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石塚元太良「氷河日記 プリンスウィリアムサウンド」

「氷河日記 プリンスウィリアムサウンド」以前、渋谷タワレコのブックショップをぶらついていた時、たまたま見かけて、手に取った本。後で知ったのだが、一年前に石川県で開催された写真展に合わせて刊行された、限定300部の本らしい。これも出会いなのだろう。

石塚元太良さんは、パイプラインや氷河など、特定のモチーフを追いかけて世界各地を旅して撮り続けている写真家だ。この「氷河日記」には、アラスカのプリンスウィリアムサウンドに点在する海岸氷河を、単身折りたたみ式カヤックで旅して撮影した時の模様が記録されている。同じようにしてカヤックでアラスカの氷河をめぐるなんてことは、たぶん僕には無理だから、とてもうらやましく思いながら読んだ。食料や装備の買い出し、野営の様子などは、すごく参考になった(何の?)。

読んでいて印象に残ったのは、「直接照りつける太陽光は氷河の撮影には要らない」という彼の言葉。晴天の下、太陽光で輝く氷河は確かにとても美しいだろうけれど、コントラストが強すぎて、大切な「青」が飛んでしまうのだという。曇天の方がそれをうまく捉えられるのだそうだ。そんな見方で雪や氷を眺めたことはなかったから、とても新鮮だったし、なるほどど頷かされた。

ゆらゆら揺れるカヤックで、大いなる自然の中に入っていく。その愉しさ。その心細さ。自分もいつか、何らかの形で、そういう気持を味わいたいと願う。

どこかで誰かが

ここ数日、自宅では、昼の間はひたすら連絡業務。電話をかけたり、メールを書いて送ったり。今取り組んでいることの性格上、色よい返事はもらえない確率の方が高いので、ある時は電話口で、またある時は返信されたメールで、幾度となく気持が凹まされることになる。

そんな中、ある会社に電話をかけ、たまたま応対してくださった方にメールを送ると、すぐに返信が来た。なんと、以前、僕が書いた「ラダックの風息」を読んでくださったことがあるのだという。本当にまったくの偶然だったのだが、びっくりした。

もちろん、今回先方に打診した内容がどうなるかとは話が別なのだが、何だかとても嬉しかった。たゆまぬ努力を積み重ねていれば、どこかで、誰かが、見ていてくれる。結果がどうなるかはわからないけど、やれるだけやってみよう。

本づくりという博打

生まれてこのかた、ギャンブルの類にはほとんど手を出したことがない。

パチンコは思い出せないくらい昔、物珍しさに千円くらい使ってみたが、まったく面白さを理解できなかった(笑)。競馬も、麻雀も、まったく経験&興味なし。あ、五年ほど前にマカオに行った時、カジノで大小をやって、一瞬で100ドルすった記憶がある。つまり、博打に対する興味もなければ、勝負運もからきしという人間だ。

ただ、今の自分の仕事‥‥本づくりという仕事は、傍目には穏やかに見えるかもしれないが、博打に近い要素はかなりあると思う。Webで見かけた細田守監督のインタビューを読んで、映画と書籍という違いはあるにせよ、その辺のことをあらためて自覚した。

映画の価値は、有名な原作とか、有名な監督、クリエイターがやっているからじゃない。その映画に今まで見たことがない価値があるからでしょう。見たことのない面白さを提供することに価値があると思う。そういう価値がみんなと共有できた時に成功するんじゃないか。常に挑戦しないと映画を作る意味がないんですよね。じゃないと誰も振り向いてくれないですよ。‥‥という意気込みがあるんですけど、映画が常に挑戦であることはイコール博打なので、毎回々々どうなるかわからないです。

誰かの後追いではなく、常に新しいことに挑戦して、見たことのない面白さを提供すること。それはリスクを伴う博打で、当たるか当たらないかは本当に神のみぞ知る、だ。でも、安全牌だけ切り続けるようなやり方には、正直、さして興味はない。僕も、挑む気持を忘れないようにしたいと思う。

霧の海へ

今週は、先週取材した原稿の執筆に淡々と取り組んでいる。

朝起きて、おひるを作り、コーヒーを淹れ、原稿を書く。きりのいいところで近所のスーパーに買い出しに行き、晩飯を作り、再び原稿を書く。ノルマに達したところで打ち止めて、ビールを飲み、眠くなったら寝る。まあ、今のところ執筆も順調なので、明日にはこの件も一段落するだろう。

その後は‥‥明確な仕事ともいえない、厄介なミッションが待ち構えている。正直、本当に実現できるかどうかもわからない話。たとえるなら、真っ白な霧がたちこめて何も見えない海へ、ボートで漕ぎ出すような感じだ。

これに取り組むのは、はっきり言って、とてもしんどい。避けて通れるならそうしたいくらいだ。でも、これは、僕がやらなければならないこと。そして、やれるとしたら僕にしかできないこと。だから、たとえ心をへし折られるような苦痛を味わうことになっても、僕は霧の海に漕ぎ出す。

出版社と本の作り手

昨年暮れから編集作業を担当し、先月下旬に校了した書籍の見本誌が、今朝になって届いた。

通常、印刷所から出版社に見本誌が届いたら、版元の編集者は、著者はもちろん、制作に携わったスタッフや、取材に協力してくれた方々にそれを送付する。関係者に感謝の気持を伝えるという意味もあるが、万一何か問題が残っていたら、発売前に何かしらの手を打って(訂正紙を挟むなどして)対応するための最終チェックの役割も見本誌にはある。

この本の見本誌は、一月末日には出版社に届いていた。しかし版元の編集者は、僕のほか、デザイナーの事務所やDTPスタッフにも見本誌を送るのをうっかり忘れていたのだという。結局、制作スタッフによる見本誌の最終チェックを完全にすっ飛ばす形で、この本は世に出ることになってしまった。

出版社は、見本誌を制作スタッフに送るのは忘れていたのだが、制作とは何の関わりもない、外部のIT企業のお偉いさんや、好意的な書評をブログで書いてくれそうなクリエイターには、すでに積極的に見本誌をばらまいていた。そういう形で本の宣伝に力を入れるのは別に構わない。でも、その一方で、クリスマス連休も毎日休まず出社して作業してくれたデザイナーや、インフルエンザで熱を出しながらも作業してくれたDTPスタッフのことを、そんなに簡単に忘れてしまったのか‥‥と思うと、何だか虚しくなってしまう。

この出版社には、去年も別の編集者からかなりの迷惑を被った。仕事や会社の選り好みはあまりしたくないが、正直、もう自ら進んで関わろうという気にはなれない。残念ながら。