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何かを確かめたくて

夕方から外出。三鷹のアウトドアショップ、ハイカーズ・デポ主催の、アラスカをテーマにしたスライドトークイベントに参加。

スピーカーの村石太郎さんは、アラスカのブルックス・レンジに惚れ込んで、十数年前から通い詰めている方。アラスカの原野を歩くことの難しさと楽しさをたっぷり聞くことができて、楽しかったし、いろいろ参考になった(結構根掘り葉掘り質問もしてしまった)。トークの前後に設けられた参加者同士のフリートークタイムは、人見知りの身にはかなりきつかったけど(苦笑)。

今回の話を聞いていて思ったのは、僕個人は、トレッキングにしろ、登山にしろ、カヤックやパックラフトにしろ、自然の中に身を投じる行為自体に惹かれているわけではないということ。ラダックの時からそうだけど、その先に歩いていくことでしか目にできないもの、確かめられないものがあると思うから、そうしているだけなのだ。旅とか写真とかに携わってる人は、多かれ少なかれ、何かを確かめたくて、それぞれのフィールドをひた走っているのだと思う。

僕がこれから確かめたいと思っているものは、何なのだろう。

遠くへ、遠くへ

カトマイにて

ふとした時に、なぜか思い出してしまう景色がある。

この写真を撮ったのは、去年の秋、アラスカのカトマイ。ブルックス・ロッジから一万本の煙の谷へと向かう途中、休憩で停まった場所で、何気なく何枚かシャッターを切った。その時は、そこまで入れ込んで撮ったわけではなかったと思う。でも今になって、この光景が何度も脳裏に甦るのだ。

百年前の火山の大噴火の影響で、この地の植生はまだ若々しい。秋色の木立と平原の先にはぽつぽつと湖があり、山の上には気まぐれな雲が漂っている。遠くへ、遠くへ。この写真を見ていると、心が連れていかれそうになる。たぶん、そう感じるのは僕だけなのだろうけれど。

石塚元太良「氷河日記 プリンスウィリアムサウンド」

「氷河日記 プリンスウィリアムサウンド」以前、渋谷タワレコのブックショップをぶらついていた時、たまたま見かけて、手に取った本。後で知ったのだが、一年前に石川県で開催された写真展に合わせて刊行された、限定300部の本らしい。これも出会いなのだろう。

石塚元太良さんは、パイプラインや氷河など、特定のモチーフを追いかけて世界各地を旅して撮り続けている写真家だ。この「氷河日記」には、アラスカのプリンスウィリアムサウンドに点在する海岸氷河を、単身折りたたみ式カヤックで旅して撮影した時の模様が記録されている。同じようにしてカヤックでアラスカの氷河をめぐるなんてことは、たぶん僕には無理だから、とてもうらやましく思いながら読んだ。食料や装備の買い出し、野営の様子などは、すごく参考になった(何の?)。

読んでいて印象に残ったのは、「直接照りつける太陽光は氷河の撮影には要らない」という彼の言葉。晴天の下、太陽光で輝く氷河は確かにとても美しいだろうけれど、コントラストが強すぎて、大切な「青」が飛んでしまうのだという。曇天の方がそれをうまく捉えられるのだそうだ。そんな見方で雪や氷を眺めたことはなかったから、とても新鮮だったし、なるほどど頷かされた。

ゆらゆら揺れるカヤックで、大いなる自然の中に入っていく。その愉しさ。その心細さ。自分もいつか、何らかの形で、そういう気持を味わいたいと願う。

費やした時間

昼、買い物などのため、都心へ。途中で六本木に寄り、今日が最終日だった星野道夫さんの写真展「アラスカ 悠久の時を旅する」を見る。

星野さんのアラスカでの取材の足跡を追う形で展示されていた写真の数々は、写真集で見慣れたものもあれば、未公開のものもあったが、どれも富士フイルム謹製の美しい大型パネルにされていて、見応えがあった。カリブーの大群、雪上を彷徨う狼、夜空を紅に染めるオーロラ。見ていて頭をよぎったのは、星野さんがこの一枚々々の写真を撮るのに費やした、膨大な時間のことだった。

たとえば、ムースの交尾の場面の写真には「これを撮るために五年待ち続けた」といったキャプションがさらりと添えられていた。他の写真も、ちょこっと出かけてささっと撮ってこれたようなものは、一枚もない。執念‥‥というのとは、ちょっと違うと思う。あの、とてつもない広がりを持つアラスカの自然と向き合うには、そんな風にしてじっくり時間をかけていくのが、一番いいやり方なのだ、きっと。

僕もいつか戻りたいな、あの高い空の下に。

鶴の群れ

キャンプ・デナリに滞在していた時、一人のガイドと親しくなった。彼の名はフリッツ。スイス人である彼は、二十年前にこの地にやってきて、ガイドとして働くようになった。家族は、国立公園の入口でB&Bを経営している。とても気さくな人で、日本人で一人だけストレニアス・グループでのトレッキングに参加していた僕に、「いいぞ、タカ! どんどん歩け! ゴーゴー!」と声をかけて焚き付けたりしていた。

ある日、「ポトラッチ」キャビンでの夕食の時、向かいの席にいたフリッツが僕に訊いた。

「タカ、君は何の仕事をしているんだ?」
「写真を撮ったり、文章を書いたりして、それを本にする仕事をしてるんだよ」
「そうか、フォトグラファーか。僕も一人、日本のフォトグラファーを知ってる。ミチオだ。ミチオは素晴らしいフォトグラファーだった。デナリで撮影していた時、彼はよくこのキャンプ・デナリに遊びに来ていたんだよ」

その時、クァ、クァ、という鳴き声が、遠くから幾重にも重なり合うようにして聴こえてきた。何だろう? みんな席を立って、「ポトラッチ」の外に出る。灰色の空の彼方から、隊列を組んだ鳥のシルエットが近づいてくる。鶴だ。それも、十羽や二十羽どころではない。次から次へと隊列が集まってきて、キャンプ・デナリの真上で渦を巻くように、どんどん大きな群れになっていく。数百羽? いや、千羽以上はいたのではないだろうか。

「サンドヒル・クレーンだ。南の山脈が悪天候で越えられなくて、ねぐらを探してここに集まってきたんだろう。こんな大きな群れを見たのは、二十年ぶりだ‥‥」フリッツが呟いた。

ミチオ‥‥星野道夫さんも、原野で一人でキャンプを張っていた時、こんな鶴の群れを、じっと見上げたりしていたのだろうか。千羽を超える鶴たちは、クァ、クァ、と寂しげに鳴き交わしながら、やがて、北の稜線の彼方に消えた。