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ストレスとのつきあい方

これも、仕事で書いていた原稿に出てきた話題なのだけれど。

人間という生き物は、生きているかぎり、常に誰かと関わりながら生きていく。原野の中に小屋を建ててたった一人で暮らしていても、自分自身という人間と向き合わなければならない。誰かと関わっていれば、何かしらのストレスは生じる。どんな世界に生きていても、何らかの理由で多かれ少なかれストレスは感じるものだし、それはけっしてゼロになることはないのだという。そしてストレスは、避けようとすればするほど、逆に溜まっていくものでもあるという。

ラダックのようにのどかな場所でも、それは同じだ。確かに日本のように複雑でややこしい仕組みの社会ではないけれど、周り中の誰もが知り合いという狭いコミュニティの中で、変わらない日々を生きていくことにストレスを感じている人は少なからずいると思う。あと、ジャンムーなどラダックの外にある大学に進学したラダック人の若者には、学業に悩んで自殺する人が結構多いのだという。そういう種類のストレスに対する免疫があまりないからかもしれない。

ストレスは、ゼロにするのでも、避けるのでもなく、うまくつきあって、乗り越えていくべきものなのだそうだ。何か原因がありそうなら、それに関わる人たちと話をすれば、意見が一致しないまでも、互いの考え方の違いを知るだけでずいぶん気がラクになったりするという。いきなり大きなハードルを乗り越えようとすると往々にしてしんどいので、まずはほんの小さなハードルでいいから、トライして、乗り越えてみる経験を少しずつ積み重ねていく。そうするとだんだん、自分自身の力でストレスを乗り越えていくことができるようになるのだという。

まあ、世の中、そんなにすんなり乗り越えられることばかりじゃないし、むしろ僕の場合は断崖絶壁ばかりのような気がしないでもないけど(苦笑)、自分なりによじ登る術を身につけねばと思う。

夢の中で

朝、ラッシュアワーで混み合う電車でもまれながら、信濃町へ。時間制限のある取材をどうにかやり終え、また電車で三鷹に戻る。今日もいい天気だ。帰りにフレッシュネスでハンバーガーとコーヒー。

早起きしての朝イチ取材で眠かったので、家に着いてからベッドにもぐり込み、二時間ほど昼寝。

夢を見た。九官鳥の九ちゃん。パグ犬のペコ。祖母がいて、父がいる。しばらくして、ああ、彼らはみな、もういないのだと気付いて、目が覚めた。

静かだった。ぬくもりと、なつかしさと、かなしみと、あきらめがあった。

「フェラーリの運ぶ夢」

ferrari
昨日は、千葉にあるイオンシネマ市川妙典まで遠征して、インド映画「フェラーリの運ぶ夢」を観た。日本でもヒットした「きっと、うまくいく」のスタッフががっつり関わっているこの作品、面白くないはずがないのだけれど、どういう大人の事情か、都内での上映館がないのである。公開初日だった昨日、館内はのんびりとした雰囲気だったが(苦笑)、観終わった後は「なんで? こんなにいい映画なのに!」と思わずにいられなかった。

交通局に勤めるルーシーは、バカがつくほど正直な男で、信号無視をしたのをわざわざ警官を見つけて自己申告するほど。早くに妻を亡くした彼は、気難しい父のベーラムと、一人息子のカヨと三人で、つつましく暮らしていた。クリケットで素晴らしい才能を持つカヨは、ロンドンで行われる強化合宿のセレクションを受けることになるが、その遠征には15万ルピーもの大金が必要だった。頭を抱えるルーシーのもとに、突拍子もない話が持ちかけられる。インドのクリケット界のスーパースター、サチン・テンドゥルカルのフェラーリを借りてきてくれたら、15万ルピーを払うというのだ‥‥。

この映画、話の展開だけを見ればかなりぶっ飛んでいるのだが、脚本がとにかくよくできていて、すんなりと楽しく観続けることができる。どうなるんだろう?と思っていた各登場人物の行動が最後にしゅるるっと収斂していって、細かい伏線まで見事に回収されていくのが気持ちいい。「きっと、うまくいく」でも好演したシャルマン・ジョシとボーマン・イラニも役にハマっていたし、カヨ役のリトウィク・サホレは、ショッピングモールで家族で食事していたところをスカウトされた、まったく普通の男の子だったそうなのだが、そうとはとても信じられない、みずみずしい演技をしていた。

笑って泣いて驚いての起伏を何度もくりかえして、観終わった後に感じる何とも言えない多幸感は、「きっと、うまくいく」の系譜に連なる作品ならではのもの。それにつけても思うのは、「なんで? こんなにいい映画なのに!」。良い映画は、みんなで映画館に足を運んで、スクリーンで観ることで応援してあげるしかないのかなと思う。

友チョコ

年末に安曇野で、実家の人間たちと過ごしていた時のこと。

姪っ子(中2)がひまつぶしに、自分のiPhone(さすがデジタルネイティブで、親よりも自然に使いこなしてる)に入れている写真を見せてくれた。その中に、きれいにラッピングされたチョコレートがたくさん写っている写真があった。

「これは?」「前のバレンタインデー」「あげたの?」「ううん、もらったやつ」

最近は、女の子同士でチョコをプレゼントし合う「友チョコ」という習慣がすっかり定着して、ごく当たり前のことになっているそうだ。そうなのか‥‥何しろおっさんなので、まったく知らなかった(苦笑)。

「じゃあ、男子にはあげないの?」と聞くと、姪っ子はきょとんとして、こう言った。

「男子にチョコあげるような人は、だいぶ変わり者じゃと思うよ」

‥‥時代の移り変わりを感じる(汗)。いつか、チョコをあげたい男子が現れたら、周りに変わり者だと思われないように、こっそりあげたまえよ。

雪の安曇野

Snowmans
あけましておめでとうございます。あいかわらずやる気のないブログですが(笑)、今年もよろしくお願いします。

この年末年始は、三泊四日で安曇野に行って、岡山から来た母と妹一家と過ごした。今までに何度か安曇野で年越しをしているが、今回はいつになく寒かった。元旦の昨日は気温が一日中氷点下だったし、今朝は結露が凍結して窓が開かなくなり、カーテンまで一緒に凍ってしまうほどだった。この土地で暮らしてる人たちには、さほど珍しくもないことだとは思うけど。雪も結構積もっていて、家の外には雪だるまたちが鎮座していた。

温泉で露天風呂に浸かり、初詣でイマイチなおみくじを引き、姪と甥たちにお年玉を持って行かれ、そんな正月のひとときも今日で終わり。さて、これからまた、地味な戦いの日々の始まりだ。