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「きっと、またあえる」

コロナ禍の影響で、春頃に予定の公開が延期されていたインド映画「きっと、またあえる」(原題「Chhichhore」)が、ようやく公開された。

アニの息子ラーガヴは、大学受験に失敗したショックで、マンションのベランダから身を投げてしまう。かろうじて一命は取り留めたものの、予断を許さない状態で、ラーガヴ自身にも生きる気力が見られない、と医師は言う。アニはラーガヴの枕元で、「負け犬」だった自分の学生時代について語りはじめる。五人の悪友と、一人の女性と過ごした、かけがえのない日々のことを……。

良い映画だった。物語もメッセージも、まっすぐすぎるくらいまっすぐで、むちゃくちゃ心に響く映画だった。でも、だからこそ、つらかった。

この作品で主人公のアニを演じた、スシャント・シン・ラージプートは、2020年6月14日、ムンバイの自宅で自らの命を絶った。以前から鬱病を患っていたとも言われているが、定かではない。今もインド国内では、彼の死にまつわるさまざまな憶測やゴシップが日夜メディアで取り沙汰されているそうだが、それらについて、ここでは特に触れないし、正直、興味もない。

彼の出演作は、日本ではこれが見納めになるかもしれない。観ておかなければ、見届けておかなければ、そう思って、映画館に足を運んだ。が、やっぱり、つらかった。作品に込められたまっすぐで温かなメッセージが、なおさら、やるせなかった。「なんでだよ」とスクリーンに向かって思わず言いたくなった。

彼にはもう、会えない。今はただ、安らかに。

次の本へ

四月下旬に『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』を雷鳥社から刊行したばかりだが、来年、別の出版社から、ラダックとその周辺についての新しい本を出すことが決まった。

本の企画を提出したのは四月、サンプル原稿を提出したのは五月だったから、決まるまでちょっと時間がかかったのだが、どうにか。具体的な刊行時期は、来年のうちに、という程度のおぼろげな状態。昨今のコロナ禍の影響で、どこの出版社も刊行スケジュールがいろいろ変更になっていて、てんやわんやなのだそうだ。それでもまあ、このご時世に、出版社から書き下ろしの新刊を出せることになったというだけでも、ありがたいことではある。

この本のために必要な材料はほぼ手元に揃っているので、これから半年くらいの間は、ひたすら家に籠もって原稿を書くことになる。考えてみると、去年の後半とほぼ同じ図式である。ただ、去年は十月に恒例のタイ取材が入ったことで執筆スケジュールが相当厳しかったのだが、今の状況だと、海外取材の仕事は来年春くらいまで入ってこないだろう。直近の収入源が減るのは確かに痛いが、その分、新刊の執筆に集中できると割り切って、ポジティブシンキングで取り組んでいこうと思う。

ああでも、楽しみだなあ。また一冊、本を作ることができる。今度もせいいっぱい頑張って、良い本にしよう。

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川内有緒著・中川彰撮影『バウルを探して〈完全版〉』読了。ベンガルの吟遊詩人バウルを追ってバングラデシュを旅した紀行で、七年前に刊行されたものが約100ページの写真とともに生まれ変わった。武田百合子の『犬が星見た ロシア旅行』をほんのり思い起こさせる軽やかな(でも時々ドライな)文体で、自分自身の内面を手探りしながらの旅の様子が誠実に描かれている。初版の刊行直前に亡くなった中川さんがフィルムで遺した旅の写真と、その中川さんに宛てて書かれた川内さんの「手紙」が、刊行から月日を経たこの本を、文字通りの「完全版」にしている。作られるべくして作られた一冊だったのだな、と思う。

「War」

最近のインド映画で主演を張る男優の多くは、腹筋がバキバキのシックスパックに割れるほど鍛え上げた肉体を持っている。しかし、見せかけの筋肉ではなく、アクションやダンスシーンで人並外れたパフォーマンスを披露できる、本当の意味で「動ける」肉体を持つ男優は、それほど多くない。その数少ない「本当に動ける」スター男優の二人、リティク・ローシャンとタイガー・シュロフがダブル主演で初競演した注目作が、「War」(邦題は「WAR ウォー!!」なのだが、冗長なので原題で)だ。

インドの諜報機関RAWの凄腕エージェント、カビールが、テロリストを追跡する任務中に突然、作戦司令を出していた高官を射殺して、逃亡した。かつてカビールの忠実な部下だったハーリドは、謎の行動を続ける彼の後を追う。ハーリドの父親もかつてはエージェントの一人だったが、組織を裏切った結果、カビールによって射殺されていた。裏切り者の息子という烙印を跳ね除けるため、ハーリドは父を殺したカビールを師と仰ぎ、カビールもまた、もっとも信頼する部下としてハーリドを鍛え上げてきたのだった。そのカビールが、なぜ、自ら組織を裏切ったのか……。

