マイペースで

今日もずいぶん寒い。終日、部屋に籠って仕事。

今取り組んでいる本の作業は、自分の担当分についてはゴールが見えてきていて、そう焦らなくても予定通りに進められそうな気配になってきた。その後の編集作業は、ひたすらゴリゴリと進めればいいわけだし。

ただ、去年からオファーを受けて、年明けから取りかかれるように待ち構えていた官公庁関連の仕事については、未だにこちらまで回ってくる気配がない。たぶん、作業に取りかかれるとしても、四月以降になりそう。仲介してくれている編集プロダクションの方も「申し訳ないです」と謝ってくださっているのだが、問題は別の場所にあるとわかっているので(苦笑)、僕は別に気にしていない。

働こうと思えば日曜でも働けるし、休もうと思えば平日でも休める。マイペースで働けるという意味では、フリーランスというのは恵まれた勤務形態なのかもしれない。まあ、そんなに儲かる職業でもないし、あんまり好き勝手に休んでると、仕事が来なくなってしまうんだけど(笑)。

フリーランスなりのよさを噛みしめつつ、これからも、マイペースで、ぼちぼちと。

ボランティアについて思うこと

僕が初めてボランティアらしい体験をしたのは、今から十年ほど前、コルカタにあるマザーハウスでのことだった。

旅の途中で知り合った人に誘われて、僕は、カーリー寺院の近くにある「死を待つ人々の家」で、末期の患者さんたちに食事を配ったり、シーツや衣服を洗って干す手伝いをした。そこには同じように手伝いをしに集まった、大勢の日本人の若者たちがいた。会社を辞めて作家になろうと考えている人、二週間の休暇を全部注ぎ込んでマザーハウスに来ている人、夏休みで旅行している大学生‥‥。洗濯物がはためく屋上で、彼らとおひるを食べながらお互いの話をした時のことは、今もよく憶えている。

日本では、以前からダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサポートをしている。ダライ・ラマ法王(僕たちは猊下とお呼びしている)が来日されて講演や法話を行われる時に、会場の入場整理やマスコミ対応、場内警備などのお手伝いをしたり。以前、護国寺でチベットフェスが開催された時は、ほぼ毎日会場に通って、設営や入場受付の手伝いをしたりもした。当時の法王事務所のボランティア仲間たちとは、そんなこんなですっかり仲良しになった。

マザーハウスや法王事務所のボランティアをしていた人たちに共通して感じたのは‥‥みんな本当に「気持のいい」人たちだなあ、ということ。彼らには、自分がボランティアという行為をしていることをひけらかす意識は微塵もない。そこに困っている人がいるから、そこに人手が足りないから、自分が手伝う。ただそれだけ。見返りとか、周囲の評価とか、そんなものはまったくどうでもいい。僕が彼らに人間的な魅力を感じるのは、そういう清々しさなのだろうなと思う。実際、僕自身も彼らから学んだことはたくさんあった。

世間には、自身のボランティア活動をまるで職業か何かのように謳う人もいるけれど、ボランティアは、そんな風にひけらかすものではないような気がする。やりたい人が、やれる範囲で、スーッと当たり前にやればいいこと。そういう世の中になれば、もっといいのになと思う。

Aside

iPhoneのソーシャルカメラアプリInstagramでユーザーが撮影した猫の写真ばかりを集めたサイト、Nekostagramが公開され、猫好きな人々を身悶えさせている(笑)。今後、犬バージョンとかも出てきそうだな。Instagramは、こういう派生コンテンツを作るのに向いているのかも。

積ん読

朝から氷雨が降り続く。やれやれ、冬に逆戻りだ。

去年の暮れから、ちょこちょこと本を何冊か買って、コーヒーテーブルに置いてあるのだが、まだどれもちゃんと読めていない。今は本の執筆に取りかかっているので、とりあえず、草稿が書き上がるまでは我慢した方がいいのかも。僕の場合、途中でうっかり他の本を読むと、それが強い文体だった時に、そっち方向に文体が引っ張られてしまうことがあるからだ。

と、ここで机の左横にある本棚を見てみると‥‥他にもまだ読んでない本が、そこにも、あそこにも‥‥。少なくとも十冊以上ある。うーむ。これが積ん読というやつか。自分は、あんまりそういうことをしないタイプの人間だと思っていたのだが。

草稿を書き終わったら、朝から晩まで本しか読まなかった、みたいな日をどこかに入れてみたいな。

ソーシャルメディア

今日も部屋で原稿を書く。ちょっと苦労していた部分を突破できたので、どうにか先行きのメドは立ってきた。

執筆の合間に休憩している時も、ちょこちょことMacを操作すれば、TwitterやFacebookやミクシィで、友達の誰が今何をしているのか、すぐに情報が入ってくる。ソーシャルメディアは、その気になれば独裁国家で革命を起こせるほどの巨大なインフラに成長してしまった。すごい世の中になったものだ。

でも、ソーシャルメディアに慣れすぎてしまうと、うっかり勘違いしてしまうことも多い。毎日のようにTwitterでやりとりしていた人なのに、実は三年以上会っていなかったとか‥‥。現実世界での人との関わりがおろそかになってしまうのは、正直どうかと思う。それに、たとえTwitterでのフォロワーが何千人もいたとしても、それだけでその人の価値が証明されるわけではないし。

ソーシャルメディアは、結局、道具でしかない。そういう使い方をしていかなきゃな、と思う。