僕が就職活動を止めた理由

クラシコムさんの会社説明会についてのエントリーを読んでいるうちに、自分について思い出したことをつらつらと。

僕は今まで、企業の正社員として働いた経験がない。アルバイトだったり、契約社員だったりといった働き方をしているうちに、いつのまにかフリーランスになっていた。

もちろん、最初から就職することを放棄していたわけではない。大学四年の初め頃は、同学年の他の学生たちと同じように紺色のスーツを着て、いくつかの会社の面接を受けて回ったりしていた。当時からぼんやりと出版関係の仕事に就きたいと考えていたから、回るのはもっぱら出版社。でも、そうして会社回りをしていても、僕はずっと、うまく言葉にできない違和感のようなものを感じていた。

僕はいったい、何をやりたいんだろう?

その頃の僕は、他の学生がしているのと同じように就職活動をして、卒業したら会社勤めをするのが当たり前だと考えていた。世間体に合わせて就職するのが唯一の道で、それ以外の選択肢があるかもしれないことを、想像すらしていなかった。でも、面接に行く先々で、会社への忠誠心を試すような質問ばかりされているうちに、僕は自分が本当にこの人たちの会社に就職したいと思っているのか、わからなくなった。自分自身が何をやりたいのかあやふやなまま、何となく就職してしまってもいいのだろうか、と。

そんな風に悩んでいた時、当時お世話になっていた方から、こう言われたのだ。

「まあ、別にすぐに就職しなくても、一年くらい大学を休んで、旅でもしてきたら?」

そのひとことで、僕の心は、くびきから解き放たれたかのように軽くなった。そうか、今すぐ就職したくないのなら、しなくてもいいんだ。旅に出る、という選択肢もあるんだ。

僕は、ぱったりと就職活動を止めた。大学を自主休学し、バイトで旅費を稼ぎ、本当に旅に出てしまった。上海まで船で渡って、シベリア鉄道でソ連崩壊直後のロシアを抜け、夜行列車を宿代わりにヨーロッパを巡るという、初めての海外にしてはいささか無謀な旅に。

今思うと、あの時、就職活動を止めて、本当によかったと思う。初めての海外放浪は、二十歳そこそこの若僧にはとても受け止めきれないほどの圧倒的な現実を見せてくれたし、小さな出版社での旅費稼ぎのバイトを通じて、就職活動をしていた頃にはまったくわかっていなかった、本作りの仕事の厳しさと楽しさを知った。そして何より「自分が本当に心の底から作りたいと思える本を作る」という、今も変わらない目標を見出すことができた。まあ、そこからの下積みというか紆余曲折というか、苦労は人一倍しているけれど(笑)。

当たり前と思っていた道を踏み外したことで、僕は、自分の道を見つけることができたような気がする。

Facebookページ開設

ふと思い立って、「Days in Ladakh」のFacebookページなるものを立ち上げてみた。

Facebookページは、以前からあったファンページが改良されたもの。管理人が、本人のアカウント以外にFacebookページのアカウントを使えるようになって、他のFacebookページに投稿やコメントをして交流することが可能になった。これを活かせば、海外に存在するラダック関係のFacebookページとも情報のやりとりができるのではないか、と考えた次第。

Facebookページを作ること自体は、思いのほか簡単。ただ、ページを最初に立ち上げた直後に表示される設定ステップがちょっと曲者で、いきなりメールソフトのアドレスデータをインポートして、Facebookページを作ったことを告知するメールを全員に一斉配信しろと勧めてきたりする(苦笑)。こういうところが、こなれてないというか、技術屋的というか、Facebookのユーザビリティの未熟な部分だなと思う。

まあ、せっかく作ったページなので、うまいこと運用していければと思う。

Aside

去年の暮れにApple TVを導入した頃から、Time Capsuleのランプがオレンジに点滅するようになった。特に設定をいじったわけでもないのに‥‥と、ハードディスクが回っていない時に電源コードを抜き差しするという(笑)おおざっぱなやり方で復旧させていたのだが、数日経つと、またオレンジに点滅するようになってしまう。

きりがないので、よくよく原因を調べてみたら、Time Capsule本体のファームウェアアップデートを要求されていたのだった。AirMacユーティリティなんて、普段まったく触らないから、気づかなかった‥‥。同様の現象でお困りの方は、AirMacユーティリティをチェックするといいと思う。

自転車に乗りたい

昨日も今日も、部屋で仕事。初夏に出す予定の本の原稿を、黙々と書く。進捗は‥‥まだ10パーセントくらいか。

仕事机の右側には、折り畳んだ状態のブロンプトンが置いてある。ずいぶん長い間、遠乗りに行っていない。去年の秋頃に行こう行こうと思いつつ、急な仕事やら、悪天候やらで、伸ばし伸ばしにしているうちに、冬になってしまった。もう少し暖かくなったら、多摩川や野川に繰り出したいところだけど‥‥。

さっき、ひさしぶりに車体を展開して、埃を拭い、タイヤに空気を入れ直した。後輪を宙に浮かせて、くるん、とクランクを回してみる。乗りたいな、自転車に。

退路を断つ

僕という人間は、自分でやり遂げようと思ったことを、そのまま臆面もなく口に出してしまうところがある。

小学生の時、突然「将棋の棋士になりたい」と言い出して、親に全力で止められた記憶がある(笑)。大学生の時は、「就職活動をやめて、バイトで金を貯めて旅に出る」と宣言して、周囲に呆れられながらそのまま実行してしまった。出版社で働くようになってからも「俺は物書きになる」と言い続けていたし、「ラダックで一、二年くらい暮らして、自分の写真と文章を本にする」と言って本当にやらかしてしまったのは、その最たる例かもしれない。

単に頑固というのもあるが、口に出すことで退路を断ち、自分自身にプレッシャーをかけている部分もある。たぶん、僕にはこういうやり方が合っているのだろう。

このやり方のいいところは、やり遂げようと思って口に出した時点で、他の人から応援してもらえるようになること。それはそれでプレッシャーになる場合もあるが、逆に、思いもよらないサポートを得られることもある。「ラダックの風息」を書いていた時、どれだけ周囲の人々に助けられたかわからない。

もちろん、口に出したからといって、あらゆる目標が叶えられるわけではない。僕自身、うまくいかなくて挫折した経験もたくさんある。でも、その過程で自分なりに全力を尽くしていれば、それを見てくれている人は必ずいる。あきらめてすべてを投げ出したとしても、ほんの幾許かは、目には見えないものが残る。

ただし、やりたいと思ったことを、あれもこれもとやたらめったら口に出して、結局どれも中途半端で投げ出してしまうのは、一番よくない。少なくとも、僕はその人を信頼できるとは思わない。あれこれ迷いながら、やりたいことを選び出したら、ばしっと退路を断って、全力で臨むべきだと思う。

退路を断って、何か一つのことをやり遂げたら、確実に、そこから何かが変わる。