棚作りをしているのかを、いろいろ考えるようになった。

洗練された内装や什器を備えた立派な店でなくても、きちんと手入れが行き届いた棚作りをしている本屋さんは、すぐにそれとわかる。そうした本屋さんでは、店内をぶらつきながら背表紙を眺めているだけで、すごく楽しい。そんな書店員さんの日々の仕事の積み重ねがあるからこそ、自分たちが作った本は読者の元にまで届けてもらえるのだということを、忘れてはならないと思っている。

2000年の時点で日本全国に2万店以上あった本屋さんは、今では1万4000店程度にまで減少しているという。本が売れない時代と言われ続けて久しいけれど、僕らはもう一度、家の近所に本屋さんがあることのありがたさを見直してみるべきじゃないかと思う。