スライド作り

ちょっと悲しい夢を見て、いつもより早く目が覚めた。僕には珍しく、午前中からバリバリと仕事。いつもは、昼過ぎからでないとエンジンがかからないのだが。

3月24日にあるジュレーラダックのトークイベントで話す時に使うスライドを作る。ラダックの今について、初心者にもわかりやすくしながら、経験者にも「おっ」と思わせるポイントを練り込み、なおかつ写真もできるだけたくさん見せていく。制限時間が短いので大変だが、ま、早口でしゃべれば何とかなるだろう(苦笑)。あいかわらずの道路工事の騒音に悩まされれつつも、夕方までかかって、どうにか仕上げる。

まあでも、これは仕事とは言えないかも。ノーギャラだし(苦笑)。非生産的な一日であった。

おいしいものを食べると

夕方、荻窪へ。「北欧、暮らしの道具店」の青木さんと、潮州で会食。ずいぶんひさしぶりだったのだが、お店のみなさんが僕のことを覚えていてくださってたのが嬉しかった。XO醤、焼き餃子、鱈の黒豆ソース蒸し、エビマヨ、レタスチャーハン‥‥。毎度のことながら、うますぎる。うますぎて動揺した(笑)。

こう書くと何か変だけど、僕は、おいしいものを食べるのが好きだ(笑)。高級ワインやフォアグラよりも焼き餃子に生ビールの方が好きで、食べログにしたり顔でレビューを書くような人は嫌いだけど、おいしいものは好き。たぶん、本当においしいものは、それが高級食材かどうかなんてあまり関係なくて、生産者や料理人のもてなしの心が籠っているかどうかで決まるのだと思う。

おいしいものを食べると、心がほかほかする。今日も、ごちそうさまでした。

賞味期限

朝からずっと、雨。こういう日は道路工事がないので、静かで快適(何か違う気もするが‥‥)。割と長めの電話打ち合わせをいくつかこなし、ガイドブックに収録する地図のチェックをしたりする。

晩飯は、すぐに作れるパスタにした。寸胴でパスタを茹で、レトルトのミートソースを鍋で温める。これに納豆を入れてパスタとよく和えて、納豆ミートソースパスタにするのが最近のマイブーム。ただ、食べ終わった後に包装紙を見たら、納豆の賞味期限、余裕で過ぎてしまっていた。ありゃりゃ。

ま、ある意味、もともと腐ってるみたいなところもあるし‥‥。今のところ、おなかの調子はノープロブレム。

Webサイトを作る

今日の午後は、Webサイトの立ち上げ作業をしていた。昨年夏のラダック取材でお世話になったご夫婦が経営する旅行会社のサイトを、僕が作らせてもらったのだ。

去年のうちに仕込みはだいたい終わっていたのだが、サイトをアップするレンタルサーバや独自ドメインの情報が確定したので、データのアップロード作業をしていた次第。WordPressを新規インストールし、プラグインやテーマを設定し、固定ページのテキストとソースコードを移植してサイト内リンクを張り直し‥‥。地味に手間取って、夕方くらいまでコツコツとやっていた。まあでも、こういう作業は嫌いじゃない。

依頼主からは、使用したいキーカラーやメインで使う写真の指定と、「できるだけシンプルにまとめたい」という要望があったくらいで、あとはかなり好き勝手に作らせてもらった。結果、ものすごくシンプルなサイトになったけど、こういうつくりの方が何かあってもメンテが楽だし、長続きするような気がする。

というわけで、まだ仮オープンの状態だけど、「Mother Earth tours & travels / MILA’S HOUSE」のサイト、どうぞよろしく。

ラダックから学ぶ?

午後、茗荷谷にあるジュレーラダックの事務所へ。3月24日(土)に開催されるトークイベントにゲスト出演することになったので、その打ち合わせ。

イベントのテーマは「ポスト3.11 持続可能な社会とは?ラダックから学ぶ」というもの。僕はラダックをある程度見続けてきた日本人としての立場で、写真を交えながらラダックの話をすることになった。

今回のように、日本でのラダック絡みのイベントや書籍では、「ラダックから学ぶ」といった感じの言葉がよく使われる。それは大いに結構なのだが、時々ほかの場所では、そもそもラダックとはどういう場所で、どういう人々が暮らしているのかをろくに把握しようとしないまま、ごく一部の事象だけを拾い上げて性急にラダックを論じている人を見かける。そのたびに、僕は違和感を覚えずにはいられない。「学ぶ」前にまず、ラダックそのものを「知る、知ろうとする」ことが大事だろう、と。

ラダックの良い部分と悪い部分をフラットな目線で捉えて、ラダックの人々の心の部分——苛酷な環境で生き抜く少数民族ゆえの絆の強さ、チベット仏教に根ざした精神性など——も踏まえて、いろんな角度から考えてみるべきだと僕は思う。異国を理解するというのは、そういうことではないだろうか。そのプロセスを端折って、都合よさげな部分だけつまみ食いするように「学んで」も、それは本質からズレているし、そのまま日本で活かせるとも思えない。

イベントで僕が伝えたいと思っていることの一部は、そんなところかな。