宇治金時

今日もじっとり蒸し暑い。午後、仕事関係で不要になった本を買い取ってもらいに水中書店さんに行き、駅前で小さな用事をいくつか。あまりにも暑いので、家に戻る前に「かき氷でも食べてくか」と思い立つ。

三鷹でかき氷といえば、やはり「たかね」しかない。店内は平日なのにかなりの混みようだったが、首尾よく坐れたので、宇治金時をオーダー。ほどなく運ばれてきたそれは、雪のようにふわふわとなめらかな氷に、濃い抹茶とつぶ餡が乗っかっている。急いで食べると頭がキーンと痛くなりそうだし、のろのろ食べてるとせっかくの氷が溶けないか心配だし、いろいろ気をもみながら(笑)、おいしくいただいた。

ここ数年、今頃の時期はほぼずっとラダックに行っていたので、今年は日本の夏の蒸し暑さが身体にこたえる。でも、暑ければ暑いなりに、今日みたいにかき氷を愉しむことだってできる。夏が終わる前に夏らしいことを一つできて、何だかよかった。

紙一重

昨夜から今日未明にかけて、広島市で起こった豪雨による土砂災害。実は、広島在住の知人が、現場のすぐ近くに住んでいた。知人とそのご家族は無事だったが、災害現場ではまだ行方不明の方々の捜索が続いている。

こうしたニュースに接するたびにいつも思うのだが、僕たちはみんな、紙一重の差で、今を生きているのだと思う。僕たちがいつもと同じ毎日を過ごせているのは、たまたまだ。ほんのちょっとした不注意や、あるいは自分たちではどうにもならない成り行きで、そうした何気ない日々はたやすく失われてしまう。今回のような災害だと、本当にどうしようもない部分も大きいから、何ともやりきれない。

被害に遭われた方々に、少しでも早く平穏な日々が戻るように、願って止まない。

本の勝ち負け

本の価値というものは、当たり前だが、単純な尺度では測れない。何十万部も売れているベストセラーよりも、500部しか刷られていない私家版の詩集に心を深く揺り動かされることだってある。本から感じ取ることは、人それぞれ。本と本の間には、たぶん、勝ち負けなんてない。

ただ、作り手の側にとっては、勝ち負けを感じることもあるかもしれない。

たとえば、出版社から「あの会社のあの本が売れてるから、ああいう感じのやつを作ってくださいよ」と言われてしまった時。内容であれ、デザインであれ、他社の売れてる本のアイデアをパクるのは、どんな事情があるにせよ、作り手としては恥ずべき行為だ。たとえそれなりに売れたとしても、最初にパクってしまった段階で、その本はとても不幸な負い目を背負ってしまう。その時点で、決定的に負けだ。

そういう本はやっぱり、世の中に出すべきではないと、僕は思う。何よりも、その本と、それを手にしてしまった読者がかわいそうだ。

子供とゲーム

この間、安曇野で会った甥っ子1号の最大の関心事は、「ゲーム」だった。

「最近、面白いなあと思うことは?」「ゲーム」「今、欲しいなあと思うものは?」「ゲーム」

1号自身は、ゲームを持っていない。妹一家は、子供たちにはゲームはやらせない教育方針なのだという。子供にゲームをやらせるかどうかというのは人それぞれだし、どちらも決定的に間違っているとはいえない。良作のゲームが子供の情操や感性に良い影響をもたらすこともあるし、節度なくやらせてしまうことで悪い影響をもたらすこともあるだろう。

ただ個人的には、ゲームに興味があるのに買ってもらえない子供たちは、かなり肩身の狭い思いをしてるだろうなと思う。妖怪ウォッチとかの人気ゲームやグッズを持っている友達に、「それ‥‥やらせてもらってもいい?」と聞かなければならない時に毎回抱く、子供としてはこれ以上ないほど卑屈でつらい気持も、ゲームをやらせない方針の親はきちんと理解して受け止めてやるべきだ。

ちなみに僕は甥っ子1号に、こんな風に言ってやった。

「そんなにゲームしたいんならさ、ママとパパに交渉してみたら? 学校の勉強をがんばるから、ゲームを買ってくれって。学校の成績が何点より下になったらゲームを取り上げられてもいいからって」
「えー。ぼくはちいさいから、がっこうのせいせきとかあんまりかんけいないんじゃ。じゃからゲームかってほしい」

奴にはまだ、交渉事は早すぎるようだ(苦笑)。

佐々涼子「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」

「紙つなげ!」2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市にある日本製紙石巻工場は津波による壊滅的な打撃を受けた。日本製紙は、国内で流通する出版用紙の約4割の生産を担っているという。その中核となる石巻工場の被災は、大げさでも何でもなく、日本の出版業界の行末をも左右しかねない一大事だった。

この「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」は、そうした絶望的な状況に追い込まれた石巻工場の従業員たちが、途方もない努力と工夫の積み重ねで、ついに工場の復興を果たすまでを描いたノンフィクションだ。著者の佐々さんは、徹底した取材と検証に基づく冷静な筆致で、けっして綺麗ごとだけではない当時の石巻工場の様子をぐいぐいと追っていく。

本づくりを生業としている僕も、震災が起こった当時、仕事についてはまったく先の見えない状態だった。それまで順調に準備を進めていた「ラダック ザンスカール トラベルガイド」は、新刊会議での企画承認を経て取材費などの予算がつくのを待つばかりの状態だったのに、震災のために企画承認プロセスが一時凍結されてしまった。「紙とインキがやばいらしいんです。どちらかが供給されなくなれば、本は作れませんからね‥‥」と、担当の編集者さんが弱ったように呟いていたのを憶えている。紙とインキがなければ、本は作れない。そんな当たり前のことさえ、それまでの僕には本当にはわかっていなかったのだ。石巻工場をはじめとする被災した製紙工場やインキ工場の動向によっては、本づくりの仕事で生活していけなくなる可能性すらあった。

だから、その後被災からの復興を果たしたそれらの工場の人々には、本当に頭が下がる。復興のためのさまざまな努力はもちろん、日々確実に紙やインキを作り続けてくれる、その不断の努力にも。一冊の本には、たくさんの人々の見えない努力が詰まっているのだ。

先日上梓した「撮り・旅! 地球を撮り歩く旅人たち」に使っている本文用紙は、b7トラネクスト。日本製紙が誇る嵩高微塗工紙は、軽さと風合いと印刷の美しさを兼ね備えていて、あの本にうってつけだった。素晴らしい紙を作ってくれて、ありがとう。