両親の旅行熱

朝、実家の母親からiPhoneにメール。何かと思ったら、これから父親と旅行に出かけるらしい。行き先は‥‥ボツワナのオカバンゴ・デルタ、らしい。いったいどこだ、それは‥‥(苦笑)。

ここ数年、実家の両親の海外旅行熱は、手がつけられないほど過熱している。かつては二人とも高校教師をしていて、旅とはとんと無縁の人間だったのだが‥‥。二人とももういい歳なので、足腰がしゃんとしてるうちにと、シャカリキになって出かけているふしがある。今年はたしか、年明けにタスマニアに行っていたし、夏にはイタリアのドロミテに行くつもりのようだ。やれやれ、こっちは取材費を捻出するのも一苦労なのに(苦笑)。

まあ、元気に旅を満喫してくれているなら、それでいいか。

赤いボールペン

終日、部屋で仕事。昼間のうちは、電話の打ち合わせに時間を取られてしまった。晩飯にパスタを茹でて食べてから、本格的にゲラチェックを開始。

赤いゲルインキのボールペンを手に、ゲラの上にかがみ込むと、かちっ、と編集者モードのスイッチが入るような気がする。編集者モードというのは‥‥細かいところまでちまちまこだわるモード、という感じだろうか(笑)。そういう偏執的なところがある人じゃないと、この地味で単調な仕事には向いていないような気がする。

ま、僕の場合、思いもよらないところが、ぼそっ、と不注意で抜けてたりすることがよくあるので、あんまり向いているとは言えないのかもしれない(笑)。

夏日

今日は暑かった。東京でも、今年初の夏日になったらしい。

昼、近所のフレッシュネスでアボカドバーガーを食べた後、駅近くの理髪店へ。仕事にかまけてぼさぼさに伸びた髪をばっさり切ってもらう。しばらく来ないうちに、理髪店には新人らしい女性スタッフさんが入っていたが、見るからに慣れてない感じだったので、顔を剃られている間も、眉毛をうっかり剃り飛ばしてしまうんじゃないかと、気が気じゃなかった(笑)。幸い(?)、口元に小さい切り傷を一つつけられたくらいで済んだけど。

散髪を終えてから、総武線で水道橋へ。セール中のアウトドアショップで、さんざん迷いながら、ウェアをいくつか購入。頭も気分も軽くなって、すっかりリフレッシュできたような気がする。明日から、またがんばろ。

好きな文章、嫌いな文章

文章の良し悪しとは何によって決まるのか、ということについて考えてみる。

身も蓋もない言い方をすれば、それは結局、読者次第だ。どんなに有名な作家が書いた文章でも、どうにも性に合わないという人はいるだろうし、多くの人が駄文としかみなさないものでも、ある人にとっては心を動かされる文章かもしれない。文章の良し悪しは、人それぞれ。百人中百人がいいと思う文章は、たぶん、ほとんど存在しない。

僕自身、何がいい文章で、何が悪い文章なのか、はっきりした基準を持ってはいないし、それが他の人に通じるとも思わない。物書きとしては、それじゃダメなのかもしれないが‥‥(苦笑)。ただ、自分はこういう文章は好きで、こういう文章は嫌いだ、という個人的な好みを挙げることはできる。

僕が好きな文章は、書き手の人となりが、素直に表れている文章。たとえ、ところどころが拙い印象でも、「これを伝えたい」という気持が一行々々に籠っていれば、僕はそれを「いいなあ」と感じることが多いような気がする。

で、嫌いな文章は‥‥うまく言えないが、「カッコつけてる文章」かなあ。「カッコイイ文章」ではなく、「カッコつけてる文章」。

「カッコイイ文章」というのは、本当に何か素晴らしいテーマについてきっちり書かれていれば、自然とそういう文章になるものだと思う(僕はそんな風に書く自信はないが‥‥)。でも、時々、実際よりも物事を大仰に、感動的に盛り上げて書こうとしたり、気の利いた(と往々にして思い込んでいる)レトリックで文章を飾り立てたり、書き手自身をよりよく見せようという作為が透けて見えたりすると、ぱたん、と本を閉じてしまうことが多い。

まあ、僕には「カッコつけてるなあ」と感じられる文章も、もしかするとその書き手は、裏表のない素直な気持で書いたのかもしれないし、そういう文章が好きな読者もいるかもしれないから、やっぱり、いいとか悪いとかは言えない。あくまでも、個人的な好き嫌いの話ということで。

作り手は作り手に嫉妬する

以前、西村佳哲さんにインタビューをさせていただいた時、次のような話を聞いたことがある。

「たとえば、出来のいい映画を観て“くやしい”と感じる人は、モノ作りに携わっている人ですね。そういう人は、作る側に視点が回っていくものなんですよ」

確かに、それは当たっていると思う。自分を例に挙げるのはおこがましいけど、面白い本を読み終わった後は、無性に原稿を書きたい気分になったりする。先日、たかしまてつをさんの個展にお邪魔した時は、「こんな空間で、壁一面にバーンとラダックの写真を展示したら、気持いいだろうなあ‥‥」と妄想したりもした(笑)。あと、逆の立場では、ある飲み会の席で、同業者の人から「ヤマタカさん、ぼかぁ、あんたに嫉妬してるんですよ!」と、面と向かれて言われたこともある。別に、僕はそこまでの人物じゃないんだけど‥‥(苦笑)。

作り手は作り手に嫉妬する。それはとても健全な反応だし、互いにそれを糧にして新しいものを作り上げていければ、素晴らしいことだ。ただ、他の人の作品に刺激を受けて、「よーし、自分も!」と決意しても、相手の後追いで似たようなものを作るだけでは、単に模倣をしているにすぎず、オリジナルはけっして越えられない。作るなら、自分自身のアイデアと力で勝負しなければ、意味がない。

単なる後追いで終わるか、自分の道を見出すか。本物の作り手になれるかどうかは、そこが分かれ目だと思う。