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徹夜で観戦

今朝は5時からサッカーのベルギー対日本の生中継があった。昨日の夜の段階で、いったん寝てから早起きするか、それとも寝ずに夜明かしして試合を見るか迷ったのだが、寝てしまうと起きられなさそうな気がして、結局、寝ないままキックオフの時間を迎えた。

こういう時はよく、芳しくない試合結果にぐったりしながら次の日を過ごすパターンになりがちなのだが、今日は思いのほか面白い試合展開で、日本は敵地で格上相手の戦いながら、逆転して一点差で逃げ切った。ひさびさの快勝に溜飲を下げた人も多かったんじゃないだろうか。

試合が終わってからもにまにましながらネットのニュースを見てたりしたのだが、さすがに眠くなって、その後はばったり倒れて、昼まで寝ていた。来年のワールドカップ、開催地は地球の真裏にあるブラジル。こんな寝不足がえんえんと続く日々になるのだろうか。ああ眠い。

夏葉社「本屋図鑑」

夏葉社「本屋図鑑」ここ最近、スタイリッシュで個性的な書店を特集した雑誌や書籍がいくつか出ていたけれど、夏葉社の「本屋図鑑」はそれらとは明らかに違う毛色の一冊だ。この本で紹介されているのは、全国津々浦々、すべての都道府県から選ばれた、普通の街の「本屋さん」。二十坪ほどの小さな店もあれば、郊外の大型店もあり、日本最北端と最南端の店や、三百年も前に創業した店もある。でも、すべての店に共通しているのは、地元の人々の日々の生活に溶け込み、親しまれている「本屋さん」だという点だ。

この本の取材を手がけたのは、夏葉社の島田さんと、編集者の空犬太郎さん。それぞれの本屋さんの成り立ちや、棚作りのこだわり、書店員さんのコメントなどが、淡々と穏やかに、温かみのある文章で紹介されている。得地直美さんが描いたそれぞれの本屋さんのイラストも、その本屋さんの醸し出す雰囲気をじんわりと伝えてくれる。本と本屋さんをこよなく愛する、島田さんらしい一冊だなと思う。

僕自身、小さい頃から本屋さんに行くのは大好きだったし、本好き雑誌好きがこじれて今の仕事を選んだわけだが(苦笑)、本当の意味で街の本屋さんの仕事にリスペクトを抱くようになったのは、単著で自分名義の本を出すようになってからだと思う。雑誌の編集者やライターだった頃は、発売日の頃に店頭で自分が関わった雑誌を見かけても、正直、それほどあれこれ考えたりはしなかった。でも、自分名義の本となると、取り扱ってくれない店ももちろんあるし、入荷していても棚での扱われ方はさまざまだったりする。そうして本屋さんの棚の様子を前よりじっくり観察するようになり、それぞれの本屋さんがどんな意図で棚作りをしているのかを、いろいろ考えるようになった。

洗練された内装や什器を備えた立派な店でなくても、きちんと手入れが行き届いた棚作りをしている本屋さんは、すぐにそれとわかる。そうした本屋さんでは、店内をぶらつきながら背表紙を眺めているだけで、すごく楽しい。そんな書店員さんの日々の仕事の積み重ねがあるからこそ、自分たちが作った本は読者の元にまで届けてもらえるのだということを、忘れてはならないと思っている。

2000年の時点で日本全国に2万店以上あった本屋さんは、今では1万4000店程度にまで減少しているという。本が売れない時代と言われ続けて久しいけれど、僕らはもう一度、家の近所に本屋さんがあることのありがたさを見直してみるべきじゃないかと思う。

東京五輪について

2020年のオリンピックの開催地に、東京が選ばれた。僕はもともとオリンピックというイベントにはあまり興味がなくて、北京五輪もロンドン五輪もまったく見ていない(開催期間中、ずっとインドの山奥にいたからなのだが)。なので、今回の決定についても、正直「ふーん、あ、そう」という反応しかできない(苦笑)。

この件についてネットでTwitterなどを見ていると、賛否両論、いろんな反応があるのがわかる。震災の被災地や原発のことをほったらかしにして能天気に浮かれてる人は正直どうかと思うし、日本の行末を悲観するあまりヒステリックに拒絶反応を示してる人も、もうちょっと冷静になればいいのにと思う。

原発事故の後処理(これは想像を絶する困難を伴うけど)と震災からの復興は、今の日本がもっとも優先して取り組むべき問題だ。その優先順位さえ取り違えないのであれば、東京でオリンピックをやれるというなら、やってもいいのではないかと思う。むしろ、オリンピックの開催を日本全体の復興に利用するしたたかさを持つくらいでもいい。

ただし、あくまで、日本が取り組むべき問題の優先順位を取り違えないのであれば、の話だ。どれだけオリンピックに人を感動させる力があるとしても、それよりもはるかに大切にすべきことが、世の中にはたくさんあるのだから。

「風立ちぬ」

「風立ちぬ」

宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、観る人によって極端に評価が分かれる作品だと思う。男性と女性とでは受け止め方がまるで違うだろうし、夢見心地のファンタジーや血湧き肉踊るカタルシスを求める人には肩すかしだろう。「沈頭鋲」とか言われても、子供にはチンプンカンプンだろうし。今までのジブリ作品のように、100人中100人が「面白い」と思う映画ではない。

でも僕は、それでよかったんじゃないかなと思う。これは、宮崎監督自身も未だに答えを見出せない衝動に突き動かされて作られた作品だ。個人的な動機で生まれた作品にしか宿らない力のようなものは、確かにある。その力は、すべての人には届かないかもしれないが、届く人には、心の深いところを揺さぶることができる。

「美しい飛行機を作りたい」という幼い頃からの夢を抱いて成長した青年は、自分の設計する飛行機が人殺しのために使われると知りつつも、その矛盾を抱えたまま仕事に没頭する。最愛の妻が病の床に伏しても、彼は仕事から離れることができない。彼が設計した美しい飛行機、九試単戦が軽やかに空を舞った時、彼の脳裏をよぎったのは‥‥。

わかりやすい答えや救いは、何も示されない。青年は苦い思いを噛みしめながら、飛行機の墓場のような荒野に佇む。それでも彼は、生きていかなければならない。どれだけズタズタに引き裂かれたとしても。

それはたぶん、僕たちも同じだ。

当たり前の日常

朝起きて、メールをチェック。うどんを茹で、コーヒーをいれ、しばらく仕事。原稿をメールで送り、スーパーに食材の買い出しに行き、コンビニでちょっと立ち読み。当たり前の日常。

あれから、二年。

思い返してみると、あの年は本当に大変だった。世間は震災でてんやわんやで、夏には父が突然逝ってしまった。今も色々苦労はしているけれど、あの頃に比べればずっとましだ。それも、当たり前の日常があるからこそ。何気ない物事への感謝を、忘れないようにしたいと思う。