どこかで誰かが

ここ数日、自宅では、昼の間はひたすら連絡業務。電話をかけたり、メールを書いて送ったり。今取り組んでいることの性格上、色よい返事はもらえない確率の方が高いので、ある時は電話口で、またある時は返信されたメールで、幾度となく気持が凹まされることになる。

そんな中、ある会社に電話をかけ、たまたま応対してくださった方にメールを送ると、すぐに返信が来た。なんと、以前、僕が書いた「ラダックの風息」を読んでくださったことがあるのだという。本当にまったくの偶然だったのだが、びっくりした。

もちろん、今回先方に打診した内容がどうなるかとは話が別なのだが、何だかとても嬉しかった。たゆまぬ努力を積み重ねていれば、どこかで、誰かが、見ていてくれる。結果がどうなるかはわからないけど、やれるだけやってみよう。

ポスティングの憂鬱

最近、自宅のあるマンションの郵便受けに投函されるチラシや勧誘物が、一段と増えた。たぶん、このあたりをシマにしてるポスティング業者が、リキを入れてるのだろう。

武蔵野市では、チラシの類は「雑紙」という括りで資源ゴミとして出すのだが、僕の部屋から出るゴミで、生ゴミよりもプラスチックゴミよりも何よりも、一番多いのが、この雑紙、つまりチラシ。わざわざ郵便受けから部屋まで運び、そのままゴミ箱に入れ、満杯になったら袋に詰めて、ゴミ置き場に出す。何だかものすごくアホらしいし、無駄なことをしていると思う。

別に、あらゆるチラシが不要だというつもりはない。自分の店や生業の宣伝のために、自らの足で配ってる人もいるだろうし。でも、何年も前に加入済みなのに執拗に投函し続けられるフレッツ光の勧誘チラシは、どう考えても不可解。「ポスティングスタッフ急募!」のチラシに至っては、「もうええわ!」と苛つくだけだ。

どんな仕事にも何かしらの意味があるのかもしれないが、ポスティング業者に関しては、僕はまったく理解できない。

街を歩く

一昨日や昨日に比べると、いくぶん寒さが緩んだ日。午後、電車に乗って都心へ。

まず新宿で、紀伊國屋書店、コニカミノルタプラザ、エプサイトギャラリーなどを回る。大江戸線で青山一丁目に移動し、BOOK246を見てから、表参道まで歩く。途中の店で新しいシャツを一枚買い、キャットストリートを渋谷まで歩き、タワレコ、パルコブックセンター、モンベルで開催中の関さんの写真展をハシゴ。腹が減ったので、カフェマメヒコでハムレット(ホエー豚のハムを使った豆粉のガレット)とヒューガルテンホワイト。井の頭線で吉祥寺まで戻り、そこから30分歩いて帰宅。

ここ最近、いろんな物事がなかなか前に進まずに「待ち」を強いられていたので、気晴らしになればと思って、とにかくがしがし歩いた。歩きながら考えごとをしてるうちに、心の中にもやもやとわだかまっていたものが、思いがけないくらいすっきりと整理できた気がする。

もうすぐ春だし、これからも、もっと歩こう。

怠惰なるままに

僕は基本的に、一日一回のペースでこのブログを更新するようにしよう、と決めている。別に何か目的があるわけではなく、強いて言えば、物書きという仕事上、文章を書く時の感覚を維持しておきたいから、くらいだろうか。

ご存じの通り、ブログの内容は節操がなく(苦笑)、人から見れば、ものすごくどうでもいいことを書いていることも多々ある。少なくともこのブログでは、読む人に常に何かしらの価値を提供しようと意気込んではいないから、その辺は勘弁してほしいのだが。今日だって、真夜中の今になるまで、何を書いたらいいのかまるで思い浮かばず、サボろうかと思ってたくらいだし。

まあでも、書き続けていれば、何かいいことがあるのかな‥‥とりあえず生きてる、という生存報告になるくらいか。というわけで、怠惰なるままに。

本づくりという博打

生まれてこのかた、ギャンブルの類にはほとんど手を出したことがない。

パチンコは思い出せないくらい昔、物珍しさに千円くらい使ってみたが、まったく面白さを理解できなかった(笑)。競馬も、麻雀も、まったく経験&興味なし。あ、五年ほど前にマカオに行った時、カジノで大小をやって、一瞬で100ドルすった記憶がある。つまり、博打に対する興味もなければ、勝負運もからきしという人間だ。

ただ、今の自分の仕事‥‥本づくりという仕事は、傍目には穏やかに見えるかもしれないが、博打に近い要素はかなりあると思う。Webで見かけた細田守監督のインタビューを読んで、映画と書籍という違いはあるにせよ、その辺のことをあらためて自覚した。

映画の価値は、有名な原作とか、有名な監督、クリエイターがやっているからじゃない。その映画に今まで見たことがない価値があるからでしょう。見たことのない面白さを提供することに価値があると思う。そういう価値がみんなと共有できた時に成功するんじゃないか。常に挑戦しないと映画を作る意味がないんですよね。じゃないと誰も振り向いてくれないですよ。‥‥という意気込みがあるんですけど、映画が常に挑戦であることはイコール博打なので、毎回々々どうなるかわからないです。

誰かの後追いではなく、常に新しいことに挑戦して、見たことのない面白さを提供すること。それはリスクを伴う博打で、当たるか当たらないかは本当に神のみぞ知る、だ。でも、安全牌だけ切り続けるようなやり方には、正直、さして興味はない。僕も、挑む気持を忘れないようにしたいと思う。