Tag: Editing

才能と職能

「一人で、書いて、撮って、編集して、一冊の本を作れるというのは、あなたの才能ですよ」という意味のことを、最近、何人かの人から言われた。

たぶん、僕の場合、持ち合わせているのは「才能」ではない。本づくりの仕事に携わるようになってから、必要に応じて身につけてきた「職能」だ。それは、そこそこの水準には達しているかもしれないけれど、個々の分野で燦然と輝きを放つトップクラスの「才能」には追いつけない、という限界も感じている。自分の「職能」の限界は、ずいぶん前から、自分でもびっくりするくらい素直に認めている。

ただ、個々の分野で煌めく「才能」を持っている人たちが、それを世の中に向けてうまく発揮することができずに、道半ばであきらめていくのも、僕は何度も見てきた。彼らには、いったい何が欠けていたのだろう。ほんのちょっとした巡り合わせか、運か‥‥。あるいは、いてもたってもいられないほどの、何かを「伝えたい」という思いか。

今までも、これからも、僕は地べたを這いずるように、じりじりと前に進んでいこうと思う。目指す先に「伝えたい」と思えるものがあると信じて。

ぶれない軸

昨日、今日と、自宅にほぼカンヅメ状態で仕事。去年の暮れから手がけている書籍の最終的なゲラチェック。一昨日の段階で、版元から校了日を二日前倒ししてほしいというびっくりするような打診を受けたが、関係者各位のおかげで、どうにかそれにも間に合いそう。

今回の仕事は、書籍の編集の実作業(進行管理と原稿整理、校正の取りまとめなど)のみを請け負っていて、企画や構成にはノータッチなので、自分の仕事という手応えは正直それほど感じていない。依頼された部分をきっちり仕上げるという点においては、プロとして手を抜いたりはしていないけれど。

昨日のエントリーの続きみたいな感じだが、よろず屋である僕のところにはいろんな仕事が舞い込んでくる。よっぽど条件や内容が折り合わなかったりしないかぎり、基本的には引き受ける方向で検討する。その点では、変なプライドが邪魔したりはしない。依頼した側がびっくりするくらい(笑)、ホイホイと軽いフットワークで引き受ける。

ただ、僕の中心には、「自分らしい旅を、自分らしい形で本にする」という、ぶれない軸がある。その軸があるから、ほかにどんな仕事が来ても、さくっと手がけられる気持の余裕があるのだと思う。ポリバレントな能力は、ぶれない軸があってこそ、いつか、本当の意味で活かせる場面が出てくるのだとも思う。

まとめると、がんばろ、ということかな。

ポリバレントという価値

昨日の飲み会でも話題になったのだが、紀行文やガイドブックといった旅行書を作る仕事は、つくづく国際情勢に左右される産業だな、と思う。

たとえば今、ラダックが属するインドのジャンムー・カシミール州は、西方のパキスタンとの停戦ライン付近で、両軍の部隊の交戦が続いている。今のところは小規模な武力衝突だが、間違って何かがこじれたら、大きな戦争にならないともかぎらない。そうなると、ラダック自体にその影響が届かなかったとしても、ラダックに関する書籍などの企画の実現は、しばらく困難になるだろう。

カシミールに限らず、ほかの国や地域だって、天災、人災、いつ何が起こるかわからない。仮に何かが起こった時、そのせいで自分の生活が立ち行かなくなってしまったら、かなりまずい。そういう万が一のことも想定した危機管理について、あらためて考えておかなければ、と感じている。

幸か不幸か、僕は純血のトラベルライターではなく、コンピュータやクリエイティブ系の雑誌や書籍の仕事もしているし、インタビューを中心にしたライターの業務もしている。よろず屋と言えばそれまでだが、種々雑多な仕事を通じて蓄積した経験値で、どんな依頼でもそれなりに対応できるという強味はあるかもしれない。

旅について書くことを仕事の主軸にしたいけど、それ以外の仕事を変に選り好みして、間口を狭めたいとは思わない。大切な目標をおろそかにしないという前提で、自分が作ることに意味が見出せる本なら、積極的にチャレンジしたい。

昔、サッカー日本代表の監督だったイビチャ・オシムは、複数のポジションをこなせる選手のことを「ポリバレント」(多価)と呼んでいた。一人の本の作り手として、そういう価値を持てるようになりたいと思う。

こじれた人

夜、板橋にあるインド料理屋で、ラダックガイド本の担当編集さんと会食。

新年会という名目だが、実際のところは、彼と再びタッグを組む予定の、新しい本の企画についての密談。去年の11月末のプレゼン以来、自分なりにブラッシュアップしたコンセプトと構成案を提示して話し合う。お互いいろいろ腑に落ちて、この方向性なら、社内の新刊会議に臨めるのではないかという話になった。

この企画、「旅好きとあることがこじれてどうにかなっちゃった人の本」という一風変わったコンセプトなのだが、それについて話し合っている時、担当編集さんがぼそっと言った。

「‥‥こう言うのも何ですが、ヤマモトさんも、相当こじれてますからね!」

‥‥そう、確かにこじれてますな(苦笑)。

トラベルライターと呼ばれて

去年あたりから、「トラベルライター・写真家」という肩書で人前で紹介される機会が多くなった。

十数年前にフリーランスになった時、僕はIT系の雑誌の編集者をしつつ、広告・デザイン系の雑誌でインタビュー主体のライターもしていた。当時はまさか、今の自分がこんな肩書で呼ばれるようになるなんて、想像もしていなかった。特に自分で肩書や営業先を変えたわけではないけれど、ラダックについて書いた二冊の本で、結果的にそういう風に見られるようになったということなのだろう。

今年の後半には、あるガイドブックの改訂のために必要な海外取材の依頼も受けているのだが、そういう完全な請け負い仕事としてのトラベルライターの業務をさらに増やしていくべきかというのは、正直悩みどころ。もちろん、やってやれなくはない。けど、それは自分にしかできない仕事かと言われると、そうでもない気がする。

行きたい場所に行き、見たいものを見て、撮りたいものを撮り、書きたいことを書く。自分らしい旅をやりきった成果をカタチにするのが、僕がトラベルライターとして力を入れていくべき仕事なのだろう。その橋頭堡にするための企画を自ら作って提案していくことを、粘り強くやっていかなければ、と思う。