名を成すことには興味ない

「あなたの職業は何ですか?」と訊かれると、僕の場合、フリーランスの編集者であり、ライターであり、時にはフォトグラファーでもある、という答えになる。最初からこうなりたいと思っていたわけではないが、いつの間にか、よろず屋稼業になってしまった。

では、編集者として、ライターとして、あるいはフォトグラファーとして、自分がどれくらいの価値のある人間なのかと訊かれると、ちょっと困ってしまう。一応、それなりのキャリアは積んでいるけれど、何十万部も売り上げた著書があるとか、華々しい賞を受賞したとか、そういうわかりやすい世間からの評価は受けていない。海千山千のフリーライター、みたいなざっくりした見られ方をされるのだろうし、ある意味それは当たっている。

でも僕は、自分が名を成すことには、興味がない。評価はされるに越したことはないけれど、世間から評価されるためにこの仕事を選んだわけではないから。ただ、本づくりの仕事が好きなだけ。編集と執筆と写真をかけ持ちしているのも、それが自分の目指す本づくりに必要だったから。

たぶん、僕が作る本は、百人のうち一人にしか評価されないような本なのだろう。でも、その一人の心を揺さぶれるのなら、僕の仕事には意味があるのかもしれない。肩書や世間体よりも、僕の仕事の価値は、これまで作ってきた、そしてこれから作る、一冊々々の本が語ってくれるのだと思う。

狙いに狙う

終日、雨。身体がだるかったので、午後に少し仮眠。身体がしゃっきりしたところで、原稿を書く。

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写真を撮る技術で、自分がまだまだダメだなあと思うのは、いい写真を狙って撮ることができてない、ということ。

このブログのポートフォリオに載せている写真も、自分からシャッターチャンスを察知して、狙いに狙ってモノにしたという写真は、実のところ、あまりない。むしろ、「とりあえず撮っとくか」的な感じで何の気なしにパシャッと撮った写真の方が、周囲の評価が高かったりする。いい写真ってどうやったら撮れるんだろう、と思うこともしばしば。

ただ、「狙いに狙う」ことを止めたら、いい写真が撮れなくなるのは間違いないと思う。何というか、いい写真を愚直に狙い続けていれば、周囲に注意が張り巡らされて、狙いとは違うところで何気ない瞬間が訪れても、脊髄反射で反応できる気がする。狙ってないと、ほぼ絶対に反応できないから。

狙ってモノにする確率も、まぐれ当たりの確率も、両方上げていくのが理想かな。修練せねば。

編集部の雰囲気

午後、新橋に向かう。ある雑誌からラダックガイドブックの書評を載せたいとの打診をいただいたので、見本誌を持ってその編集部へ。最近はメールのやりとりでたいていのことが済んでしまうから、知らない雑誌の編集部を訪れるのはひさしぶりだ。

僕も以前は、雑誌の編集にどっぷり関わっていた時期があったし、ライターとしていくつかの雑誌に出入りしてきたから、それなりにいろんな雑誌の編集部を見てきた。仕事がうまく回ってる編集部は、ぴりっとした緊張感の中にも、たまに軽口が飛び交うような、和気あいあいとした雰囲気がある。逆にうまく回ってない編集部は‥‥そうだなあ、妙にだらだらしてたり、編集長のご機嫌を窺ってびくびくしてたり、そんな感じ。自分自身は、うまく回ってる編集部に所属していた記憶は、あまりないかも(苦笑)。

雑誌作りは好きだけど、また編集部の中に入ってがっつりやってくれと言われたら、躊躇する。自分が作りたい本を好きなように作ってる方が、幸せかな、今は。

仕事を引き受ける条件

午後、南大沢で取材。移動距離が長い上、二件連続という長丁場だったが、どうにかやり遂げる。疲れた‥‥。

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このブログとラダックのブログのプロフィール欄に、仕事の依頼についての但し書きのような文章を載せた。何の変哲もない、至極当たり前の内容だけど、こういう当たり前のことさえ通用しない場合が、最近はままあるのだ。

僕のようにフリーランスの立場で仕事をしている人間に取材や執筆を依頼するなら、作業内容やスケジュール、報酬などの条件面を最初からすべて明らかにするのは当たり前のこと。さしたる理由もないのに異様に報酬が安かったり、作業スケジュールが無茶すぎる場合は、事前にこちらとの交渉にきちんと応じるのが当然だと思う。別に、ケチってるわけでも、面倒くさがってるわけでもない。報酬が安すぎたら他のクライアントに申し訳ないし、最低限のスケジュールを確保したいのは、自分の仕事のクオリティに責任を持つのに必要だからだ。

たとえやせ我慢をしてでも、いい加減な仕事には関わりたくない。きちんと納得できる、気持よく取り組める仕事を積み上げていきたいと思っている。

謝孝浩「スピティの谷へ」

この「スピティの谷へ」という本の存在を初めて知ったのは、ずいぶん前‥‥僕がアジア横断の長い旅を終え、フリーランスの立場で物書きの仕事をするようになって、しばらく経った頃だったと思う。その時は、書店で気になって手に取ったものの、持ち合わせがなかったか何かで買わなかったのだが、「インドのこんな山奥のことを本に書く人がいるんだ」という記憶は頭の隅に残っていて、数年後に自分がラダック取材を思い立った時のヒントにもなった。そして一、二年ほど前、今はなき新宿のジュンク堂で、この本の在庫が残っていたのを見つけて購入。いろいろ落ちついたらゆっくり読もうと思い続けていたのだが、ようやく読み終わった。

僕自身、スピティには2008年の初夏に二週間ほど滞在したことがある。ラダックやザンスカールに比べると、スピティはどことなく穏やかで、谷間をゆるやかに吹き抜ける風の冷たさが印象的だった。特に、ランザという村の民家に泊めてもらった時に見た、透き通るような朝の光に包まれた村の風景は、忘れることができない。出会った村人たちのおっとりとした笑顔も、いつかまたここに戻ってきたい、と思わせるものだった。謝さんの文章には、そうしたスピティの穏やかな自然や人々の暮らしぶりが丁寧な筆致で描かれているし、二人のフォトグラファーによる写真の数々は、ページをめくるたびにスピティへの憧憬を後押しする(一人ぼっちであくせく取材してた身としては羨ましくもある、笑)。個人的には、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ灌頂の会場で、顔なじみの村人たちと次々に再会した時のくだりが、謝さんの人柄が表れている気がして、とてもいいなあと思った。

ただ、読み終わって感じたのは、謝さんはなぜスピティにそこまで惹かれたのか、ということ。紀行文にそういう書き手の個人的な心情を書き込むというのは、もしかするとスマートではないのかもしれない。でも、僕が「ラダックの風息」を書いた時は、自分がラダックに心惹かれた理由を突き詰めることにものすごくこだわったし、書くのに苦しんだし、それでも書き切れたという確信が持てないくらいだった。同じインドのチベット文化圏に心惹かれた人がなぜこの場所を選び、通い詰めたのか、その思いの根っこの部分をもっと知りたかったというのは正直な感想だ。

それでも、謝さんにとってスピティがかけがえのない場所だということは、この本から十二分に伝わってくる。あとがきにも書かれていたけれど、東京のような街で暮らしていても、遠い彼方にもう一つの大切な場所の存在を感じられるというのは、とても幸せなことだなと思う。