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一人と、誰かと

「ヤマタカさんは、旅先とかでずーっと一人でも、全然平気なタイプですよね?」

今までに何人かの人から、こういう指摘をされたことがある。そうかもしれない。ホームシックとか単に人恋しいとかいった気分になったことはついぞ記憶にないし、特に旅先では、異国で一人ぼっちでいる状況にこそ、ぞくぞくするような喜びを感じるタイプだ。日本にいる時でも、友達付き合いはたぶんかなり悪い方で、自分から積極的に「飲みに行こうよ!」なんてことはまず言い出さない。

じゃあ、一人でいられればそれで十分なのか、満足なのかと聞かれると、それはちょっと違う、とも思う。普段何も問題がない時は一人でも平気だけど、何か困ったことが持ち上がった時、自分一人ではどうにもならない苦しみに陥った時、へこたれそうな自分を支えてくれるのは、間違いなく周囲にいてくれる大切な人たちだ。今までだって、何度もそうして支えてもらってきた。

「ラダックの風息」の最終章に書いた言葉は、そうした経験から出てきたものだったと思う。

時には、大切にしていた絆が、どうにもならない強い風に引きちぎられてしまうこともある。でもそんな時は、きっとほかの絆が支えてくれる。つなぎ止めてくれる。そして人はまた立ち上がって、前を向くことができる。そう、できるはずなのだ、僕たちにも。

三年前の震災の時も、僕たちはともするとぽきっと折れてしまいそうな心を、一緒に集まってごはんを食べたり、メールやツイートをやりとりしたりして、支え合っていたんじゃないかと思う。自分の周囲にいてくれる大切な人たちのことを忘れないこと。そして、苦しんでいる誰かを支えてあげられる力を少しでも身につけること。あれから三年という節目の日を迎えて、あらためてそう思う。

おつとめ

ロボット兵この週末は、妹の一家が遊びに上京してきた。妹と旦那さん、姪っ子(中1)、甥っ子1号(この春から小1)、甥っ子2号(現在約1歳半)という大所帯。昼に飛行機で到着し、スカイツリーに登った後、午後からジブリ美術館に行くというので、吉祥寺で待ち合わせて合流する。

日増しに天然度が増す姪っ子と、東京の街にテンションMAXの甥っ子1号、そして何もわかってないだろうけどテンションだけは同じくMAXの甥っ子2号。予想に違わぬ珍道中と相成った。今日は吉祥寺もすごい人出だったし、ジブリ美術館も同じく満員状態で、油断するとどこに行っちゃうかわからない怪獣たちを引き連れてそうした人混みの中を右往左往するのは、さすがに疲れた。仕方ない、これもおつとめだ。

それにしても助かったのは、晩飯をリトスタで食べられたこと。姪っ子と甥っ子1号は普段はそんなに食べない方で、いつもぐずぐず時間をかけながらごはんを食べているのだが、リトスタではすごい勢いでぱくついてた。僕よりも食ってたんじゃないかと思う(笑)。甥っ子2号に至っては、1歳半にしてレバーペーストをなめまくってたし。

これから先、彼らが今日のことをどれくらい憶えていてくれてるかはわからないけど、ちょっとでも記憶の片隅にひっかかっていてくれたらいいな、と思う。まあでも、どうかな(笑)。

お金のやりとり、気持のやりとり

年末年始に帰省していた時、中1の姪っ子の宿題で「身の回りにいる人に“仕事とは何か”について聞きなさい」というのがあったので、僕もそれに答えることになった。

「仕事って、結局はお金のやりとりなんだよね。どんなにきれいごとを言っても、それは変わらない。仕事はお金のやりとり」と僕が言うと、近くにいた母があわてて何か口をはさもうとしたが(笑)、僕はそれを止めて言葉を続けた。

