奥華子「good-bye」

奥華子のメジャー通算六枚目のアルバム、「good-bye」。このアルバムは本来なら、去年の秋くらいには出ているはずのものだったと思う。先行シングルの「シンデレラ」は、去年の六月に発売される予定だったが、半年以上延期された。その原因には、東日本大震災がある。

震災後、彼女はそれまで予定されていたリリースプランを変更し、被災地を支援するための活動に奔走した。「君の笑顔 -Smile selection-」というコンセプトアルバムを作り、全国各地でフリーライブを開催して支援金を募り、被災地にも何度も足を運んで、歌った。そんな中でも、たぶん、彼女は痛いほど感じていたと思う。想像を絶する現実と悲しみの前で、自分たちがどれほど無力なのかということを。

去年、彼女は南三陸町の避難所で出会った女性から、「頑張ろうとか、応援歌とかではなく、行き場のない思いに寄り添った曲を作ってほしい」というメールを受け取った。「頑張れと言われても、頑張りたくても、なかなか頑張れないんです」と。自分が経験したのではないあの悲劇について、何が歌えるのだろう。でも、その思いを教えてもらって歌にすることはできるかもしれない。そうしてメールのやりとりを重ねた中で生まれたのが「悲しみだけで生きないで」という曲だった。

本当に大きな悲しみの前では、どんな慰めも、励ましも、何の役にも立たない。その無力さも、やりきれなさも、いたたまれなさも、何もかも抱え込んだ上で、彼女は声を絞り出して歌う。「それでも生きて」と。

一人ひとりが、それぞれにできることをしながら、毎日を精一杯生きていくしかない。そうすれば、何かが、誰かに届く。明日に繋がっていく。彼女はきっと、そう伝えたかったのだと思う。

観客の役割

昨日の夜は、渋谷で開催された畠山美由紀のライブに行ってきた。

彼女の本格的なホールライブに足を運んだのは初めてだったが、圧倒的な歌唱力と盤石な演奏が見事に噛み合った、素晴らしいパフォーマンスだった。「わが美しき故郷よ」の詩の朗読と歌は本当に泣けたし、アンコール前の「What a Wonderful World」のパワフルな演奏には思わず叫び出したくなるほどだった。

ただ、その一方で残念だったのは、観客の側のマナー。平日の夜とはいえ、これだけ遅刻して入ってきた人の多いライブは初めてだったし、中盤にさしかかってからも、席を立って外と内とを行き来する人がすごく多かった。デリケートなバラードの歌声に集中しているさなかに前を行ったり来たりされると、まったく集中できなくなる。たぶん、ステージ上からもよく見えてたんじゃないかな。キース・ジャレットとかだったら、怒って演奏を中止して、帰っちゃったレベルかもしれない(苦笑)。

観客にも、ライブでともに素晴らしい時間を作り上げるために果たすべき役割がある。周囲の他の人に、できるだけ迷惑をかけないこと。ささやかな、当たり前のことだけど、なるべく守ってほしいなと思う。

井の中の蛙

二十代の後半くらいから、僕は雑誌の編集者としてのキャリアを積みはじめた。インターネットの専門誌とか、Macの専門誌とか。フリーになってからは、Webデザインの専門誌の立ち上げに関わったりもした。

専門誌の編集部で働いていると、その分野に関するものすごく密度の濃い情報が集まってくる。そうした情報の海に毎日首元までどっぷり浸かってると、世界がその色に染まっているかのような気分になってくる。スペシャリストとしての知識を貯えるには格好の土壌で、同僚にもそういう人が多かったと思う。

でも、当時の僕は、スペシャリストになるのを無意識のうちに避けていた気がする。知識は身につけるに越したことはないけれど、その分野のスペシャリストであることに満足して、井の中の蛙になってはダメだ。ほかの分野でも対応できるような幅の広さも身につけなければ‥‥と。だから僕は、PC系の雑誌のほかに、広告系やデザイン系、もっと地味な実用書系など、やれる仕事はあまり選り好みせずに挑戦していった。‥‥インドの山奥について書くまで間口が広がるとは思わなかったけど(苦笑)。

ある分野のスペシャリストであることは、編集者やライターにとって強力な武器になる。でも、その分野しかわからないけどまあいいや、と自ら割り切ってしまうのは、自分の可能性をただ狭めているだけだと思う。スペシャリストでありながら、井の中の蛙にならないでいることは十分実現できるはず。そういう意味では、自分はフリーになったことで方向性を限定され過ぎずにすんでよかったな、と思う。

今も、インドの山奥の某地方に詳しくなった自分を、これでよし、とはまったく思っていない。もっと学べること、できることはあるはずだから。

心を踏みにじる

今日は、チベット暦の一月一日、ロサル。チベット人にとって、ロサルは一年で一番盛大なお祝いの日。近くのゴンパ(僧院)にお参りした後、親戚やご近所さんの家々を訪ねて、飲めや歌えや踊れやのどんちゃん騒ぎが繰り広げられる日‥‥のはずなのだが。

今年のロサルを、心からの笑顔で迎えたチベット人は誰もいない。一年以上前から続くチベット本土での僧侶や一般人の焼身抗議者への弔いと、彼らに対してさらに弾圧を強める中国政府への抗議の意を込めて、チベットの人々はロサルのお祝いを慎んでいる。

滑稽なのを通り越して呆れてしまうのは、そんなチベット人に対して、中国政府が「ロサルを祝え! だが、寺院への参拝はするな!」と強要していること。同胞のために命を散らせた者たちを悼む心。敬虔な信仰を守り続ける心。人として当たり前の権利を持って生きたいと願う心。そういったチベットの人々の心を、中国政府は泥まみれの靴で踏みにじり、唾を吐いている。

そうした現実を、所詮は他人事だから、何かと都合が悪いから、と見て見ぬふりをしている人たちもまた、同じ穴のムジナだ。

執筆から編集へ

今日も昼の間は外で道路工事のドリルが景気よく轟いていたので、本格的な仕事開始は夜から。どうにかこうにか、ガイドブックの草稿の推敲を終える。本当はもっと見直したい気もするが、きりがないし、先は長いので。メールに添付し、編集者さんに送信。ふー。

これで、「執筆」という作業が終わり、「編集」という作業に突入する。考えてみれば、これまで自分が全体または一部の執筆を手がけた本で、編集にノータッチだったものは二冊しかない。ほとんどは企画段階からどっぷりと関わっているので、編集にも当たり前のように関わっているのだが。今回の本は、最初から最後のページまで、すべて自分で構成を決めているので、編集もがっつりやる。

ガイドブックのような本では、編集にものすごく手間がかかる。ちまちまとした細かいチェックを気が遠くなるほど積み重ねて、ある意味、小説や読み物以上に、心を砕いて手をかけなければならない。かの地を旅する人、憧れる人に、役立ててもらうために。

いよいよ佳境。がんばろう。