去年の暮れ、旅好きな人が集まった飲み会に参加した。その場に来ていた初対面の人に僕の仕事について聞かれたので、「ついこの間まで、“地球の歩き方”の取材でタイに行ってました」と答えると、あっけらかんとこんな風に返された。
「“地球の歩き方”って、“地球の迷い方”だってよく言われますよね。自分も、あれの地図を見てもどこにいるのか全然わからなかったし」
僕としては、「そうですか……。ほかの人の作った本は知りませんが、少なくとも僕は、自分の担当地域のページはそれなりにがんばって作ってるつもりなんですが」と返事するしかなかった。
仮に自分の手がけたガイドブック(全部にせよ、部分的にせよ)が批判された場合、その内容が的を射たものであれば、僕はそれを受け入れるし、次回の取材の参考にしたいとも思う。なので、批判はじゃんじゃんしてもらって構わないのだが、あの時、その初対面の人に言われたのは、もっと漠然とした、先入観のようなものからの言葉だった気がする。
「地球の歩き方」を「地球の迷い方」と揶揄する言い方は、ずっと昔から聞いてきた記憶がある。ある程度旅に慣れてきた人が、旅先の現状が「地球の歩き方」に載ってる情報から変わっていたのを見つけた時とかに、そんな風に言ったりしていた。そういう人たちの話しぶりには、「自分は“地球の歩き方”よりも正しい情報を知っている。間違った情報にもめげずにうまく切り抜けた。ガイドブックに頼るなんてカッコ悪いよ」みたいなニュアンスも、ちょこっと入っていたかもしれない。
彼らの旅の仕方を否定するつもりは全然ないのだけれど、一つだけ言えるのは、彼らが現地でモノにした、「地球の迷い方」よりも正しい最新の情報も、ほんの数カ月でまた変わってしまう可能性が少なからずあるということだ。ガイドブックの制作や改訂のための取材では、僕たち取材者は可能なかぎり最新の正しい情報を入手しようと努力する。でも、本が刊行されて数カ月か半年経ってしまえば、取材した時点から変わってしまう情報は、ほぼ必ずどこかしらに出てくる。時間を経ても完璧な内容を維持できるガイドブックなど、まず存在しない。その上で制作側は、読者が旅する時のリスクを最小限に抑えるような記載の工夫をしている。少なくとも僕はそう心がけている。
情報の鮮度による部分以外での掲載情報のミスについては、制作側はむしろ大いに批判されるべきだと思う。でも、単にざっくりしたイメージで「“地球の歩き方”に頼るなんてカッコ悪い」と言いたいがために「地球の迷い方」みたいな揶揄をする人は、正直、その揶揄自体がちょっとカッコ悪いんじゃなかろうか、と思ってしまう。本当の意味で旅を自分らしく楽しめる人は、ガイドブックに頼るか頼らないかなんて、まったく気にもしないはずだ。使える情報は参考にし、自分で確かめた方がいい情報は現地で判断する。それだけのことだ。旅の本質には、まるで関係がない。
ガイドブックだけでなく、Webやスマートフォンで大量の情報が旅先でもたやすく手に入れられる現在。個人的にはむしろ、みんな、もうちょっと迷ってみてもいいんじゃないかとすら思う。旅はある意味、迷うからこそ面白い。