ペン先の小さな神様

物書きという仕事に携わるようになって以来、長短合わせて、それなりにたくさんの文章を書いてきた。納得のいく出来の文章もあれば、いろいろな理由で悔いの残る文章もある。でも、本当の意味で自分の中にあるすべての力——記憶とか感情とか、何もかも含めて——を出し切ったと思えたのは、「ラダックの風息」を書いた時だったと思う。

あの本の草稿は、2008年の春から秋までの半年間をかけて書き上げた。当時はまだラダックでの現地取材を続けていたから、草稿の大半を書いたのもラダック。自分のパソコンは持って行かなかったので、取材の合間を縫って、小さな紙のノートに端から端までびっしりと、ページが真っ黒になるまでひたすら書き続けた。

あの文章を書いていた時の感覚は、僕がそれまで経験したことのないものだった。馴染みのカフェの席に坐り、ノートを広げ、ペンを握り、ページを見つめる。すると、周囲の視界が急に狭くなって、物音も小さくなる。頭の内側がじーんと痺れたようになり、ペンを持つ手が知らぬ間に動き、文字を書き連ねていく。まるで、ペン先に米粒大ほどの小さな神様が坐っていて、次はああ書け、こう書け、と指図しているかのように。

ラダックの風息」を書き上げた後、ペン先に小さな神様がちょこんと降りてきたことは、一度もなかった。どこがどう違うのか、僕自身にもわからない。でも、つい最近になって「もしかすると、あの神様が降りてくるかもしれない」と思える題材が見つかったような気がしている。まだどうなるか自分でもわからないけれど、また、あの時のような感覚で文章が書けるかもしれない。

大切だと思えること。伝えたいこと。それを、一心不乱に書く。

土屋智哉「ウルトラライトハイキング」

僕が住んでいる三鷹に、ハイカーズデポという小さなアウトドアショップがある。駅の南口から歩いて15分ほど、デイリーズが入っているのと同じビルの一階。たしか、2008年の秋、僕がラダックでの長期取材から戻ってきたばかりの頃にオープンしたんじゃないかと思う。

僕自身は、そんなに足繁くハイカーズデポに通って買い物をしていたわけではないのだが、他の店とはひと味違った、シンプルで軽快なウェアやグッズの品揃えは、前々から気になっていた。店主の土屋さんもアウトドア雑誌でよく見かけるようになり、先日、ついに「ウルトラライトハイキング」という本まで出されたのを知った。

ウルトラライトハイキングとは、アメリカの数百キロから数千キロに及ぶロングトレイルを踏破するスルーハイカーたちによって考案されたハイキングの手法だ。装備を徹底的に軽量化し、必要なアイテム数を最小限に絞り込むことで、装備を背負う身体にかかる負担を減らし、長い距離を快適に歩き続けることを目指しているのだという。

日本でこうしたテーマについての本を作ろうとすると、ウェアやグッズをずらずらと紹介するものになってしまいがちだが、この「ウルトラライトハイキング」は、そうしたカタログ的な本とは一線を画している。ウルトラライトハイキングとは、最新のハイテク素材で作られたおしゃれなグッズを揃えて悦に入ることではない。工夫を凝らしたシンプルな装備で山に分け入って、自然とのかかわりや一体感をよりダイレクトに感じ、愉しむという行為なのだ。この本ではウルトラライトハイキングについてのそうした考え方とともに、実践にあたっての基本的な知識が、わかりやすい形で紹介されている。ふんだんに添えられたポップなイラストも感じがいい。

僕がラダックでトレッキングをくりかえしていた頃は、装備と食糧は馬やロバに運んでもらっていたものの、自分自身は撮影機材が詰まったカメラバッグをひーこら言いながら担いでいたので、とてもウルトラライトとは言えなかったと思う(苦笑)。でも、現地で旅をともにしたホースマンたちの装備の潔さにはいつも感心させられていたし、厳寒期のチャダル・トレックに臨む前、友人のパドマ・ドルジェに「テントもストーブも必要ない」とこともなげに言われた時には度肝を抜かれた。ラダックやザンスカールの人々にとって、最小限のシンプルな装備で旅をすることは、日々の生活に直結したごく当たり前の知恵なのだけれど。

もう少しいろいろ落ちついてきたら、ひさしぶりに丹沢や奥多摩、奥秩父を歩いてみようかな。自分にできる範囲で、ウルトラライトに。

卒業の宴

リトスタで長い間キッチンスタッフとして働いてきた黒川さん、通称クロちゃんがお店を卒業することになったので、昨日の夜、その送別会に参加してきた。

閉店後の店内で始まった卒業の宴は、文字通りの大盛り上がり。みんなは揚げ物名人のクロちゃんが揚げたいわしの天ぷらをはじめとする料理の数々に舌鼓を打ちつつ、ビールやら日本酒やらワインやらを飲みまくった。笑いあり、涙ありの、本当にいい時間だったと思う。ソファの上には、はなむけのプレゼントの山、山、山。みんなに愛されてたんだなあ、クロちゃんは。

リトスタを卒業した後、クロちゃんは以前からの目標だった、老人福祉施設での調理の仕事に就くのだという。あの神がかった揚げ物料理の味を、これからもいろんな人たちに食べさせてあげてほしいな、と思う。お疲れさまでした。そしてありがとう。

少年は空を見ている

二、三日前から、ちょっと妙なことについて、あれこれ想像し続けている。

‥‥もし僕が、ザンスカールの山奥にある村に生まれていたらとしたら?

「ヤマタカも、とうとうそこまで壊れたか」と笑われてしまいそうな気もするが(笑)、ふとしたはずみでそう考えはじめると、想像がものすごい勢いで膨らんで、止まらなくなってしまったのだ。ザンスカールの小さな村で、鋭い切っ先のような山の端に囲まれた狭い空を見上げている、一人の少年。その姿が、どうにも頭の中から離れない。

‥‥これは、あれか。書け、ってことなのか(苦笑)。本当に書けるかどうか、まださっぱりわからないけど、もう少し想像を膨らませて、試行錯誤してみよう。

白木蓮

メールでの連絡業務をいくつかこなした後、買い物のため、外に出かける。強い風に吹き飛ばされたのか、空には一片の雲もない。

近所の家の庭では、白木蓮の花が満開だ。ほわほわとした白い花弁が、青空に手をさしのべるようにして咲いている。白木蓮の花の盛りは短いから、あと二、三日もしたら、散りはじめてしまうだろう。でもその頃には、東京でも桜が咲いているかもしれない。桜か‥‥。もうすぐお花見の季節だなんて、すっかり忘れていた。

井の頭公園でブルーシートを敷いてどんちゃん騒ぎをする気はさらさらないけど(笑)、桜が咲いたら、自転車を引っ張り出して、野川の方に走りに行ってみようかな。川沿いの、桜並木の道を。