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そして途方に暮れる

終日、部屋で仕事。先週収録したインタビューの音声起こしに取り組む。日がな一日、仕事と自炊以外に何かをした記憶がない。

今回の年末年始は、いつになく忙しい。書籍の制作を2冊、ほぼ同時進行で抱えたまま年をまたぐのは初めてだ。本に載せる文章を魂を削りつつ書かねばならないのはもちろん、年明けから始まるWeb連載の準備もしなければならないし、2月頃には国内取材が入る予定だし。その先の3月と4月は、恒例の大学案件取材に忙殺されつつ、新刊のプロモーションや関連イベントにも取り組まねばならない。目の前にいろいろありすぎて、途方に暮れてしまう。

そんな折に、さらなる追い打ち。この年末年始、キネカ大森で今年のIFFJで上映されたインド映画の特集上映があるというではないか。IFFJ期間中はタイ取材で不在にしていた僕にとって、今後日本で公開されるかどうかもわからない作品たちを日本語字幕付きで見届ける、千載一遇のチャンス。少なくとも2、3本は観たい‥‥しかし、通えば通うほど自らの首を絞めることに‥‥ぐはっ。

ほんと、目の前にいろいろありすぎて、途方に暮れてしまう(苦笑)。

デンジャーゾーン

終日、部屋で仕事。タイ関連の作業にいったん一区切りをつけ、次は一昨日収録したインタビューの音声起こしに着手せねば‥‥と思うものの、連絡業務がばたついて、なかなか取りかかれない。

さらに、年明け早々から続きモノの仕事が新たに加わることになり、そのスケジュールの調整や、年内に納品する分の内容の打ち合わせなども絡んできて、脳みそはすっかりオーバーヒート。机に向かっていても時々茫然としてしまうのだが、いやいや、茫然としてるヒマなどまったくない、と我に返っては、キーボードを叩く。

あらかじめ計算していたセーフティーゾーンなんて、結局、まるで役に立たなかった。すっかりデンジャーゾーンである。

セーフティーゾーン

終日、部屋で仕事。タイのゲラチェックに取り組む。

この作業、先週末から他のいろんな予定の合間に少しずつ進めていたので、今日と明日を自宅作業に充てれば、まずまず余裕を持って着地できる、はずだった。ところが今日の夕方、版元から急に追加リクエストが来て、かなり作業量が増えてしまったのだ。もし、今週の木曜と金曜は自宅作業ができるからと楽観視して、週末から今日までの細かい合間に作業を進めないでいたら、相当ヤバかったんじゃないかと思う。

編集の仕事で進行管理をする時、もし何か突発的な事態が生じても切り抜けられるようなセーフティーゾーンを設けておくことは、結構大事だ。老婆心といえばそれまでだが、今回に限らず、実際に何度もそれでギリギリ切り抜けてきた経験があるし。

まあ、一番いいのは、何事も起こらずにすべてが穏便に進行することだけど、正直言って、この業界でそんなことはめったにない(苦笑)。

縛りのない本づくり

午後、銀座で打ち合わせ。これから作る本に必要な写真の撮影について、カメラマンさんと編プロの方を交えて打ち合わせ。いつどこで撮影をするか、とか、来週自転車でロケハンしてきましょうか、とか。

制作に際しては、編集を担当する僕の方からある程度コンセプトを提案してはいるのだが、「こうしなければいけない」と決め込んだ指示は、カメラマンさんにもデザイナーさんにもあまりしないようにしている。ある程度イメージを共有しつつ、それぞれの持ち味を発揮してもらった方が、いい結果が得られるような気がするからだ。

こういう、ある意味ゆるりとした作り方ができるのは、今回の本が、書店ではない場所で、特定の層の人々に、ある程度限られた数で販売される、という事情があることも大きい。余計な縛りを気にすることなく、一冊の本として良いものを作ることだけに集中できる。

というか、本づくりとは本来、常にそうあるべきなのだけれど。巷の出版社を介しての本づくりは、なかなかそうはいかない昨今の世知辛さ。

ひたむきさ

ここしばらく、自分がこれまでラダックで撮影してきた写真のアーカイブを、一から見直す作業をしている。

昔、ラダックに長逗留しはじめた頃に撮った写真を見ていると、ほんとにヘタクソだったなあと痛感する。ミスショットも含めてアーカイブをチェックすると、カメラを構えながら焦ってあたふたしてたのがまるわかりで、使える写真も全然少ない。この程度のウデでよくもまあ、と我ながら思う。

写真も、あと文章も、スキルの面だけで言えば、今の自分の方がずっと上だとは思う。そりゃそうか、ラダックに長逗留していたのは8年も前だし。ただ、自分自身の代表作と呼べるような写真、あるいは文章はと考えると、「ラダックの風息」を超えるものは世に出せていないのではないかとも思う。

たぶんそれは、あの頃ならではの無我夢中なひたむきさとまっすぐな気持が、スキル云々を超えて、ほんの時折、幸運をたぐり寄せていたからだろう。ものにした、というより、たまたま撮らせてもらえた、経験させてもらえた、そのささやかな積み重ねが、あの一冊になった。

僕に限らず、代表作というものは、往々にしてそんな風に生まれるのかもしれない。スキルを超えた、ひたむきさによって。