この映画、リティクとタイガーの競演ということで、バイクチェイスにカーチェイス、銃撃戦に肉弾戦と、二人の強みであるアクションを全編にわたって、これでもかと詰め込んだ構成になっている。ダンスシーンは意外と少ないが、インパクトはかなりすごい(笑)。物語自体はスパイアクションものでは割とよくあるパターンの出だしで、敵も味方も機密情報のセキュリティはザルすぎだし(笑)、中盤から終盤にかけてのどんでん返しも、「それはさすがに無理筋では……」と思わずにいられない捻り方だった。個人的には、そうやって無理やり捻って意外性を狙うよりも、バディムービーとしての正道を突き進んだ方が、より素直に登場人物に感情移入できて、観終えた後にスカッとした気分になれたのでは……と思った。この二人の映画を観に来る人が求めているのは、そういうシンプルなカタルシスだと思う。

ちなみに、劇中で「シアチェン」と「カルギル」という単語が出てきた時に「おおっ」と思ったのは、たぶん僕だけだろうな(笑)。

あと、この作品に関しては、日本の配給会社が公式サイトやチラシやパンフレットに掲載した作品のあらすじのテキストを、ポポッポーさんの映画評ブログからそっくりコピペして使用していたという、非常に残念な出来事があった。ポポッポーさんのサイトからは、以前も「Queen」のあらすじのテキストが配給会社に剽窃されたことがある。ほんと、日本国内の配給会社や宣伝会社のスタッフの方々には、Web上からの安易なコピペは厳に慎んでもらいたい。露見すれば、作品の価値を貶めることになってしまうので。

「サーホー」

3月の公開時には、忙しかったのと世の中が不穏だったのとで、観に行きそびれていたインド映画「サーホー」を、営業再開した新ピカでようやく観た。主演は「バーフバリ」のプラバース、ヒロインはシュラッダー・カプールという、クライム・サスペンス・アクション。普通に考えたら、ヒットしないわけがないだろう、という作品なのだが……。

……正直言って、あんまりパッとしなかった(苦笑)。インド国内でも、初動はよかったものの急激に失速したと聞いていたのだが、まあ無理もないなあ、と思った。

原因はいくつかある。物語全体の流れと各場面の演出が、わかりにくい上にちぐはぐだったこと。どんでん返しも伏線回収も、それらを脚本にちりばめること自体が目的化していて、必然性が感じられないから、感情もさほど揺さぶられない。主人公は何でもすべて計算通りでお見通しという超人的な存在なのだが、その割には各場面で結構成り行きまかせの結果オーライで物事を進めていて、それもちぐはぐだなあと感じた。

あとは、「バーフバリ」のプラバースだ、という点を強調しすぎていたのでは、とも思う。最初から最後までプラバースのキメポーズとキメゼリフで埋め尽くされたプロモビデオのような造りだった。もし、プラバース以外の俳優が主演だったら、物語も演出ももっと自然に整理されて、ましな仕上がりになっていかたもしれない。

というわけで、プラバースの次回作での改善に期待。

ただただ、それしか

良い文章を書きたい。良い写真を撮りたい。良い本を作りたい。

取材や執筆、編集の仕事に取り組む時、僕は今までずっと、そんな風に自分自身に言い聞かせるようにしながら、対象と向き合ってきたように思う。少しでも良いものを作ることを目指すのは、プロとして果たすべき当然の責務だ、と思っていた。

でも、この間上梓した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』は、別だった。取材の間も、原稿を書いている間も、編集作業の間でさえ、「良いものを作らなければ」という意識は、ほとんど持っていなかったように思う。

あの冬の旅で、目の前で起こる出来事の一つひとつを、ありのままに、捉え、記録し、伝えよう。ただただ、それしか、考えていなかった。映える写真を撮ろうとか、上手い文章を書こうとか、1ミリも考えていなかった。本当に心の底から伝えたいと思える出来事を伝えるために、ただただ、無心で、全力を振り絞り続けた。

考えてみたら「良いものを作る」というのは、プロなら当たり前のことで、意識するまでもなく脊髄反射的にできなければならない作業なのだ。それよりも大切なのは、対象に対して完全に集中して、ありのままに伝えること。少なくとも僕にとっては、それが一番大切にすべきことなのだと思う。

この歳になって、ようやく、一冊の本で、それをまっとうにやり遂げることができたような気がする。