荷造り

インドへの出発が来週月曜に迫ってきた。ぼちぼちと、荷造り開始。

荷造りの時は、以前作っておいたパッキングリストを見ながら、いちいち確認しつつ揃えていく。僕は元来おっちょこちょいなところがあるし、撮影機材やトレッキング道具などは現地調達が難しいものも多いから。荷造りの作業自体はそんなに時間はかからないのだが、「ある」と思っていたものが実は手元になかったり、「使える」と思っていたものがダメになっていたりすることもたまにあるので、いつも三日くらい前から確認していくことにしている。

今回は、意外なところに落とし穴。向こうに持って行くスケジュール表や連絡先リストをプリントアウトしようとしたら、突然プリンタがインク切れ。これは地味に困る(苦笑)。明日、インクを買ってこなければ。

個人で本を作る

早くても来年以降の、おぼろげな目標なのだが、僕個人で本を作って世に出すような活動をやってみようかな、と考えている。一人で出版社を立ち上げるところまでは考えてないのだが、僕個人の屋号というか、レーベルのような形で。

もちろん本業の部分では、出版社と協力しながら本を企画して作る仕事を続けていく。ただ、最近の自分が考える企画のアイデアの中には、一般的な出版社からは出しにくい類のものも少なからずある。いい企画だし、作って世に残しておくべき本だけれど、売りにくい、みたいな。そういうアイデアをあきらめずにすくい上げて、出版社に頼らずに自分で作ってしまえないだろうか、と思っているのだ。

企画から執筆・編集まで、主な作業は自分でできる。制作時に外部の力が必要なのは、デザインと印刷・製本くらい。一般的な自費出版と比べて、かかる費用は格段に少ない。専用のサイトを立ち上げて前もって受注を行って、適正な刷り部数を見極め、販売はオンラインと一部の書店、イベント会場などで行う。

個人宅でたくさんの在庫を管理するのは大変だし、このやり方で作る本でがっぽり儲けるつもりもないから、本当に欲しい人に確実に届けられるだけの部数にとどめて作るつもりだ。本業ではないし、かといって趣味でもないが、読者の方に喜んでもらえるものを作って届けることは、自分にとってもお金以上に価値のある活動になると思っている。

まだ、どうなることやら、というくらい柔らかい状態のアイデアだけど、うまくいくといいな。

亜熱帯

昨日の段階で、出発前の仕事はほぼ片がついた。今日は昼から、こまごました用事を片付けるため、外へ。

それにしても、暑い。この間梅雨明けしたと思ったら、最高気温が一気に7、8℃も上がる日々に突入してしまった。むしむしと寝苦しい夜。朝になったと思ったら、くらくらするような日射しが照りつけて、午後にはまるで滝みたいなスコールが降ったりする。子供の頃を思い返してみても、夏はこんなじゃなかった。日本は、もうすっかり亜熱帯になってしまったのだと思う。

あー。早く、高いところへ行きたい(笑)。

「スタンリーのお弁当箱」

「スタンリーのお弁当箱」

昨日は、シネスイッチ銀座で公開中の「スタンリーのお弁当箱」を観に行った。今年に入って、すでに何度目かのインド映画鑑賞。まさかこんな日々が来るとは(笑)。

芝居っ気と茶目っ気で学校でも人気者のスタンリーは、なぜか学校にお弁当を持ってこない。昼休みになっても、みんなに嘘を言って外に出ては、水道の水を飲んでごまかしたりしている。見かねたクラスの友達は、スタンリーにお弁当を分けてあげるのだが、異様なまでに食いしん坊のヴァルマー先生が、それを見つけてひと悶着‥‥。

この作品は、毎週土曜日に学校で開催する映画のワークショップとして、デジタル一眼レフで撮影された映像を基に作られた。登場する子供たちは、最後の最後まで映画撮影だとは知らなかったそうで、キアロスタミの作品を思わせる自然で柔和な表情も、それで納得がいく。アモール・グプテ監督は、類まれな芸術の才能を持つディスクレシア(発達障害)の少年を主人公にしたアーミル・カーン監督・主演作「Taare Zameen Par」において、脚本などで深く関わった人だそうだ。その時の経験から、子供たちに負担をかけずに自然な表情を捉えるために、こういう撮影方法を選んだのだろう。

この作品の宣伝コピーや予告編などを見ると、子供たちがとにかくかわいくて、うまそうなインドのお弁当がたくさん出てくる、ほっこり系映画なのかというイメージを持つ人も多いと思う。そういう側面もあるにはあるが、それでは正当な評価にはならない。この作品には芯にぴしっと一本通った形で、確かなメッセージが込められている。杓子定規な学校教育、理不尽な貧富の差、子供に対する虐待や労働の強制。それはまぎれもなく、今のインドの社会に対する痛烈な批判だ。ハッピーとは言い切れないエンディングまで観終わると、グプテ監督の意図は最初からそこにあったのだとわかる。

スタンリーのような、あるいはもっと苛酷な環境に置かれている子供は、インドには数えきれないほどいる。この映画を観たら、映画には出てこないそんな子供たちのことにも思いを馳せてもらえたらと思う。

理不尽な仕打ち

何かが思うように進まなかったり、うまくいかなかったりして、ため息をつきたくなるような時、本棚にある色川武大の「うらおもて人生録」に手が伸びる。この本については前にも書いたことがあるけれど、今でも何か思い悩むたびにページをめくりたくなる本だ。

人間が持っている運は、プラスマイナスゼロ。15戦全勝で勝ちっ放しのまま終えられる人はまずいない。勝てる時にしっかり勝てる最低限の実力をつけ、8勝7敗あたりを狙って、9勝6敗にまで持って行けたら大成功、と戦後の賭場で修羅場をくぐってきた色川さんは書く。

自分自身をふりかえってみると‥‥やっぱり、とんとんくらいなのかな。同年代で会社勤めしてる人に比べればしがない収入で、しかも不安定なフリーランサー。その代わり、行きたい時にどこにでも行けて、好きなことを本に書けるという自由を享受している。社会的な立場の弱さからいろいろえげつない苦労もさせられるけれど、社内で逃れられない人間関係に振り回されるようなストレスはない。自分の名前で書いた本で、喜んでくれる読者の方がいてくれるのは、何物にも代えられない嬉しさだけど。

たぶん人はみな、プラスマイナスゼロの運の波間で、8勝7敗か7勝8敗のあたりの浮き沈みをくりかえしながら、懸命に生きているのだと思う。やるべきことを真っ当に積み重ねていけば、だいたいそうなるのだろう。最低限の積み重ねをせずに大負けをくりかえして人生を呪ってる人もいるが、それは実力からなるべくしてなった結果だと思う。

ただ、時に運は残酷なことをするもので、どう考えても理不尽な仕打ちを人に与えることがある。災害や事故に巻き込まれたり、別に不摂生でもないのに病に冒されたり。そういう話を聞くたびに気の毒に思うし、少なからずぐさりとくるものもあるが、同時にそれは、自分自身の弱さを見直すきっかけにもなる。それまで自分が抱えていた苦労や悩みなど、ちっぽけなものにすぎないのだと気づかされる。

自分にだって、いつ、そういう理不尽な時が訪れるかわからないのだ。やれる時に、やれることを、やる。最終結果がプラスマイナスゼロか、もっとマイナスになったとしても、それも実力と納得して、笑って終えられるように。