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感動の再会

一昨日の夜にとりあえず本の草稿が書き上がったので、昨日は気分転換に、一日外に出かけてきた。

まず向かったのは、蔵前のアノニマ・スタジオで開催されていたブックマーケット。良心的ないい本を作り続けている小さな出版社が一堂に会して、それぞれの本を販売するというイベント。思っていたよりもこぢんまりとした展開だったけど、こうして紙の本を作ることに熱意を持って取り組んでる版元さんもまだまだあるんだなあ、とちょっと嬉しくなった。

その次に行ったのは、六本木ヒルズで開催中の歌川国芳展。平日だからゆっくり見られるだろうと思いきや、すごい人出。「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」みたいな絵の前に、現実世界の人間たちがわちゃーっと群がっている様は、ある意味シュールだった(苦笑)。展示内容は素晴らしかったけど、さすがに疲れた‥‥。

そんなこんなの夕方、携帯に着信。この間の飲み会でなくして行方不明になったマフラーが、ジュレーラダックの事務所で発見されたらしい。スカルマさんのカバンの中にマフラーが入っていたのだとか(苦笑)。いったい何でそんなことになったのかさっぱりわからないけど、とにかく受け取りに行こう、と茗荷谷にある彼らの事務所へ。もう二度と会えないと思ってたお気に入りのマフラーと、感動の再会。よかったー。うるうる。

で、その後は、スカルマさんたちと近所で晩ごはんを食べることになり、軽く晩ごはんのつもりが、気がつけば終電一歩手前まで飲むはめになり‥‥。でも、今度はしっかりと、マフラーを持って帰った。もう離さないぜ(笑)。

あっけない登頂

ここのところ静かになったと思っていたら、今朝、また道路工事のドリルの音で目が覚めた。今日は、僕の部屋の窓のほぼ真正面。音と振動で、もう何もできない(泣)。

彼らの昼休みの間にそそくさと仕事を進め、午後半ばに再びうるさくなってきたところで、いったん休止。スーパーに晩飯の食材を買いに行き、ついでにコンビニで立ち読みして時間を潰す。何で俺がこんな目に‥‥。

夕方、ドリルが轟く中で早めに晩飯をすませ、風呂に入った頃になって、ようやく静かになった。執筆再開。しばらくゴリゴリと書き進め、情報を整理して‥‥。あれ? 次のページは?

気がつけば、最後のページまで到達していた。あっけない登頂。本格的に書きはじめて、約二カ月。データを合わせて数えてみたら、11万字ちょっと。ふー。やれやれ。

まあでも、この後、最初から最後まで推敲して、全体のトーンや表記を統一したり、不用意にだぶってる表現を調整したり、いろいろ手直しをしなければならない。まだまだこれからだ。

とりあえず、明日は気晴らしに、ぶらっと都心に出かけてこよう。

隠遁生活

終日、部屋で原稿を書く。昨日も一昨日も、いや、二カ月前からほぼずっと同じ、まるで隠者のような生活(苦笑)。資料が一面に散らばる机に向かって、毎日、毎日、キーボードを叩き続けている。

大変といえば大変だし、きついといえばきついけど、つらいと感じたことは、今回の本に関してはまだ一度もない。どんなにややこしくて書くのが難しい部分にさしかかっても、心の中はいつも子供みたいにはしゃいでいる。自分が一番好きな場所、一番大切な場所について書いているのだから、どんな苦労も苦労じゃない。ただ、わくわくと楽しくて仕方ない。だから僕の場合、執筆期間というのは、いささか子供じみた隠遁生活なのかもしれない(笑)。

そんな風にして書き続けてきた本の草稿も、あと数ページですべて書き上がる。でもその後はすぐ、推敲、修正、レイアウトと編集。ひと息つく間もなく、戦いはまだまだ続く。

本づくりに必要なもの

僕はこれまでに何冊か本を書いているけれど、本を出すまでのパターンには、おおむね二通りある。

一つは、出版社の知己の編集者さんから「こういう企画があるんだけど」と執筆を打診されるパターン。具体的なコンセプトが固まっている場合もあれば、ざっくりしたお題だけを振られる場合もあるし、前に雑談レベルで僕が話した内容が先方で企画化されて戻ってくる場合もある。このパターンでは、執筆を引き受けた後、僕の方で細かい構成案を組み、編集者さんと擦り合わせを行い、ゴリゴリと書き進めていく。「いちばんわかりやすい電子書籍の本」「人が集まるブログの始め方」「広告マーケティング力」といった実用系の本がこのパターンに含まれる。

もう一つは、僕自身が企画を作り、出版社に持ち込んで採用してもらってから本を作るパターン。「ラダックの風息」と「リトルスターレストランのつくりかた。」、そして今作っているラダックのガイドブックがこれに当てはまる。僕は基本的にひねくれ者なので(苦笑)、ラダックについての本のように、普通の人の発想だと採用されるのがちょっと無理めなテーマでも、あえて企画化して持ち込む。だって、それが書きたいんだから。昨日のエントリーにもつながるけど、僕自身も、ものすごく個人的な動機で本を書いている。

この間、ガイドブックの担当編集者さんと話をしていた時、「山本さんがあの時、すごく熱心にプレゼンしてくれたから、この企画は通ったんです。そういう熱意が、本づくりには一番大切なんだと思いますよ」と言われた。熱意はあっても、最低限の実力と周到な準備が伴っていなければ、いい本を作ることはできない。でも、何もかもを揃えた上で、最後の最後に必要なのは、やはり熱意なのだと思う。個人的な動機を、意地でも貫き通す熱意が。

そうして作られた本は、必ずしも万人に受け入れられる本にはならないのかもしれない。でも、その熱意こそが、本に魂を宿すのだと、僕は今も信じている。

夏葉社「さよならのあとで」

死は、誰のもとにも平等に訪れる。死からは誰も逃れられないし、愛する人を失う悲しみからも、誰も逃れられない。誰よりも大切な存在だった人でさえ、時に唐突に、理不尽な形で失われていく。

さよならのあとで」は、英国の神学者で哲学者でもあった、ヘンリー・スコット・ホランドの「Death is nothing at all」という詩の本だ。詩集ではなく、この本には、ただ一編の詩しか収録されていない。四十二行の詩と、挿絵と、あとがき。ただそれだけなのに、ページをめくるたび、こんなにも胸を突き動かされるのはなぜだろう。何も印刷されていない、真っ白なページでさえ。この本でしか伝えられない、この本にしか届けられない思いが、一文字一文字ににじんで見える。

この詩は、唐突に立ち去ってしまった大切な人から届けられた言葉なのだと思う。私のことは何気なく心の隅にピンで留めて、これからも続いていく日常を精一杯生きてほしい。私はすぐそこで待っているから、と。僕にとって、それは父の言葉だった。

この「さよならのあとで」を編んだ夏葉社の島田潤一郎さんは、吉祥寺でたった一人で出版社を営んでいる方だ。三年前に会社を立ち上げる前、島田さんは親友でもあった従兄の方を交通事故で亡くした。その時からずっと、島田さんはこの本を作り続けてきたのだという。この本を出すために出版社を始めたといっていいほどの、ありったけの思いを込めて。これは、とても個人的な思いで作られた本だ。でも僕は、そういう個人的な思いを核に作られた本だけが、人の心を突き動かす力を持ち、ずっと読み継がれていくのだと思う。

大切な人を失った人のもとへ、この本が届きますように。