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土屋智哉「ウルトラライトハイキング」

僕が住んでいる三鷹に、ハイカーズデポという小さなアウトドアショップがある。駅の南口から歩いて15分ほど、デイリーズが入っているのと同じビルの一階。たしか、2008年の秋、僕がラダックでの長期取材から戻ってきたばかりの頃にオープンしたんじゃないかと思う。

僕自身は、そんなに足繁くハイカーズデポに通って買い物をしていたわけではないのだが、他の店とはひと味違った、シンプルで軽快なウェアやグッズの品揃えは、前々から気になっていた。店主の土屋さんもアウトドア雑誌でよく見かけるようになり、先日、ついに「ウルトラライトハイキング」という本まで出されたのを知った。

ウルトラライトハイキングとは、アメリカの数百キロから数千キロに及ぶロングトレイルを踏破するスルーハイカーたちによって考案されたハイキングの手法だ。装備を徹底的に軽量化し、必要なアイテム数を最小限に絞り込むことで、装備を背負う身体にかかる負担を減らし、長い距離を快適に歩き続けることを目指しているのだという。

日本でこうしたテーマについての本を作ろうとすると、ウェアやグッズをずらずらと紹介するものになってしまいがちだが、この「ウルトラライトハイキング」は、そうしたカタログ的な本とは一線を画している。ウルトラライトハイキングとは、最新のハイテク素材で作られたおしゃれなグッズを揃えて悦に入ることではない。工夫を凝らしたシンプルな装備で山に分け入って、自然とのかかわりや一体感をよりダイレクトに感じ、愉しむという行為なのだ。この本ではウルトラライトハイキングについてのそうした考え方とともに、実践にあたっての基本的な知識が、わかりやすい形で紹介されている。ふんだんに添えられたポップなイラストも感じがいい。

僕がラダックでトレッキングをくりかえしていた頃は、装備と食糧は馬やロバに運んでもらっていたものの、自分自身は撮影機材が詰まったカメラバッグをひーこら言いながら担いでいたので、とてもウルトラライトとは言えなかったと思う(苦笑)。でも、現地で旅をともにしたホースマンたちの装備の潔さにはいつも感心させられていたし、厳寒期のチャダル・トレックに臨む前、友人のパドマ・ドルジェに「テントもストーブも必要ない」とこともなげに言われた時には度肝を抜かれた。ラダックやザンスカールの人々にとって、最小限のシンプルな装備で旅をすることは、日々の生活に直結したごく当たり前の知恵なのだけれど。

もう少しいろいろ落ちついてきたら、ひさしぶりに丹沢や奥多摩、奥秩父を歩いてみようかな。自分にできる範囲で、ウルトラライトに。

自分にできる仕事

計画停電が始まってからというもの、「今日は何時から停電になるんだろ?」と調べてから一日の行動計画を練っている。時間が制限されているせいか、普段より集中力が増して、妙に仕事がはかどる(苦笑)。今、自分が担当している分の執筆は、あらかたメドがついた感じ。このまま編集作業もうまく進んで、予定通りのスケジュールで校了できればいいのだが。

‥‥わかっている。今、自分がこうして本を作ったところで、被災地にいる人々の飢えや寒さを癒すどころか、不安を紛らすことさえしてあげられない。本当にくやしい。それでもいつか、何かの形で、ほんの幾許かでも支えにしてもらえたら、と思わずにいられない。今は、目の前にある仕事を、一つひとつ、やっていくしかない。

震災の後遺症で、日本中が内向き後ろ向きになって、出版業界もしばらくは厳しくなるだろう。でも、いつか、みんなが再び立ち上がって前を向こうとした時、手に取って読んでもらえる本があるように、今から新しい本を作る準備をしていく。それが、今の自分にできる仕事。

本と映画と

天気予報は雨だったが、一向に降る気配なし。近所の公園では、子供たちがキャッキャと走り回っている。

先週から読んでいたル=グウィンの「ギフト 西のはての年代記 I」読了。強すぎる「ギフト」を持つ者として目を封印された少年の葛藤と成長の物語。自分にできること=ギフトとは何なのか、考えさせられる一冊だった。

夜はApple TVで「オーケストラ!」という映画をレンタルして観た。ロシア・ボリショイ交響楽団のかつての天才指揮者だった男が、ひょんなことから、昔の仲間を集めて偽のボリショイ交響楽団としてパリに乗り込むという映画。ストーリーの背景にはずしりと重いものがあるのだが、映画自体にはたっぷりとユーモアがちりばめられているし、ラストの演奏シーンはまさに圧巻。観終わった後の解放感は爽快そのもの。

一冊の本、一本の映画が、心を解きほぐしてくれた一日。

幸せな本

ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」が発売されてから、今日で丸二年になる。売り上げ的には、まあ、そこそこという感じなのだけれど(笑)、今もたくさんの人に読んでいただいていることを、本当にうれしく思っている。

あの本は、間違いなく、僕の人生を変えた。生まれて初めて、自分が心の底から書きたいと思えるテーマに挑むことができた。現地取材に取り組んでいく過程で、ラダックでも、日本でも、本当にたくさんの人々が自分を支えてくれていると実感した。そして、本というものは、読者の方々の手に渡り、その心の中にそっと入り込んで、初めて生命を持つのだと知った。書き手にとって、幸せな一冊になったと思う。

自分にとって大切なことを、本に託して、届けていく。ささやかなことかもしれないけれど、これからも、そういう仕事を積み重ねていきたい。

積ん読

朝から氷雨が降り続く。やれやれ、冬に逆戻りだ。

去年の暮れから、ちょこちょこと本を何冊か買って、コーヒーテーブルに置いてあるのだが、まだどれもちゃんと読めていない。今は本の執筆に取りかかっているので、とりあえず、草稿が書き上がるまでは我慢した方がいいのかも。僕の場合、途中でうっかり他の本を読むと、それが強い文体だった時に、そっち方向に文体が引っ張られてしまうことがあるからだ。

と、ここで机の左横にある本棚を見てみると‥‥他にもまだ読んでない本が、そこにも、あそこにも‥‥。少なくとも十冊以上ある。うーむ。これが積ん読というやつか。自分は、あんまりそういうことをしないタイプの人間だと思っていたのだが。

草稿を書き終わったら、朝から晩まで本しか読まなかった、みたいな日をどこかに入れてみたいな。