大晦日と元旦は、岡山から来た実家の人間たち——母と妹の一家と、安曇野の家で落ち合って過ごした。冬至蕎麦を食べ、村営の温泉にどっぷり浸かり、雑煮とおせちを食べ、初詣に行っておみくじを引き‥‥。ここ数年変わらない、いたって普通の過ごし方。
違うのは、去年までは家族の輪の中心に当たり前のようにいた、父がいないこと。何をしていても、ひとり足りない、とどうしても思ってしまう。
それでも時間は流れ、人生は続いていく。僕たちは歩いていくのだ、光の射す道を。
痛ましい映画だった。悲しくて、もどかしくて、どうにもやりきれない。最後まで、救いの欠片すら見当たらない。
「息もできない」の主人公サンフンは、借金の取り立てを生業とするチンピラ。母と妹を死なせた父に対する憎悪に苛まれたまま、他人を暴力で傷つけることでしか生きていけない男。そんな彼がふとしたことで出会った勝気な女子高生ヨニは、心を病んだ父と荒れ狂う弟との間で、絶望に蝕まれていた。互いの心の傷の理由を知らないまま、二人は次第に惹かれあい、夜の漢江のほとりで涙を流す。だが苛酷な運命は、容赦なく彼らを押し流していく——。
一番近しい、大切な存在であるはずの家族ですら、傷つけずにはいられない人々。相手を殴りつけるサンフンの拳が血に染まり、ガツッ、グシャッと生々しい音が響くたび、観る者は思い知らされる。彼は、自分自身をも無惨に傷つけているのだと。
この映画で、製作、監督、脚本、編集、主演の5役をこなしたヤン・イクチュンは、これが初の長篇監督作品。彼自身、家族との間に問題を抱えたまま生きてきて、そのもどかしい思いを、作品として吐き出してしまいたかったのだという。自分の家を売り払ってまで製作費を捻出し、文字通りすべてを注ぎ込んで作り上げたこの「息もできない」は、彼にとって「作らずにはいられなかった映画」なのだろう。作り手として、「これを作らなければ、一歩も前に進めない」という抜き差しならない気持は、少しわかる気がする。僕自身、そういう思いにかられて本を書いたことがあったから。
ストーリーが比較的単純で伏線の先が読めてしまうとか、韓国映画特有の冗長な描写があるとか、いろいろ言いたい人はいると思う。でも僕は、この作品の評価をそんな上っ面なところでしてしまいたくない。「作らずにはいられない」という思いで、ヤン・イクチュンが自らの魂を削って作り上げたからこそ、この映画は観る者の心を動かすのだから。
午後、銀座でインタビューの仕事。ラダック関係以外ではひさしぶりの取材だったが、どうにか首尾よくやり遂げる。
その後、外苑前に移動し、以前「ラダックの風息」のデザインを担当していただいた井口文秀さんのオフィスを訪問。軽く打ち合わせをさせていただいた後、井口さん行きつけの広尾の寿司店へ。寿司といっても、値段的にはかなりこなれている店なのだが、その割にはとてもおいしかった。
井口さんとは、僕が雑誌編集をしていた頃からの戦友的な間柄。約10カ月ぶりにお会いしたのだが、僕が何の遠慮もなくいろんな話をするのを、ニコニコと笑いながら聞いていただいた。
話が僕の父の話題になった時、井口さんが僕にこう言った。
「ヤマタカさん。お父さんのことがあったからといって、がんばりすぎない方がいいですよ」
井口さんは約七年前にお母様を急な病で亡くされたのだが、その時、そこから立ち直ろうとがんばりすぎて、逆に辛い精神状態に陥った時期があったそうだ。あまりに強く思い詰めてしまうと、それが自分自身を追い詰めてしまう、と。
本当にそうだなあ、と思う。今の僕は、父を失ったことだけでなく、その後ラダックや日本で僕を支えてくれたたくさんの人たちに絶対に報いなければ、と背負い込んでいるふしがある。背負うものが重すぎると、僕自身がそれに押しつぶされてしまうかもしれない。
がんばりすぎないように、がんばろう。
週末を利用して、岡山の実家に帰省していた。僕が帰国するまで待ってもらっていた、父の納骨式のために。
納骨式は、昨日の朝のうちに行った。うちの家系の墓は、実家からすぐのところにある。雲一つないうららかな空を見上げながら、みんなで墓地まで歩いていく。墓地で待っていてくれた業者さんが、墓石の一部を外し、父の骨壺を中に収め、再び墓石を元に戻す。新しい花を挿し、水をかけ、ビールとおつまみを供え、線香を上げる。それでおしまい。父は、無宗教での弔いを望んでいたから。
父が逝った直後に比べると、母と妹はずいぶんしゃんとして、元気になっていた。誰も彼も、父のいない日常を少しずつ受け入れつつある。実家の中には、まだ至るところに父の気配が——ぎっしりと積み上げられた本や、几帳面に整理された文房具や、使い古された安楽椅子が——あるけれど、その気配も、時が経つにつれ、少しずつ薄れていくのかもしれない。それが、時間の残酷さであり、優しさでもあるのだろう。