「でも、仕事でお金のやりとりをする時、お互いに対する感謝の気持も一緒にやりとりできたら、それはたぶん、いい仕事だったんじゃないかなと思うよ」

僕自身、常にそんな風に気持のやりとりもできる仕事をしているとは言えない。それなりに高額な報酬だったのに、依頼主と気持が通じ合わなくて、心の中にもやもやした後悔を残したまま終えた仕事も、正直たくさんある。そういう依頼主との仕事は、やっぱり長くは続かない。

でも、ほんとにささやかな規模の仕事でも、「いい文章を書いてくれてありがとう」とか、「いい写真を撮ってくれてありがとう」とか、関わった相手の気持が伝わってくると、自分の思い入れが文章や写真を通して伝わったのかな、とうれしくなる。それは社交辞令なのかもしれないけど、そうして伝わってくる気持が、僕を支えてくれている。

一字々々、一枚々々に、気持を込めて。たとえ愚直でも、僕にできるのはそれだけ。

キャッチボール

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

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年末年始の数日間は、岡山の実家で過ごした。近くに住む妹一家が泊まりに来たりしていたので、なかなか一人でくつろがせてはもらえなかったが(苦笑)。

大晦日の朝、母が僕に「ケン(上の甥っ子)とキャッチボールをしてきたら? あそこの公園で」と言った。その前の日、甥っ子は彼のパパに新しい子供用グローブとボールを買ってもらっていたのだ。

「いや、でも俺が使えるグローブないし」
「あるよ、外の物置に。お父さんのが」

そのグローブは、他界した父が少なくとも四十年前から使っていたものだった。元の色がわからないくらいに色褪せ、革ひもが切れてしまった部分は父が別の適当なひもで繕ってあった。へにゃへにゃで心許ないが、子供が相手なら使えなくはない。僕はそのグローブを手に、生まれて初めてのキャッチボールに舞い上がる甥っ子と、近くの公園へ歩いていった。

甥っ子くらいの年の子供を相手にキャッチボールをするのは、僕にとっても初めての経験だった。甥っ子が投げるボールはしょっちゅうとんでもない方向に飛んでいくし、こっちがゆるく投げ返しても怖がって逸らせてしまうしで、なかなかテンポよくとはいかなかった。それでも時々、スパン、とボールがグローブに収まる乾いた音を聞くと、僕は不思議な気分にならずにはいられなかった。

子供の頃、僕は父と、家の前の道路でキャッチボールをしていた。僕はそんなに運動神経がいい方ではないし、野球もあまり好きではなかったのだが、父とキャッチボールをするのは楽しかった。ピュッ、と投げたボールが、スパン、とグローブに収まる。ただそのくりかえし。でも、その時の感触は、今も記憶の深いところに残っている気がする。

あの時、子供の僕が投げたへなちょこボールを受け止めていた父のグローブを、今は僕が手にはめて、甥っ子のボールを受け止めている。ピュッ、スパン。ピュッ、スパン。甥っ子の心の中にも、このキャッチボールの感触は残っていくのだろうか。

ごはんの記憶

夜、リトスタで今年最後の食べ納め。ブリと白菜のサラダ、カキフライ、菜の花とベーコンの塩炒めなど、たらふくいただく。

同じ時間帯に、小さな女の子たちのいる家族連れのお客さんが来ていたのだが、女の子のうちの一人が、ごはんを前にきゃいきゃいはしゃいだり、ちょっと何かあってむずがって泣いたりしていた。でも、なんだかそれもほのぼのなごむというか、リトスタらしい情景だよなあ、とあらためて思う。

きっとあの子の記憶の片隅には、今夜のことが、この先もちょこっと残り続けるのだ。古い雑居ビルの階上にあるお店で、みんなと一緒に「おいしいね〜」と言いながらごはんを食べたり、どうでもいいことで泣いたりした記憶が。そのちょこっとしたごはんの記憶は、ささやかだけど、かけがえのないものでもあると思う。

そういうごはんの記憶が宿る場所を、誰も見てないところで毎日一生懸命に準備しながら作り続けている、リトスタのスタッフのみなさん。今年もごちそうさまでした。来年もまたよろしくお願いします。