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半歩ずつでも

フリーランスの身ではあるが、今日から一応、仕事始め。いつものように、朝から吉祥寺のコワーキングスペースに籠って、本の原稿を書く。

巷では、コロナ禍が再燃しつつあるようで、新規感染者数も倍々のペースで増えつつあるようだ。そう遠くないうちに、また、いろいろ面倒な雰囲気の世の中に戻るのだろう。そう考えると、気が滅入ってきそうなものだが、僕自身は、割と普通というか、まあ、ある程度予想された状況でもあるし、しゃーない、という感じで構えている。

そうしていられるのは、いくつか理由があると思う。家では、真面目な話からたわいもない話まで、家族にいつでも、何でも話せるということ。仕事では、一昨年から昨年、そして今年と、何だかんだでずっと本を書き続けられているということ。そうして作った本を読んでくださった読者の方々から、日々いろいろな感想を寄せていただいているのも、本当に支えになる。

僕の本づくりのペースは本当にゆっくりだし、一歩々々進んでいるかどうかも怪しいけれど、たとえほんの半歩ずつでも、目指す方向に進んでいけたらと思う。周囲の人々を支えたり、逆に支えられたりしながら。

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池亀彩『インド残酷物語 世界一たくましい民』読了。主に帰省中の新幹線の車内で読んだのだが、興味深い内容だった。今まで何度となくインドに行った経験のある自分でさえ、知っているようであやふやなままだった、インドという国の複雑怪奇な社会構造と、そこから生じる問題や軋轢の数々が、著者に身近な人々の実例を交えて、リアルに、かつわかりやすく紹介されている。数千年前からの執拗なしがらみに囚われ続けている人々が、それでも生き抜くために身につけた、しぶとさ、しなやかさ、したたかさ。普段からインドに関わりのある人や、まだ関わりはないけど興味を持っている人には、読んでほしい一冊。

桃鉄とコールセンター

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

神戸と岡山を渡り歩く三泊四日の帰省を終え、昨日の夜、東京に戻ってきた。とりあえず、身内の人たちはみな変わらず息災で、ほっとした。結構な強行日程の帰省だったが、行ってよかったと思う。

帰省中、特に元旦はあちこちでごちそうやお酒をたらふくいただいてしまって、我ながらやばいなあと思っていたのだが、今朝体重計に乗ってみると、ほとんど増えていなかった。一昨日と昨日、できる範囲で節制したのがよかったのかもしれない。

岡山の実家に戻った時は、クリスマスにNintendo Switchをもらった甥っ子が「桃鉄をやろう」と言ってきて、桃鉄ほぼ未経験の僕をとっちめようと挑んできたのだが、プレイした四人のうち、僕が一人だけ、ぶっちぎりで大勝ちしてしまった。すごろくみたいな運任せのゲームとはいえ、さすがに大人気なかったと反省している(苦笑)。

神戸で大学に通っている姪っ子は、以前は焼鳥屋のホールスタッフのバイトをしていたそうだが、最近はカタログ通販のコールセンターでバイトしていると話してくれた。クレーム対応などでストレスがたまるバイトなのかと思いきや、電話をかけてくるお客さんも年配ののんびりした人たちばかりだそうで、たいそう牧歌的な職場なのだそうだ。「まくらカバーが二枚ほしいと電話をかけてきたお客さんに、まくら二つを手配してしまった時は、会社の人にちょっと怒られた」と、のほほんと話す姪っ子の顔を見て、平和だなあと思った(笑)。

さて、明日からはまた、本の原稿を書き続ける日々だ。がんばります。

三年ぶりの帰省

大晦日から、三泊四日の予定で、関西方面に帰省する。神戸に二泊、岡山に一泊。荷造りその他の支度も、だいたい終わった。

時節柄、いろいろ気を遣わなければならないので、半分気休めではあるが、抗原検査キットで検査して、自分も相方も陰性であることも確認。移動の新幹線も、これまた気休めではあるが、混雑によるリスクを少しでも減らすために、グリーン車を予約。現地での行動も、どうしようもなく気休めにしかならないけれど、できるだけ用心深くふるまおうと思っている。

関西方面に行くのは、かれこれ三年ぶりくらいになる。二年前の年末年始にも計画を立てていたのだが、弔事などが重なって中止になっていた。ていうか、首都圏から外に出るのも、二年ぶりくらいになるのか。いやはや。なんともはや。

というわけで、数日間、留守にします。良いお年を。

そして十年が過ぎて

父が他界して、今日でちょうど、十年になる。

父について – The Wind Knows My Name

上の文章は、当時、父の葬儀を終えた後、インドにとんぼ返りしてザンスカールで取材をしていた時、日記としてノートに書き留めていた文章をもとにしたものだ。それから歳月が過ぎて、新しい本に当時のザンスカールでの話を書くと決めた時、当時のノートをほぼそのまま引き写す形でこの文章を収録するのは、僕にとってはごく自然な成り行きだった。僕にとってのラダックという土地とそこで暮らす人々の位置付けについて考える時、この話は、あった方がいいと思ったのだ。

岡山の実家で暮らす母は、十年後の今も息災だ。彼らの孫はあれから一人増えた。僕自身は、まあ、どうにかこうにか、かろうじて、同じ業界で生き残っている。父が期待していた(かもしれない)レベルの人間になれたとは、あまり思えないが。

普段の生活の時間の中で、父のことを思い出す回数はそれほど多くないけれど、夢の中には、今でも時折、父が出てくる。寒い日の朝、車のエンジンを暖機運転させながら、車庫の前で古ぼけたバットを素振りしている姿とか。夢の中でも、あいかわらず飄々としていて、つかみどころのない人に思える。

地球は二十四時間で一回転し、一年で太陽の周りを一周する。時は刻々と過ぎていく。その中で僕たちは、一日、一日を、できる範囲で精一杯、生きていく。

焼肉の夢

何人かで連れ立って、焼肉を食べに行く、夢を見た。

どんな人たちとだったかはよく憶えていないが、初対面の人も混じっていたように思う。どんな焼肉を食べたのかもよく憶えていないが、会計の時に財布を開いたら、札が一枚も入ってなくて、カードも全部期限切れで、それでもまったく焦らず、しょうがないなあ、と笑ったことは憶えている。何がなんだかよくわからないが、楽しい夢だった。

考えてみると、いわゆる飲み会というものに、かれこれ一年以上、参加していない。原因はもちろんコロナ禍なのだが、去年の今頃は、まさかここまでトンデモな展開になるとは、想像もしていなかった。これからも、あと半年か一年は、ご無沙汰な状態が続くだろう。

それでも僕の場合、二人暮らしなので、まだ全然恵まれている方だとは思う。家で毎晩ごはんを食べながらいろんな話もできるし、適当なアテを作って二人で家飲みもできるし、用心深い対策をしてくれている近所の仲良しのお店で二人飲みもできる。おかげで、このご時世でも、普段からうまくストレスを解消して、メンタルを平静に保てている。誰かと一緒におしゃべりしながら食事をするというのは、思っていた以上に心を軽くするものなのだな、と思う。

一人暮らしだったりして飲み会に行くに行けない人は、ストレスの発散に苦労しているに違いない。大学生が年越しパーティーで集団感染とかいう話を聞くと、やれやれと思うと同時に、気持ちもわからんでもないとも思う。飲食店の方も、緊急事態宣言の影響で経営が本当に大変だと聞いている。このいまいましい状況が、早く過ぎ去ってくれるのを願うしかない。